三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

エントランスの表情

2008年10月11日 06時38分30秒 | Weblog



今度、わたしのカミさんがテレビに出ることになって、
って、フジテレビ系列のローカルのUHBで、
15日の朝の「トークで北海道」というのですが、
そこで「出演者のお宅は?」ということで、
写真だけですが、どうもわが家の様子を写すのだそうです。
そんなことで、パソコンの中をガサゴソ、探してみた次第。
検索技術は進化していて、確かに便利なんですが、
やはりというか、案の定というか、
人間の方の記憶がはるかにいい加減なので、
目的の写真に付けた「名前」に統一性がないので、探し出せない。
ようやく見つけ出せたのが、リフォーム前の懐かしい写真。
その中の1枚がこれです。

その後、増改築したので現在はこういう雰囲気ではありません。
改造して一番残念だったのが、このエントランスの雰囲気だったんです。
木製のパーゴラでシンボルツリーからの動線を受け止める、
そういうやわらかい引き込み方が好きだったんです(涙)。
住宅って、そこのなかでの機能性が一番大切ではありますが、
そこにいたるまでの演出というのも、やはり印象のなかで大きい。
四季折々、また一日の光の移ろいなど、
刻々と変化していくエントランスの表情が、見るものに
「あの家、なかはどうなっているのかなぁ・・・」
という興味を起こさせ、表情も和ませていくものではないでしょうか?

記憶って、過去は美しくしか残っていかないとは言いますが(笑)
この建物への来訪者のみなさんの表情の中に
ある種の、やすらぎとか、ゆとりとかが感じられたように思い出します。
なかなか、予算がきびしくて
家づくりではお金が回っていかない部分ではあると思いますが、
やはり、外部に対して豊かな表情を作り出して、
地域の景観に参加しているという意識も芽生えてくるものなのではないかと思います。

さて、本日も当社2階では
たかたのりこさんの展覧会が開催中です。
スライド上映のセットアップをしたのですが、
やはり、美しい絵はひとをなごませます。
日曜日12日までですので、ぜひ足をお運びください。
詳細はきのうのブログでご確認ください。


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「たかたのりこ作品展」開催

2008年10月10日 06時06分17秒 | Weblog



しばらくわが社2階のオープンスペースは展示会などに使っていなかったのですが
今回久しぶりに利用していただくことにいたしました。
っていうか、これから多いに各種のイベントを開催していきたいと考えています。
住宅雑誌といっても、やはりいろいろにアピールしていく必要がある。
そのためには、ただ雑誌づくりだけではなく、
いろいろな意味でのふれあいを作っていく必要がある。
そんなことから、主に住宅関係のみにイベントを仕掛けていきたいと
考えています。
企画を面白く検討中ですので、ぜひよろしくお願いします。

で、口切りに、住宅関係ではないのですが(笑)
画家のたかたのりこさんに個展を開いて貰っています。
たかたさんは、以前当社スタッフとして勤務していただいていた方。
誰にも好かれる子どもの絵が特徴的。
札幌に在住していた当時の俳優の中井貴恵さんが、
彼女の画風に惹かれて、ずいぶんプッシュもしていたそうです、
東京でも個展を開くと人気が高いということ。
当社を巣立っていってくれた人から、
いろいろに活躍してくれるひとが出るのは、うれしいものです。
彼女は、札幌市の「広報さっぽろ」という冊子の裏表紙の
金融関係の広告誌面でイラストを描き続けています。
もうかれこれ10年は越しているようですので、
「あぁ、あの絵の人か」と、
きっと、ごらんになっている方も多いと思います。
展示の内容は以下の通りです。ぜひご来場ください。

10/9(木)~14(火)「たかたのりこ作品展」 リプラン社屋で開催

小樽在住の水彩画家、たかたのりこさんの作品展を
リプラン本社2階のコミュニケーションスペース「リプラン.com(リプランドットコム)」で
開催します。

期間中、ハープ奏者 によるミニコンサートも開かれ、
たかたさんのスライドショーを見ながら美しい音色が楽しめます。
【たかたのりこ作品展】
  ■日時/10月9日(木)~14日(火)
      11:00~18:00(最終日は16:00まで)
【ミニコンサートとスライドショー】
  ■日時/10月12日(日)
      14:00~15:00
  ■場所/札幌市西区山の手3条5丁目3-5
      リプランoffice 2階「リプラン.com」
      TEL 011-641-7855

