三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

北斗遺跡

2008年12月22日 06時18分25秒 | Weblog



おととい、やっとの思いで撮影してきた
北斗遺跡であります。
どうも様子を見てみると、12月に入って内部公開は
止めているようで、板戸が閉められ、鍵も掛けられておりました。
国の指定する史跡であり、
保存の意義からして、当然の処置と思います。
内部については、できれば電源機器などを持ち込まない限り
満足には撮影できないだろうと思っていたので、
まぁ、やむを得ないと了解できました。

ことしも実にたくさんの住宅を見てきましたが、
この家々(復元遺跡なので、?ですが)は、そういうなかでも格別。
現代住宅は実にさまざまな「材料」を使って建てられる。
その多くは化学製品を使わざるを得ない。
建材ということばに、わざわざ、「新」という言葉を付けて
化学処理した建材を使う。
室内の温熱環境をコントロール可能なものにするために
壁の室内側にビニールシートで「気密層」を作る。
また、壁の中にはガラスを繊維状に加工した材料を使う。
このことは、現代技術では、仕方のない選択だと思う。
しかし、それ以外では、できる限り、自然とともに呼吸できる素材を使いたい。

そんな思いを持って、現代住宅を見つめている。
この家々は、そうした思いから見つめ返したとき、
まさに極限的にシンプルな素材で、
しかも、可能な限りの知恵と工夫で
きびしい自然条件と戦ってきていた、先人達の思いを伝えてくれている。
まずは、竪穴という言葉そのもの、
地面を掘り込んで、柱を立てる穴を造り、そこに掘っ立てで柱を立てる。
その柱に対して、横架材を交差させ、やわらかいシナの木の樹皮などで
縛り上げていく。
そのように構成された軸組に対して、
茅束で屋根とも、壁ともいえる面を掛けていく。
そこでもやわらかい樹皮を使って、茅束を「編み込んで」いく。
屋根頂部には、雪割りを意識したものか、
樹皮を裏側にして被覆した木材が渡されている。
このような造作された内部では、
いろりによる暖房、かまどによる調理装置が作られている。
暖房装置は、掘り込んだ土壌に熱を貯えるように機能して、
たぶん、極寒期でも、一定以上の温度環境を作り出せていただろうと
推測できる。

数少ない自然そのままの素材を使って、
しかし、なんとも合理的に、
知恵と工夫で、生き抜いていくたくましさを感じる。
こういう姿に、「わび」を感じるのか、生きるバイタリティを感じるのか、は
見る人によって違うだろうと思う。
確実にこれは「わび」の精神に通じているとは言える。
だがしかし、そこには、必死な生存への思いの方が強烈で、
精神文化、というゆとりは生み出せなかっただろうと思う。
それでも、作られていた土器の中に、深い精神性を感じる瞬間もある。

そんないろいろの思いを
感じさせてくれる、家々だったと思う次第なのです。
これからも、訪ねることが多くなりそうな予感を持っているところです。



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往復700kmドライブ

2008年12月21日 08時22分36秒 | Weblog



ことしもあと残すところ、旬日。
仕事もようやくメドが見えて、どうしてもことし、もう一度行っておきたい場所へ、
早朝、家を出て車を走らせておりました。
目的地は釧路周辺の北斗遺跡です。
前回行ったときには、デジカメを忘れてしまっていたのですが、
あまりにも鮮烈だったもので、
どうしても自分のカメラで撮影しておきたかったのです。
往復では700kmを越すドライブなので
土日で、ゆっくりと考えていたのですが、
札幌は冬にめずらしい雨。
それが、徐々に日高山脈に近づくにつれてみぞれから、
写真のトマム周辺、
さてどの辺やら、最近通ったトマムから道東への高速道路へ向かっていく道の途中です。
ここまでたどりつくと、ブリザードふきすさぶ、
真冬の素晴らしい光景が襲ってまいりました(汗)。

