三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

紙による境界分けの文化

2007年12月11日 06時17分44秒 | 住宅性能・設備


写真は先日訪れた「いわき」市での古民家の様子。
日本では通風を旨とする家づくりが行われてきて、
そうすると基本的には柱と梁と屋根の概念だけがあって、
「壁」というような概念があいまいだったのではないかと思います。
壁を造作するというのは、たぶんいちばん手間とお金がかかった。
なので、重たい板戸で寒い時期は閉めきるというふうにやり過ごし、
基本的にはこの写真のように紙の建具で採光から
一定の閉鎖性まで演出してきた。
こういう住宅では、確かに「プライバシー」という観念は育ちにくい。
室内での音の問題などはまったく考慮されていませんね。
紙の建具だけで仕切っていくのでは、外部に対しても内部に対しても
プライバシーを保持するのは不可能に近い。
こういう環境でDNA的に過ごしてきた日本人が、
戦後数十年の中で、マンションというような空間に住み始めて、
音の問題に対して、「常識を持て」と突然言われても
すぐに対応できるかどうかは、やはりわかりません。

京都の町家などでは隣家と壁を共有して家が建っているわけで、
そういう壁では竹で下地を作って土を何層も塗り固めるような重
厚な壁を作ったわけですが、
そうとはいっても、壁1枚で仕切られているだけ。
視覚的な境界感覚は、非常に微妙な部分まで感受性が育ったけれど、
こと、音の問題で考えると、
むしろ、気配とかに対しての敏感な感受性を発達させて
「他者への思いやりと配慮」のような精神性を育みはしたけれど、
音的に遮断する、他者との関係性を切る、という方向には行かなかったのではないか。
そんな思いが強くしてきています。
マンションの騒音問題などを考え合わせるとき、
こういう部分からの日本人の精神分析的アプローチも必要なのではないでしょうか?
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続・3丁目の夕日、観ました

2007年12月10日 06時06分25秒 | こちら発行人です

去年でしたか、この作品の1作目、
観に行って、感激してこのブログにも書きました。
なかなか、余韻が良い映画だったので、
続編、夫婦で観に行って参りました。

まぁまぁ、っていうところでしょうか(笑)。
心地よいカタルシスがあって、予定調和的すぎて
驚きの部分が薄らいでいますけれど、
けれど、作品を支える基本部分であるCGの魅力は存分で、
おまけのように付けられている冒頭の「ゴジラ」シーンなど、
CG技術はたいへん良い仕上がりだと思いました。
こういう2作目というのは、観る側に了解事項が多すぎて、
作る側としてはすごく難しい部分が多いと思います。
当たった部分はツボを外せないし、一方で今後の展開で、
場合によってはシリーズ化させていきたい部分では、新展開も考えたい。
そう考えると、冒険ができるところと、できない部分の仕分けが難しい。
まぁ、本作の場合はマンガの原作がしっかりあるわけで、
それを下敷きにしていけばいいので、ダメならしょがない、という諦めも
比較的に容易に付くかも知れませんが。

そういう、作る側と同心して観ている部分では
心配しながら観ていましたね(笑)。
できれば日本映画に寅さんシリーズ以来の
完全予定調和型の安心定番シリーズが生まれて欲しい、という希望なんですが、
考えてみると、この映画のテーマに「こどもらしいこども」という部分があり、
主演の子役2人、だんだん大きくなるので、
長期シリーズは難しいというか、そのあたりの回し方が難しい。
寅さんシリーズでは、マドンナ役を変えるという定番手法を
編み出したわけですが、思い切ってそこいらへんから、
韻を踏んで、チャレンジしてみても良かったかも知れない。
ドラマ性という部分では、このような庶民的な話を続けるしかないけれど、
そうだとすれば、どのような新展開を作っていくのか、
原作者と相当詰めた話し合いを持っていかなければならないと思えますね。