<問い合わせ先>
アルビレオ工房
TEL 0134-29-4406
http://takatanorico.com/



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アイヌ文化取材-5 水車利用

2008年10月09日 06時59分37秒 | Weblog



アイヌ文化研究、いろいろな側面から見えてきます。
やっぱり現物がきちんと保存されているのは貴重だと思います。
生活ぶりから、様々な情報が得られる。
写真は水車小屋の様子です。
水車というのは穀類やコメ類というような
「脱穀」しなければならない食品のために考えられるもの。
アイヌ資料館などでは、大きな臼と杵が特徴的に展示されていますが、
ということは、そのような脱穀する食品を常食していたことを表す。
それがもっと進めば、このような水車小屋もあって自然。
残されているこの水車小屋の内部の臼の中には
ヒエが入れられていました。
ヒエは粒がコメなどと比較すればずっと小粒ですが、
寒冷な気候条件でも生育可能な炭水化物取得源。
こうした水車を利用して脱穀して、
粥などのかたちで食用に供していたのだと思われます。
チセの周囲には畑が営まれているので、
こうした食品が栽培されてきたのでしょう。

日本北方地域、北海道や北東北、
宮城平野より北の地域では、ヤマト政権の特徴といえる
コメ生産勧奨による集落形成、管理収奪という「権力」は
存立基盤を持ってはいなかったけれど、
食文化の面でいえば、十分に人間生活を維持させる文化性を持っていたと思う。
ヒエやアワはたしかに脱穀に労力は必要だったとはいえ、
そうした食品の存在の結果、たいへんバランスの取れた食文化だといえると思うのです。
夏からはマスが河川を遡上し、
秋になれば、どの河川をも大量のサケが遡上する。
森からはドングリなどの木の実が大量に採取され、食用の野草・山菜も多い。
越冬食料の知恵も生活文化の中に息づいている。
江戸期に、当時の世界軍事最強国家ロシアによる侵略占領への脅威から
本州以南地域から派遣された武士たちが
一戦も交えずにただただ、食料のバランスが悪く栄養失調で大量死したのですが、
そういう知恵を現地のアイヌのひとから聞き取りもしなかったからなのですね。

アイヌの暮らしを見てきて、
実に豊かな生活文化が見えてきます。
本州以南地域とそう大きな本質的違いがあるとは思われない。
そのうえ、経済基盤的には北方地域の産物によって
ヤマト側と交易体制が成立していたわけで、
富の集積というのも見られたのだと思います。
高地性環濠集落という防御性の高い遺構も見られるわけですが、
そうしたものも、弥生から続くヤマト社会の戦争の始まりの原初的な姿に似た共通性を見せてくれる。
本当に興味深いなぁと、思ってきております。


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アイヌ文化取材-4 自在鉤

2008年10月08日 06時03分52秒 | Weblog



アイヌの人たちの暮らし方が、
その前時代、檫文文化と決定的に違っているのが
調理と暖房に大きな囲炉裏を使用したと言うこと。
檫文文化の時代には、かまどが部屋の隅にしつらえられていた。
それは、煮炊きに使用したものが土器だったことによる。
それに対してアイヌ文化では、ヤマト社会との交易によって
「鉄鍋」が煮炊き用に使用されていたので、
暖房も考えれば、外気からの寒気を遮る意味でも囲炉裏を
部屋中央に配置するほうが合理的になったのですね。
そのために「自在鉤」が必要になってきた。
見せていただいた自在鉤には、
ごらんのように高さ調節ができるような工夫がされていました。
本州地域の自在鉤と違って、
より暖房の用途比率が高い北海道では、
火力を盛大にする必要があって、
そのために自在鉤の方で、鍋への供給火力を調整したと推測できます。
こういう調整機能付きの自在鉤ははじめて確認した次第。
さらに、囲炉裏上部には自在鉤のための棒が渡されていて
そこに曲げ加工した自在鉤が通されています。
大きな囲炉裏スペース内で鍋を移動させて、大人数での食事に利便性を考えたようです。