あまりにも懐かしい(笑)光景なもので、
つい絵になりそうな場所で車を止めて、カメラを構えた次第。
本当はそんなのんびり出来る状況ではなく、
ワイパーに雪氷がくっついて膨らんでくる。
前面の状況がハッキリ確認できなくなる。
積雪が猛烈で、除雪の追いつかない道はハンドルが横滑りする。
やむなく道路中央寄りを走行していると
同様に走行してくる対向車がカーブの地点で発見され、ハンドル操作に注意を要する。
へたに停車すると、場合によっては危険な状況なので
天候の回復をやり過ごす、ということも出来ない。
っていうような冬道状況に、飛び込んでいってしまいました。
まぁ、北海道育ちですから、慣れてはいますが、
夏場にしか、この道路は通ったことがなく、
状況の一変したこのような状況を走るのは初めてでした。
なにせ、勝手知った国道274号線と違って、
案内標識も少ないし、なんといっても道路が路肩も狭く、カーブも多い。
これは冬場、吹雪の状況では危険な道路だと認識した次第です。
なんとか、トマムまで到着して
ガソリンスタンドでワイパーの氷を解凍するスプレーなどを
さっそく使用して安全確保策を施して、事なきを得ましたが、
ちょっとあまりにも不用心だったと深く反省。

道東に入っても、十勝では軽い降雪も続きましたが、
釧路圏では青空も覗いておりました。
っていうようなことで、
写真撮影を1時間ほどおこなって、目的は達成。
で、緊張を日帰り温泉・山花温泉に入浴して一服。さてどうしようかと考えたら、
まだ時間も2時と早いということで、
予定していたホテルをキャンセルして、
まっすぐ札幌に帰ることに。
さすがに帰りには、積雪状況の夜間ということで、同じ道は避けることにしました。
結果、強行軍での往復700kmの走行。
時間にして、15時間ほどのロングウェイドライブの1日でございました。
さすがに本日は、ぐっすり、疲労回復に努めておるところです(笑)。
でも、あんまり若くないので、いい加減にした方がと、深く反省しております。
ふ~、やれやれ。



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沈黙が支配する季節

2008年12月20日 04時09分10秒 | Weblog



寄る年波、ということでしょうか?
ごくなにげない風景やことがらに無性に思いが募るときがあります。
以前ならば、そう感じもしなかった北海道の冬景色。
どこにでもあるような冬の寂寥たる景色にこころが騒ぐ。

っていうようなことを感じておりましたら、
おとといのJIA出江寛会長のお話の中の一節がこころに飛び込んできました。
優れたデザインの中には、沈黙が仕組まれている・・・。
というべきなのかどうか、
そこまで言い切っては、出江寛さんの論旨をはずれるかも知れませんが、
文化性を持った都市には、かならず沈黙が支配する空間が豊かに存在している
というご意見でした。
京都の龍安寺石庭などを例として示されていました。
そしてそこから、日本デザイン文化の持つ、
「間」の文化と、「対比性」にも触れられていて
氏の設計の根源的な考え方が、目の覚めるように見えた瞬間でした。
出江寛さんの感じられている「沈黙が支配する」街として
京都・奈良・倉敷の3つの都市が上げられていました。
それぞれに、深く納得できるお話しだったと思います。
しかし、
北海道の寂寥とした冬の季節、その景観を
目に焼き付けながら育ったものとしては、
そのような人間の作り上げた世界を超えて、
この、ごく身近に感受できる場所に、ことばそのまま、
「沈黙が支配する」空間世界が、
わたしたちを包み込んでくれていると感じてしまいます。

写真はつい先週、ふと訪れた支笏湖の景色。
冬枯れた世界、凍り付く直前の光と影の世界です。
豊穣なモノクロームの世界、とでも言える世界なのではないかと感じます。
しかし、都市としての札幌には
確かに、そのように文化的意図を持って、
「沈黙が支配する空間」というものが存在するか、と
問われれば、たいへん心許ないと言わざるを得ません。
なにもかも「つるりとした」味気ない近代合理主義的な
「建築材料」が幅を利かせる都市空間だと思います。
さみしい、と言われれば、その通りです。