けっこう、知らずに目頭が温かくなる映画なので、
制作陣のみなさん、がんばっていって欲しいと念願しています。
やっぱ、こういう予定調和の旋律って、
観ていてうれしいものなんですよね。

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日本語の「乱れ」論

2007年12月09日 07時04分30秒 | こちら発行人です

よく「最近の若者の言葉は乱れている」というような説、
新聞で興味本位に取り上げられたりしますよね。
ああいうの、どうも、納得できない部分がありました。
どうも、言語学者さんってそういう存在なのかなぁ、と思っていましたら、
そんなのでもないようなのですね。
あるメールマガジンのコラムに、同じような考えの方の発言がありましたので、
その一節をご紹介したいと思います。

先日NHKの爆笑問題の番組に出演した日本最高の言語学の権威の先生は、最近の新しい日本語に完全に肯定的で、たとえば「私的」という表現はとても興味深いと言っておられた。
古代語はもとより、江戸・明治の言葉からも、現代の言葉は大きく変化しており、「正しい日本語」というのは、年寄りが子供の頃に親しんだ日本語。つまりせいぜい昭和初期の言語にすぎない。「全然~(肯定)。」という表現も、よく誤った日本語とされているが、実は夏目漱石の小説に使われており、明治期には、「全然」は否定を伴うきまりがなく、「断然」とほぼ同じ意味であった事が判明した。つまり、「年寄りは自分の理解出来ない表現が嫌いで、自分のが正しく、そいつらは誤りと思う。」だけである。

というようなこと。我が意を得たり、でした。
そもそも、日本では固有の言語というものの上に、
漢字とか,漢語が上乗せになってきているのが基本だろうから、
いつの時点で「本来の日本語」というのを規定するのか、
はなはだ疑問となると思います。
むしろ、ここまで外来の言語文化を咀嚼して
その上で、「本来の日本語」とまで間違えていってしまうくらい、
完全に自分のものにしてしまっている方が驚異的なのではないか。
むしろそういう「異文化咀嚼能力」のようなものをこそ、
「日本人の誇るべき文化資産」と考えるべきなのではないかと思われます。

歴史で考えても、基本的な「ヤマトことば」のようなものがあり、
最高権力者の名称でも「あめのしたしろしめすおおきみ」などと呼称しているような段階。
圧倒的な超大国であった中国から「国家」制度の基本を輸入した時期。
政治体制とか、書物とか、仏教経典などの漢字文化受容期。
そうした時期に、「天皇」という呼称も定まってきたらしい。
そして、文書主義に基づく官人の基本的な学問として漢籍・漢字への勉強努力。
そうした一方で、宮中女性を中心に発達した「ひらかな・カタカナ」文化期。
そうした文化の全国的な拡散となった全国の生産力の向上を背景とした動乱期。
戦国期にはポルトガル・オランダなどからの単語も受容し、
江戸期という、平安期と似た純粋培養期を経て、
今度は明治維新以降、欧米の概念を輸入し、さらに戦後社会では
アメリカ文化を「カタカナ表記」で、どんどんと受け入れていった。
そんな段階を経て、いまの日本語があり、
これからも変化し続けていくのだと思います。
いまは、むしろ、江戸期に似たような、外来の文化輸入が一段落し、
これから、さて日本人の感性に似合ったように「純粋培養」しようか、
というような段階なのではないかと思います。
外来文化の受容と、国内的純粋培養の時期が交互に来ているようにも感じる。
そう考えれば、漢字をもとに発明したというひらかなや、カタカナって、
ものすごい大発明なのでしょうね。
カタカナというのは、そういう外来のものをとりあえず受容するもっとも手頃な表現手段。
こんな文化を持っているというのは、ほんとうにすごいですよね。

写真は太平洋岸から見る富士山。
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デジタル時代の疲労感

2007年12月08日 08時06分59秒 | こちら発行人です

ある温泉街で古い写真に出会った。
セピア色に彩られた写真で、昭和の初期ころなんだろうか、
その温泉街の佇まいが写し取られている。
ふしぎに味があって、目から離れられなくなった。