鉄器の鍋は、やはり土器に比べると
やはり伝導率も高くて、煮炊きに相当の利便性があったのでしょうね。
調理に革命的な変化をもたらせたものだったのだろうと推測できます。
しかし、鉄を作るというのは、
農耕民族の基本的な生産システムから生まれてくる知恵といえるのでしょうか。
砂鉄などから鉄分を採取して、それを高温火力で自在な形を造形し、
固い生産用具、具体的には土地を耕す道具にするのですね。
鉄が利用されることで、食料生産を社会的にコントロールすることができるような
「農耕型社会」が広がっていくということなのでしょう。
どんなに開墾が難しそうな土地でも、鉄器による開墾で容易になったのです。
そのような鉄は、日本列島社会では
狩猟採集を基本とする北海道地域の社会では生産されなかった。
まぁ、ヒエ・アワといった食料生産は行われていたのですが・・・。
アイヌの人たちの社会は、まさにヤマトの社会との交易によって
基本的に成立していた社会だったことが明瞭に見えてきます。
そして、北海道側からヤマト側への交易材料は、
鳥獣の皮革や、羽根類など、さまざまな狩猟採集の成果物だったのです。



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アイヌ文化取材-3 布織り

2008年10月07日 06時01分42秒 | Weblog



アイヌ文化シリーズ第3弾です。
すっかり、布製品を作っていた方と話が弾んでいたら、
外人向け北海道ツアーガイドを研修中の一団とも遭遇して
わたしとの話のやり取りを聞き入って、メモまで取り始めていました(笑)。
とんだことで、取材までされはじめた次第(笑)。

で、やはり彼女の本職は布織りなんですね。
伝統的なアイヌのみなさんの布の基本は木の線維が原材料。
それもふたつの樹種、オヒョウとシナの木だそうです。
オヒョウと聞くと魚を思い出すのですが、そうではなく植物。

オヒョウ(学名:Ulmus laciniata)はニレ科ニレ属の落葉高木。日本列島~東北アジアの山地の分布する。北海道に多い。
オヒョウの名称はアイヌ語由来である。別名アツシノキ(厚司の木)、ヤジナ(矢科)、ネバリジナ(粘科)。
[編集]特徴
高さ約25m。樹皮は縦に浅く裂け、剥がれ落ちる。樹皮の繊維は強靭。葉は広倒卵型で先端が3(~9)裂し、縁には重鋸歯が見られる。両面に白い短毛がびっしり生え、ざらついた手触り。4~5月、新葉の出る前に、淡紅色の小花が束状に咲く。果実は長さ2cmほどの扁平な楕円形をした翼果で、6月ごろ褐色に成熟する。
樹皮(靭皮)の繊維は強靭で、アイヌはこれでアツシ(厚司)という布(あるいは衣料)を織る。別名のアツシノキはこのことに由来。
樹木は器具材、薪炭材、パルプに利用できる。

というようにWikkipediaには記載があります。
見ていると、細かく裂いた木の皮を糸状にして、
それを結び合わせながら、長い糸にしています。
それを写真のような機織りで一枚の布にしていくのですね。
「ここまでの作業がたいへんで、布ができれば仕立て作業は簡単」ということ。
納得できます。
アイヌの暮らしでは、この作業はもっぱら女性の仕事。
まぁ、このあたりは普遍的にそうと決まっていますね。
で、結婚の時には自分で織った布で作った衣類を持参したのだそうです。
女性としての基本能力を表現する仕事なのです。
生成のアイヌの衣装は、このようなオヒョウ製品が基本なのだとか。
そういう意味では、衣類をつくるというのはきわめて日常的な作業。
染めは泥付けなどで行うのだそうです。
ただし、日常使いの衣類ではほとんど生成のまま。
ちなみに機織りの装置は、昔はもっと簡単なものを使っていたそうです。
細かく説明していただけたのですが、
こちら側に理解する想像力が不足していました(笑)。
にしても、布織り作業、糸紬ぎ作業と見せていただいて、
人類文化史の基本を教えていただけた貴重な体験でした。ありがとうございました。