こういう写真のような荒涼たる世界に似合うような
住宅建築って、やはりどんなものなのかと、
振り返って再び考え込んでしまいます。
以前、リレハンメルでオリンピックが開かれたとき、
それをアピールする環境映像が流され、
そこに存在している素朴な住宅達が、
なんとも言えず人間的でかわいらしかったことを覚えています。
北国の人間を癒す、沈黙が支配する(住宅)建築って、さて?



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天然ガスの「面的利用」

2008年12月19日 06時20分16秒 | Weblog



天然ガスはわかる。
自然エネルギーであって、クリーン性はきわめて高いエネルギー。
でも、「面的利用」ってなに?
面倒なのかなぁ(笑)、などとダジャレも頭に浮かびつつ、
パネリストにJIA出江会長や、北海道の建築家・中山真琴さん、
札幌出身で商業建築などの作品の多い笹森則次さんなどの名前を見て
急な知らせでしたが、「報道席」にて見てきました。
あ、要件を書いていませんね(笑)。
どうもガス会社の関係で国から既存街区のビル建築などで
エネルギーを天然ガスに転換して、
2以上の建築物のエネルギーを共用するようなプロジェクトに対して
補助金が出ることになったそうで、
その全国的啓発として、まずは札幌でセミナーを開催することになったのだそうです。
まぁ、街づくりというようなテーマに関わることから、
JIAのみなさんに声がかかって、こういうセミナーとなったようですね。
ううむ、どうも背景説明がかなり、こんがらかっていますね~。

JIA出江会長のご意見は何回か、聞いておりまして、
あのご意見と、今回のこの補助金のお話しがどうつながるものか、
まぁ、こっちは気楽な立場ですので
講演セミナーを「取材」させていただいた次第です。
小型のコージェネに対して補助金が出ることになりました。
なんと、設計料に対しても1/3の補助金が出ますよ、ということ。
JIA出江会長からは文化の面からの街づくりへの基調的な提言がありました。
珠玉のような力とイマジネーションのある言葉が
つぎつぎと氏の語り口からは飛び出してきます。
まことにその通りと頷けるようなお話しばかり。
やはり、選挙で戦ってJIAの会長職に着いただけに、旬を感じさせる
ひととしての迫力のようなものを感じずにはいられません。

一方、札幌地元の2人の設計者からは
そういう提言と深く同意するようなお話しが聞かれました。
お話しの総括としては、
セミナーのテーマとはどうなんだろうとは思ったのですが、
やはり美しく愛着を深く持てる街とはどう作るべきであるのか、
ということに集約されていたように思います。
建築家のセミナーなので、当然の成り行きですね。
中山さんからは
バルセロナの街の市長さんの奮闘ぶりが報告されていました。
結局、よい街を作っていこうと考えれば、
一建築家だけの範疇は超えてしまう部分なのでしょう。
このあたり、現実はなかなか難しいですね。
出江会長の、「本物の素材を使うべきだ」という考えはまったく同意するのですが、
そういう素材を使えないようにしているのは
「防火基準による材料の規制」が結果しているのは明らか。
燃えるからと、住宅地でも木材を外壁に事実上使えなくしているのは
国が定めている法律のせいなんですね。
コスト的にも見合う、ということを考えていくと
事実上、化学製品であるサイディングを使うしかないのが現実。
むむむ、さてどうすべきなのか?