って、べつにこの写真に既視体験のようなものを感ずる、
とかいうわけではありません。
デジカメとかが一般的になって、
大量の画像データが日々、飛び交って情報の総量は
昔と比べると驚異的に増えてきているのだけれど、
昔のこういう写真表現の陰影感には
言葉にできにくい奥行きを感じざるを得ません。
まだ、舗装もされていない道路の質感が
思い起こされたり、並木道は人の歩くスピードで
やすらぎをもたらせてくれていたんだ、とか、
その木陰で待ちざまにしている人影にも、
時間がゆったりと流れている感覚がある。

ようするに、時間の感覚が現代はあまりにも急ぎすぎ。
デジタル時代になって、それが極限まで加速している気がします。
わたしの仕事はDTPで雑誌を造っていく仕事なので、
仕事はすべてパソコン上のデータとして扱う。
確かに便利だし、これがなければ仕事にはならないのだけれど、
たとえば最近の「迷惑メール」の増加ぶりはすごいですね。
IT関係の人に聞いたら、いまや飛び交っているメールのうち、
9割近くは迷惑メールなんだそうです。
しかし、一方で役所関係なんかも届け出が
メールで可能になったりする流れは強まっていく。
こんなのでいいのだろうか、破綻しないのか?
たぶん、みなさん、メールについてはフィルタリングを使っているでしょうが、
それを突破する方法も、この手の手合いは一生懸命やるだろうし。
まぁ、いたちごっこ。

この写真のような牧歌的な時代に戻れるわけもないけれど、
どうも、ルネッサンスのように、人間性の復権とかが今後あるとすれば、
デジタル機器に対する人間社会のルールが決まることなのかも知れませんね。
そして、無法に対する的確な処罰が可能になる必要もある。
そのようなことが起こらなければ、
現代人の疲労感は、なかなかレベル低下することはないのではないでしょうか。
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軒の出と縁側ー2

2007年12月07日 06時06分48秒 | 住宅性能・設備

きのうの続きです。
ことし越谷市に抜かれるまで、日本最高記録の気温を誇っていた
山形市での、高断熱高気密住宅の事例。
断熱気密性能に配慮しながら、どのように夏の暮らしを設計するか?
という大きなテーマで建てられた住宅です。

きのうの写真は外部から居間から張り出す縁側と
軒の出の様子を見ていただいたのですが、
今日の写真は居間の側からの写真です。
軒の出は、夏の高い日射角度に対して遮蔽する働きをします。
巻き上げられていたすだれは、その働きを促進しますね。
縁側は、内側とも外部ともつかない、
日本独特な、あいまいさのある空間。
全開放された居間から、わずかな温度変化を体感できるように
仕掛けられた装置と言えますね。
きのう書いたように、このお宅の建て主さんは北海道出身者。
こういう夏の過ごし方について、
DNA的な羨望の思いがあったのではないかと推察します。

北海道の夏は、内地の夏と比べて
その湿度と温度がまったく違う。
いつも、内地の夏のような夏を求め続ける思いが北国の人間にはある。
そうした思いが、こういう装置を背景とした高温多湿な夏に
込められ、ようやく実現した、という感じがある。
はだしの素肌に心地よい木の床と、空気が調和した夏。
大きく開かれた居間と縁側で、内外あいまいな暮らし方。
こういうものに、北海道では感じることができない
「日本の夏」を思うことができるのですね。

しかし、そういう夏を満喫しながら、
窓を閉め、内外を遮断すれば1台のエアコンで心地よい環境も作り出せる。
また、冬の寒さへの対応もしっかり実現できている、
という安心感が、やっぱり基本性能として満たされていなければならない。
そういうような部分が、写真の中に隠されているディテール。
開放的でありながら、気密性に配慮された木製建具。
その木製建具を建物本体とつないでいる構造的な工夫。
冬場の冷輻射を抑える床下からの暖気上昇装置。
ガラス面からの冷輻射に対して有効なハニカムサーモスクリーン。
こういうようなさまざまな工夫が、こういう全開放型の
しつらいの裏側で、意図されているのですね。