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アイヌの家・チセ

2008年10月06日 06時08分44秒 | Weblog



二風谷の探訪編2です。
民俗資料館周辺には多くのアイヌの家・チセが展示されています。
写真左側のような住宅です。
間取り的には1間だけですが、ほぼ一定に前室というか、
機能的には「風除室」と言える入り口空間があります。
たぶん、冬場の風向きを考えて入り口の方向は設定されているものと推定されます。

そんなチセのなかに一軒だけ、
布製品を作っている方がいましたので、いろいろお話を伺いました。
こちらは住宅関係なので、必然的に作り方のことに質問が及びました。
まず、アイヌの人たちは結婚を契機としてチセをつくるということ。
それも、大部分は婿のところに嫁が来て、
婿の実家の近くに新築するのだそうです。
婿の側では、新築するのに必要な建築材料を揃えることが必要。
建築プロセスを資料館ではビデオで見ることができましたが、
基本構造は掘っ立て柱を四隅などに立てることからはじまります。
地中に1m近い穴を穿って、そこに周辺で伐採した柱材をしっかり固定する。
次にこの柱に横架材を架けていって、基本構造を作る。
そこに三脚状に組み上げた「柔軟なトラス」ともいえる屋根の構造材を立てる。
これが前と後ろに2つ立てられる。
これをつなぐように、棟木が架けられる。
簡単に言って、こんなプロセスで構造が形作られる。
すべてが周辺の山に入って伐採してくる木材ばかり。
その意味では、労力だけでしつらえられる。
一方で、基本建材になるのは写真右側の「茅」。
壁も、屋根も茅で造作されています。
注意してみると、それらが結束されている。
「茅を切って、一定の束にするのは女の仕事なんです」
と、布製品を作っている女性から聞きました。
彼女は、この茅束作りが得意だったのだそうです。
コタンの周辺には茅の自生場所が確保されていて、
家づくりのための材料を協同で確保していたのですね。
「いまはお馬さんたちの牧場になってしまっています(笑)」
この茅束作り、熟練者で1日にできるのは30束ほどだそうです。
家1軒分には、700束ほどの量が必要と言うこと。
で、こういう茅束を使って、
「縫い物を作るように・・・」
構造材の骨組みをくるんでいくように造作していくのだそうです。
茅束ごと、あるいは四隅など雨仕舞いで慎重な場所では束をほぐしたりしながら
この茅束で家をくるんでいくわけです。
で、構造の骨木材に対して、縄やなめした柔らかい木などで
ちょうど茅束の布を,糸で縫うようにして結束していくのです。
本当に縫い針のような用途の大きな木製針も見せていただきました。
屋根は「段葺き」という造作がされていました。
雨への防水対策で、雨漏りしないように工夫されていました。
壁を先に仕上げて、屋根は軒側から順に上に向かって仕上げていくようです。
地震などへの耐力は、聞いていて、かなりの柔構造なので
「どんな地震にもビクともしません」ということ。
建築の最後には屋根にたくさんの人が登って作業することになるので、
自然に建物が「締まってくる」という効果もあって、
完成の時には、凛とした状態になるのだそうです。
たいへん理にかなった作り方だと感心させられます。
茅は中空の素材なので、内部に空気を保持しているので、
一定の断熱性能はあったものと推測できます。
というか、自然素材の中で、もっとも適合した材料ということが出来ます。

以上のような基本建築費用を考えてみると、
構造材などは建て主の基本労務で集めてくることができる。
茅束を計算すると、熟練者で25日くらいあれば作ることができる。
これを1日人工で計算すると、15000円×25日で、375.000円程度。
こうした材料を、建て主が建築場所に用意しておくと、
あとは日を決めて、集落全体の労力で建築工事にかかるのだそうです。
聞き取った工事内容で考えると、10人程度で10日もあればできそうに思えます。
これも15,000円×100で、1,500,000円程度と考えられる。
その他の結束材などを勘案しても、総工費2,500,000円程度でしょう。
まぁ、人工の計算で大きく違ってはくることでしょうが・・・。
いずれにせよ、当たり前ですが、このような自然素材だけで造作されているのですね。