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おニューなMacトラブル

2008年12月18日 05時50分19秒 | Weblog



わが社では、いま年末進行の真っ盛りであります。
同時進行案件が2件、ありまして、作業は最盛期。
なんですが、そういう時を狙って、
来て欲しくないのがやってきました。
ご存知、パソコントラブル、であります。
しばらくご無沙汰だったもので、っていうか、
最近はMacがシステム安定しているので、
まぁ、あんまりないと高をくくっておりました。
トラブル自体は、誤ってゴミ箱に入れてしまって、消去してしまったという
よくあるパターンです。
処置としては、すぐに対処方法が見えてきて、
事実、それでいろいろレスキューして、時間はかかっていましたが、
まぁ、なんとかなるということにはなりまして、
ホッと一安心でした。

ただし、その過程で
バックアップ用のHDを購入してきまして、
それを非常時にはMac用の起動ディスクとしても活用させようと
フォーマットしようと試みたわけです。
非常時にシステムがインストールされていれば、
そっちを起動ディスクにしてすぐにデータを移動も出来るし、
データ復旧を計るのも即、取りかかれる。
ということで、作業しはじめたら、
OSの標準フォーマットソフト、ディスクユーティリティでは
いままでの手順ではフォーマットできなくなっている・・・。
ヨドバシで買ってきたWin-Mac両対応の外付けHD、最近は1teraサイズが
15000円程度なんですね、はじめて知った、のですが、
それがMacフォーマットできず、
DOSでしか、フォーマットできない。
当然、OSがインストールできない。
なになに・・・であります。

で、いつものレスキュー専門店さんに電話したら、
そっちでも「え?」。
「調べてみます」ということで、
やや時間があった後、すぐに電話連絡が来ました。
こういうケースは、はじめて遭遇すると言うことらしく、
大急ぎで調べてくれたらしい、感謝。
で、説明によると、OS10.5から、新しいフォーマット形式が
「第3世代フォーマット形式」ということで、機能搭載されているそうです。
具体的には、「パーテーション」タブをクリックして
選択可能になる「オプション」メニューに
写真のように、新しいフォーマット形式が選択可能になっておりました。
PowerPC_Macと、Intel_Macとにふたつのタイプが混在している環境では
起動ディスク外部HDを作成する場合、
注意をしなければならなくなっているのですね。
やれやれ、そういうことか、
っていう次第ですが、サポートのひともはじめて知った、ということなので、
こっちとしては、ホエ~、っと絶句するしかありません。
やれやれ、なかなか、PC進化はしぶとく続いているようで、
こころ穏やかに、平穏無事な作業環境というのは
そう簡単には問屋が卸してくれないようであります。ふ~む・・・。




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玄関の意味って

2008年12月17日 06時57分10秒 | Weblog



玄関、という概念ってある意味、面白い。
玄、という言葉と、関という言葉が組み合わさっている。
関のほうは、意味が明瞭で、
外界と家の中を仕分ける意味合いが込められていることはわかりやすい。
一方の、「玄」というほうは、しかしなかなか、形而上的。
玄妙、という言葉の意味合いのように
「非常に優れている」というような意味合いが込められている。
漢和辞典で見てみたら、
玄関、というのは、玄妙な道に入る関門、と書かれてある。
仏教的な概念が言葉のそもそもの意味に近いのだそうですね(ホエ~)。

そんなことを今更言われても、
日常いつも、考えることもなく使用しているわけで、
別に仏門に入りたいと考えながら、玄関を通過しているワケじゃないよ、
と言いたいところではありますが、
日本語の成立過程からすると、そのような概念が込められているワケです。
確かに欧米住宅では、このような明確な玄関はあまりみられない。
靴をいちいち脱ぐという習慣も、あまり聞かない。
いわんや、名詞単語にそのような意味合いを付与しているというのは
ありえないでしょうね。
まことに、「生活は文化」ということを認識させられる次第です。

現代生活は、リアリズム的な機能性を重視した社会なので、
そういう視点からは、建物への出入り口という機能だけに絞られやすいのですが、
古民家や、立派な歴史的建築を見れば、
宗教的というか、精神文化的にとらえるという文化に気付かされます。
写真の玄関は、ことし見てきた中でも
かなり頑張って作っていた玄関の様子です。
玄妙と言う言葉の語感に似合った土間の黒い、玄昌石タイル、
式台と、上がり框、収納扉にケヤキ無垢材が使われ、
床板にもヒノキが使われていて、
玄関に入った途端に、香ばしい木に包み込まれるような雰囲気でした。