さて、師走も第2週。いよいよ年末進行まっさかり。
みなさん、風邪など引かず、がんばりましょうね。
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軒の出と縁側ー1

2007年12月06日 05時53分23秒 | 住宅性能・設備

写真は、ことし取材した住宅の中でもかなり大きな感銘を受けた建物。
山形市での住宅で、中村廣さんという建築家の物件。
氏は省エネ住宅賞も受賞する高断熱高気密住宅のプロですが、
ことし抜かれたとはいえ、日本最高気温を長く記録保持していた
山形市で、夏の過ごしやすい住宅を考えたものです。
高断熱高気密住宅の基本を応用しながら、
主に「寒さ」対策を中心としてきたなかで、
どうやったら、省エネルギーな夏の暮らしを作り出せるのか、
正面から取り組んでいました。
高性能住宅が、省エネというテーマ性で温暖地から求められつつある中で、
どのような具体的な提案が可能なのか、
いろいろなポイントが見られてきわめて興味深かった次第。

しかも、このお宅の施主さんは北海道の出身者なのですね(笑)。
冬は暖かい家に住みたい。
けれど、夏は思いっきり開放型の暮らしで、
しかも、ひたすらエアコンに頼るような暮らしではなく、
日本の夏の情緒も楽しみながら、暮らしたい。
そんな思いを実現できるような建物を希望されたのですね。
このあたりの心情は、大いに理解できる(笑)。
北海道人って、冬寒いのはまず、ダメなんですね。
からっきし、こらえ性がないというか。
思うに、昔の生活ぶりをわたしのオヤジくらいの世代に聞くと
非常に安価に入手できた、場合によってはタダで入手できた
石炭を「ガンガン」鋳物ストーブに「くべて」
外の寒さとは別世界のような室内環境を造っていた。
ストーブに当たる側は服を着ていられないくらい暑くして
一方、背中側は常にすきま風が吹き渡っている、という環境。
エネルギー多消費型の、「力づくの冬の征服」のような
暮らし方が身についている部分があるんですね。
建物の性能を上げて温度差のない室内環境を造るより以前は
このような豊富な石炭を使った冬の過ごし方が一般的。
なので、あんまり「冬の寒さを耐える」文化はない。

そういうふうに過ごしてきている北海道人は
いわばDNA的な記憶で、本州以南に行くと暖かい、と信じている。
ところが、最近よく聞くのが、
冬にいちばん暖かいのはむしろ北海道だ、という説。
ようするに室内環境のことですね。
冬に温暖地といわれる地域に行くと、びっくりするほど寒い。
九州のホテルで、あまりの朝晩の寒さに面食らう。
素寒貧な、冷え上がった木の床に閉口させられます。
で、すこし暖房を入れると大きな窓は一面結露。
布団にくるまっていても寒くて、夜もふるえて過ごす、なんて体験もする。

本題からどんどんずれてきていますね(笑)。
でも、こういうテーマ、面白そうなので(勝手に)続けたいと思います。
長くなりそうなので、本日は1部で、明日以降、2部にします。
申し訳ありません、急遽、連載企画になりました(笑)。ではでは。
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美しい洗面ボウル

2007年12月05日 05時59分47秒 | 住宅性能・設備

ちょっと、お、って思わせる洗面に出会いました。
いわゆる「見せる」という意味ではステキな洗面。
スッキリした木質だけで構成してある中に
陶器製の洗面ボウル。
いいよなぁ、たまには・・・。
というような生活装置ですね。
だけれども、よく考えたら毎日使う空間では
こういうふうにポンと
乗っかっているようなのはどうなのかなぁ、と。
まぁ、こういうのも楽しみ、生活の句読点と考えると良いかもしれませんけれど。