内部には、大きな炉が作られています。
東北地方の古民家と比較してもかなり大きめであるのは、当然か。
明かり取りと、宗教的な意味合いからかならず窓が何カ所か開けられます。
建具は蓋状のものが考えられています。
確かに冬はきびしい暮らしだけれど、暖房すると、
その輻射熱で、かなりあたたかくは感じていたということでした。
家づくりの知恵の深さにしばし、感嘆していた次第です。


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アイヌ文化取材-1

2008年10月05日 07時28分57秒 | Weblog


檫文の文化世界を取材したいと考えている。
あ、檫文っていうのは、土器の名前で北海道の中央部、
石狩低地帯と呼ばれる札幌などの道央圏地域に
7~8世紀から12世紀くらいに繁栄した文化圏のことです。
この文化は、稲作だけがない鉄器受容の文化で、
本州地域日本との交易によって社会機能が維持されてきた文化と言われる。
もちろん、その後のアイヌ文化と同様に文字表記を持たない文化なので、
文献記録で残されているものはほとんどない。
そういう困難をなんとか乗り越えて、
当時の社会の成り立ちや暮らしぶりへの想像力を働かせてみたいと考えています。

とはいっても、困難は相当なレベルの感じがします。
しかし、手がかりはある。
そのあとの民族歴史であるアイヌのみなさんの社会痕跡が残されている。
そういうものを掘り起こしながら、想像力を高めていくしかない。
というような次第で、日高地方の二風谷に行って参りました。
以前、ダムの関係で仕事があり、何度か訪問したのですが、
今回のような目的的な興味がなかったので、ほとんど記憶がありませんでした。
二風谷ダムはアイヌのみなさんのコタンの生活領域に関わった開発行為だったので、
デリケートに扱われ、そのためアイヌ民族文化の保護保全に
多くの国費が費やされた結果、立派な資料館などができています。

写真は丸木船です。
民族の基本的な生活文化というのは、ほぼ似た側面がありますが、
河川の水利を利用するというのは基本的な要素。
そのために船を造るのも、洋の東西を問わない。
まぁ、そういう意味ではごくありふれた展示なのですが、
ここではその製造方法へのチャレンジ映像も公開されていました。
アイヌのみなさんはその文化の初めから鉄器を受容しているのですが、
木を削っていくのに、鉄以外の石器によってのチャレンジも試していました。
そしてその目的に最適な石材もこの地域の河川敷から採取されるのだそうです。
二風谷地域は早期縄文遺跡から積層しているのですが、
その意味で、人間生活に暮らしよい地域だったことが容易に推測できます。
で、その石で丸木船を彫り込んでいくと、実に最適なのだそうです。
こういう情報もあわせて聞くと、まざまざと人間の暮らしが明瞭化する。
それにしても、丸木船を造るというのは大変な労力がいる作業。
なので、できあがると木の神に対しての感謝の儀式も行うのだとか。
こういう船を操って、魚を採取したりするわけで
まさにひとの生存に関わる大切な道具。

同時に展示で興味深かったのが、何を食べていたのかの部分。
男性による狩猟採取の部分ばかりが強調されるけれど、
むしろ、女性たちの労働による、ヒエ・アワ・イモなどの炭水化物農耕や、
山菜などのビタミン採取の季節の生活の知恵などの部分が大きい。
さまざまな山菜への豊かな知恵、その保存や調理方法など、
実に豊かな生活文化が理解されます。
四季の変化に応じた食文化の世界は、豊穣な北国の暮らしの実相を感じます。
このような、北海道の気候条件に適した暮らし方って、
すごいものだと思いました。
あしたは、アイヌの人たちの住まい、「チセ」について見てみたいと思います。