住宅のデザインって、平面のデザインとは違う。
そして、工業デザインとも少し違う、と思うのですが
しかし、工業製品のデザインの持っている「機能性の究極的な理解」力は必要。
この写真は、どっちかというと、ビジュアルデザインの感覚に近い。
こういうのに、どうしても目が行きやすいけれど
「まてよ」と立ち止まれるかどうか、
というようなことが重要なのではないかと、最近感じます。

逆に言うと、機能性を究極的に考えているデザインって、
深々と人を包み込んでくるような包容力を感じさせる。
使い勝手の中での遊びの部分というようなものが面白く感じる。
いずれにせよ、見るものではなく感じるもの、なのかも知れませんね。
だから、住宅って現物の迫力がなにより説得力を持つのかも。
住宅を写真とルポルタージュで伝える仕事をするものとして、
いつも心がけていかなければならない部分だと思います。

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北のくらしデザインします vol.8

2007年12月04日 07時04分13秒 | リプラン&事業

本日はわが社の新刊本のPRを(笑)。
なかなか、正面切って宣伝ってしにくいものなんです。
が、今回の「北のくらしデザインします vol.8」は本当に面白いとオススメ。
以下は、抜粋した内容です。

リプラン特別編集
北のくらしデザインします vol.8 概要
 地球温暖化が世界的な課題となっている今、住宅の高性能化(高気密・高断熱)が注目を集めています。日本における住宅建築技術の先進地・北海道の建築家28名の最新住宅事例を集め、詳細に紹介したのが「北のくらしデザインします」です。寒冷地で培われた住宅の高性能技術と建築デザインの融合、建築主の充実した生活環境の実現という、北海道で活躍する建築家たちの挑戦の軌跡をお伝えします。

北のくらしデザインします vol.8 ー 目次
【対談1】「性能とデザイン」 小室 雅伸×五十嵐 淳
【対談2】「都市に住む」 小西 彦仁×瀬戸口 剛
【対談3】「子育て世代」 日野 桂子×鶴羽 佳子
【対談4】「夫婦二人の暮らし」 井端明夫×志田 真郷

っていうような、内容です。
これまで、北海道内の建築家による住宅事例集という色彩が強かったのですが、
今回はもっとテーマ性を持たせて、
大きなユーザーの関心項目にフォーカスして、
対談+事例紹介というわかりやすく、楽しめるような企画内容としています。
とくに「性能とデザイン」というテーマでは、
新旧の北海道を代表するような2人の建築家の本音が語られています。
寒冷地での住宅設計って、どんなものか、
多くのユーザーにとっても、またプロのみなさんにとっても
大いに参考になるテーマ構成ではないかと思っています。

定価は今回は前回よりも、500円下げて、2000円(税込み)。
絶対面白い内容ですので、どうぞよろしくお願いいたします。
ご購入はWEBでも、以下のページから受け付けられます。
北のくらしデザインします

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ノスタルチックなくらしデザイン

2007年12月03日 07時10分27秒 | 住宅取材&ウラ話

写真は内地(北海道や沖縄から本土を呼ぶ言い方)で、
冬場の暖房方式として伝統的だった「いろり火」。
日中の気温が10度前後くらいのレベルであれば、その時間には
これくらいの暖房方式でも、と思える感じはする。

いま、日本の住宅は既存大手ハウスメーカーの後退、
新興ローコストビルダーの激しいつばぜり合い、
そしてその谷間で、工務店による注文住宅の不振、迷いが見られると思います。
基本的には工務店の家づくりは高断熱高気密の性能向上で
地域の中での信頼を勝ち取っていく、という方向だろうと思うのですが、
いわゆるデザイン的に、伝統的なくらしデザインに過度に偏った
そういう方向で建て主さんをナビゲートしよう、という動きもありますね。
極端な事例では、現在建てられるモデルハウスで
古民家と思われるような建て方をしているようなケースもあります。
たとえばこのような写真の雰囲気を、現代のユーザーに勧めているような動き。
もっと、すごいなぁと思えるのは、
最近の住宅雑誌で、若い夫婦と想定されるモデルさんの
暮らし方を描写するような「事例写真」を見せることで、
伝統的シンプルライフを暮らし提案しているようなケースもある。
こういうのって、ほとんど住宅性能なんて顧慮しない、
一種のイメージ戦略だけで、住宅選びさせているようでちょっと疑問。

考えてみれば、大手ハウスメーカーが大きく業績を伸ばした時代っていうのは
日本全国均一なモダンデザインを丸呑みした生活スタイルを
ばらまいてきた流れだったような気もするので、
そういうものへのアンチテーゼとして、伝統的素材や質感を
一方で大いにアピールするという傾向が出てきていたというのも事実。
そういう部分をもっと進めたような動きだと思いますが、
やはりちょっと、やり過ぎのような気がします。

もちろん、こういう風合いの暮らし方の独特の心地よさはあった。
そういうものは強くノスタルジーを揺さぶられるものではあるけれど、
技術も革新され、現代的快適性も体感しているユーザーというものも考えれば、
住宅供給側が、こういうくらしデザインを推奨するというのは
やはり同意できないなぁと思います。
こういう暮らし方に還れ、というのはそれは不可能でしょう。
昔の暮らしように、思いをはせることは悪くはないけれど、
そういった暮らしが持っていた居心地の本質を考えて、
「現代的にくらしデザインする」ことが求められているのだと思います。
やはりそのためには、住宅内部の温熱環境をコントロールできる技術が
地域の工務店には、求められるのではないかと思います。
こういう暮らし方のエッセンスを理解して、なお、現代的快適性を犠牲にしない
そういう家づくり技術をこそ、ユーザーは期待しているのではないでしょうか。
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全開放型の掃き出し窓

2007年12月02日 06時02分13秒 | 住宅取材&ウラ話

写真は宮城県蔵王での取材先にて。
蔵王というと、きっと寒いのじゃないか、と想像するけれど、
実際には東側に隣接している亘理などと
気候条件は似ていて、宮城県の中でももっとも温暖な地域。
福島県中通り地域と比較しても、暖かい地域とも思えます。
12月はじめですが、南面している居間には
ごらんのような床までの掃き出し窓が付けられ、
しかも、引き違いでもなく、全開放型のものが採用されています。
内側に樹脂で、外側がアルミという複合型サッシ。
熱環境的には条件は厳しくなるけれど、
一方ではごらんのように日射取得熱がたっぷり利用できる。
必要なときにはしっかり気密が取られるべきだけれど、
条件が良いときには、このような開放型の暮らしが楽しめるというのも合理的。
そういうバランスをどう考えるのか、というところがポイント。
そういう意味では、先日取材したような昼間の陽光を
蓄熱体で室内に取り込んでしまうというのは良い考えでしょうね。
「昼間に蓄熱して、必要な夜間に熱を放出する」
という考え方での装置と言うこと。
そうしたタイプの温熱装置が考えられれば、こういう全開放型の窓の
意味合いももっと大きく変化してくる。
太平洋型の、冬の日射量が大きい地域では、いかに南面側の窓を考えるか、
ということが、北国でももっと研究されるようになるかも知れませんね。
もっとも基本的なパッシブソーラーという、理にかなっています。

さて、こういう開放型の暮らし方、しかも
陽がさんさんと降り注ぐ日中には、元気な男の子は内外関係なく
裸足で遊び回っておりましたね。
ちゃんとセーターのような服も着込んでいるのですが、
面倒くさい靴は履かずに、家の前の庭と言わず道と言わず
構わずに実にワイルドな育ち方をしておりまして、元気そのもの。
まぁ、ほれぼれするような男の子らしさ。
正面には大きな川があって、その先には山がそびえている。
住宅地なんだけど、自然と暮らせるような住まいになっていまして、
この子はどのように大きくなっていくものか、
頼もしく、楽しい気持ちにさせられたお宅でした。
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