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北前交易品偽装事件

2008年10月04日 08時15分49秒 | Weblog



一昨日は気の置けない友人と久しぶりに痛飲。
やっぱり同世代の友人とは、話が合ってはずんでいく。
かれは最近、ようやく歴史小説のおもしろさに目覚めたのだそうで、
江戸期や維新期の歴史小説、それも司馬遼太郎ものに凝っているそうだ。
まぁ、わたしは学生の頃からのファンなので、
かれが興味を持ったくだりなど、ほぼ頭に入っているので、
どんどん突っ込みを入れていく。
そうすると我が意を得たり、というような感じで
その当時の時代背景などに話が膨らんでいく、っていうような次第。
「おまえ、いい趣味持っているなぁ」
と、話ながら感心されておりましたが、
そんななかで、高田屋嘉兵衛のことに話が及びました。
まぁ、痛快な日本人ということで
司馬遼太郎さんが描き出した人物像のなかでも
最上位に位置する人物だと思います。
かれは北前交易という、船を利用した日本海側の交易品流通ルートで
巨利を獲得したことで知られています。
そんなことで、江戸期の最先端ビジネス・北前交易のことについて・・・。

先日行った余市で見た北前船のミニチュアと、当時の主要交易品、
ニシンの金肥の俵もの詰め作業風景写真です。
江戸期はファッション産業が隆盛を極めた時代で、
最新ファッションとしての京都の衣類が
全国に下っていく時代。
その産業興隆を支えたのが、木綿の生産拡大だったと言われています。
木綿は畑で生産されるけれど、
肥料がたっぷりと必要な商品作物。
その肥料として、北海道で大量に獲れるニシンに注目が集まったのですね。
高田屋嘉兵衛 さんなどの成功は、
こういう時代背景が基本にあったわけなのです。
で、そういう知識はあったけれど、
実際にどのようにニシンの金肥が交易船で運ばれたのか、
恥ずかしながら、やはり余市に行ってみてわかった次第(恥)。
まぁ、考えてみれば当たり前なんですが、
植物繊維で組み上げる俵に詰めて出荷していたのだそうです。
江戸期の社会の仕組みを考えれば、当たりまえですね。
基本はコメ生産なのですから、その余剰生産物である俵がいちばんふさわしい。

で、写真のような俵詰めが船で出荷されたのでしょうが、
そこから実は、船上で多くの場合(としかいえない)
俵の詰め替えが日常的に行われていたのだとか・・・。
まぁ、時間はかかるのだし、ただ漫然と運ぶより、
船員の仕事にもなる・・・。
察しのいい方はお分かりの通り、大きいのから小さいのに詰め替えるんだそうです。
要するに1個のものを2個以上にして利益を倍以上にしようという「偽装」の算段。
そもそも北海道のニシン金肥はいい値段で売れるし、需要はきわめて高い。
ならば、多少ごまかしてもいいだろう、ということのようです。
そのように小さくなって荷揚げされても、飛ぶようにさばけた。
北前船の船主の儲けはどんどん大きくなっていった。
もうやめられない、っていうことなのでしょう。

というようなことを余市の方たちの説明で伺いました。
なにやら、当節の食品偽装などにつながってくる不正の伝統(笑)を感じます。
まぁ、とくに証拠は確認できないし、とっくに時効成立(笑)のことですが、
そうした事情は容易に類推できると思いますね。
当時は、そのような交易についての法律や、チェック体制は
事実上はなかったに等しいでしょうし・・・。
あったにしても、賄賂などでどうとでもなったことでしょう。
交易という世界では、こういう側面も
相当に深く考えていかないと、実態への想像力が失われてしまう、と思いますね。
まぁ、余市のことなので、余談の余談です(笑)。


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バブルの廃墟

2008年10月03日 07時21分19秒 | Weblog



先日、カミさんと小樽方面に行ってきたときに
ふと気付いて、あそこ見に行ってみようか、となった店舗。
小樽市張碓という岸壁に張り付くような地域に建っていた「ユーラシア」という店。
コンクリート打ち放しで、店内からは石狩湾を北に見晴らす眺望を
最大のウリにして、オシャレなお店として
デートコースになっていたという店舗。
開店当時は「商店建築」などの雑誌で大きく取り上げられ、
大変な話題になっていたのです。
その後、まったく噂を聞かなくなっていましたので、
どうなっているのかなぁ、と近くに来たついでに足を伸ばしてみたのです。

案の定、お店は閉鎖されていました。
コンクリート打ち放しの建物はまだ、全然しっかりしているし、
すぐにでも転用できそうな状態に見えます。
敷地や眺望条件にはゆとりもあり、
まぁ、なんとももったいない、っていう感じがしますね。
雑誌などで掲載された様子では、へぇ、こういうコンセプトで
札幌からも結構離れているのに、お客さんがたくさんきて、繁盛するものなのか?
っていうように「すごいなぁ」と感心していたのです。
しかしまぁ、やはり、話題になる=繁盛する、というようにはならない。
格好いいだけでは、永続的な存続には決して結びつかない。

あんまり調べてもいないので、どういう事情があったのかは
不明なのですが、商売がうまくいかなかったのは確かでしょうね。
でもしかし、周辺のみなさんにとっても
このような建築がそのまま放置されているというのは環境にとってマイナス。
しかし、店舗としての再活用にはやはりこういう「わざわざ」店はむずかしい。
どうしたらいいのか、なんとも言えませんけれど、
人ごとながら、なんとも無惨な思いが募ってくる光景ですね。
話題になった建築がうち捨てられていくというのは、やるせない思いがします。



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雨仕舞いと換気

2008年10月02日 06時08分56秒 | Weblog



写真は、ここんとこ続いている余市の旧漁家の食料庫。
大人数が生活していくためのコメとか、味噌とかの食品蔵なんです。
現代の住宅では、換気は義務化されていますが、
昔の建物は基本的にスカスカの空気流動の大きい建物が一般的。
そういうなかでも、とくにこういう食品庫の場合は
さらにそういう要素を求めている仕様。
立地的にはこの施設の敷地内で、一番高台に配置されています。
津波などがきたとしても、一番被害が少なそうな位置。
で、建物として特徴的なのは、
雨仕舞いの重厚さ。
雪のことを考えると、屋根の軒の出は
やや少なめにした方が、積雪荷重、端部への雪氷の付着から雪庇から
守ることができると思われるのですが、
その分、太い材を使用してがっしりとした屋根を構成して、
しっかりと軒を出しています。
前面の犬走り(小石の敷き込まれた空間)も幅広くなっています。
その上、出入り口にも小屋がけされていて、
入念に雨仕舞いへの配慮がされています。
軒の出が大きいので、冬期の積雪も建物からやや後退距離が保てそうです。
まぁ、余市は風は強いけれど、海に面しているので
積雪量自体はそう、多くはないところではありますが・・・。
空気流動を建物内に呼び込む工夫として
床高が高くなっています。
見ての通り、4段ほどの階段が架けられているほど、床が上がっています。
このように作ることで、床下空間がたっぷり確保されます。
床を構成する構造材も太い材が使用され、
それらの作り出す格子が大きな開口部を見せています。
そのように建物内部に導入された空気が
小屋上の換気口が見えていますが、
そこから上昇気流で廃棄されていく仕掛けが見えます。
食品などの保存としては、高床式倉庫という
日本的、というか普遍的な伝統技術が踏襲されていると感じます。
あとは食品庫としては、
ネズミなどの食害への対策が考えられていました。
いずれにせよ、理にかなった建て方がシンプルに反映していると思いました。

さて、きのうはおかげさまで、
北海道日本ハムファイターズ、めでたくクライマックスシリーズ進出が決まりました。
2位通過はできませんでしたが、
スカッとした大量得点勝利プラス豪華投手リレーでの完封勝利。
最後の最後で、こういう勝ち方をしてくれるのは、
選手たちの集中力の賜物でしょう。
札幌に移転してきてくれてから、これで4度目の進出です。
ことしは苦しい戦いが続きましたが、
やはり底力が付いてきているのかも知れませんね。
これで10月もまだ、野球を応援できる幸せをいただけました。
他チームファンのみなさんには申しわけありませんが、
なんとか勝ち抜いて、ふたたび札幌ドームにチームが帰ってきて欲しい!
そんなように夢想を大きく持って、応援していきます。
頑張れ、北海道日本ハムファイターズ!!



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