こういう立派な玄関に出会うと、
やっぱりそうだよ、玄関ってこういう意味なんだよ、
と改めて、思い起こさせられますね。



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デザイン炊飯かまど

2008年12月16日 06時17分05秒 | Weblog



写真は、江戸期の宿場町住宅の土間に据えられたかまど。
大人数が働く商家で、その胃袋を満たすための装置なんですね。
首都圏の古民家を集めた場所に移築されたものなんですが、
「かまど」なのにまるで神様のように飾り立てていてユーモラス。
大人数の働く意欲を刺激する装置ですから
一番大切なインテリア装置だったものと思われます。

こういうたくさんの人間のための労働施設では
目に見える「腹一杯食べられそうだ」という部分が意味が大きかったのでしょうね。
北海道でも、ニシン漁のための働き手、
季節労働者を集めるための魅力的な条件として
「めしはいくら食べてもタダ」というものがかなり有力だったそうです。
労働者勧誘に当たって、こういう条件は
最大の口説き文句だった。
それだけ、食べていくということが難しい、貧しい時代だった。
しかし、このかまど、釉薬まで塗り込められていて、
また、形態も曲線が強調されていて、
現代のシステムキッチンにまで通じるようなデザイン性。
確かにうまそうな飯が炊きあがりそうな印象が強く感じられます。
このあたり、かまど製造の発注者であるこの建物のオーナーの
認識のありかを、そこはかとなく伝えてくれている気がしてくる。
どんなことがあっても、食べるだけは安心だなぁ、と思える装置なのか。

このかまどは、作業場としての土間にどんと置かれていたので、
建築的な配置意図としても、そういう計算はあったことでしょう。
料理をしていると、少し作るよりも
たくさん作った方が、味わいが深くて、おいしく出来上がる気がする。
きっと、素材のハーモニーがより大きく働いてくるからではないかと思う。
こんな装置から出来上がってくる食べ物、
一度食べてみたいというくいしんぼなのは、わたしだけでしょうかね。



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冬の遺跡探訪

2008年12月15日 07時16分10秒 | Weblog



札幌郊外には多くの古い年代の遺跡が点在しています。
石器時代から縄文時代、続縄文~アイヌ期まで
農耕が大規模に行われなかったので、
こうした古い年代の遺跡が残り続けてきたのでしょう。
逆に言えば、他の地域ではそういう条件がなく、
今現在も、そういう遺跡上に生活が営まれているのでしょうね。
冬の状況の中で、こういう遺跡の風景がどんなものなのか、
そんな思いも持っていたので、冬道、車を走らせてみました。
まぁ、遺跡とはいっても、現状の姿は再現しているわけでもなく
生活痕跡を探しても、たいていは埋め戻されているので、
何も残されてはいない、殺風景な状況が広がっています。
そんな遺跡のひとつ、恵庭公園遺跡の様子です。
っていっても、まぁ、冬の散歩道が続いているだけです(笑)。

この公園の中には川が流れているのですが、
現在は途中で途切れてしまっていて、
川にえぐられたようなやや谷地のような景観が確認できました。
こういう考古の探訪をしていると
周辺の自然環境というものに敏感になります。
現代生活のように、条件はどこでもそう変わりなく生活が出来るワケではなく
人間が暮らして行くには、いろいろな条件、
とくに河川のそばというのが絶対的条件であるという事実に突き当たります。
というか、北海道に暮らしてきた人びとは
どうも、交易活動がその基本的性向のように思います。
生活必需品である鉄鍋をまったく生産していなかったアイヌ社会は
成立の当初から、和人社会との交易活動を必須としてきた。
ちょっとこのあたり、信じがたい部分でもあるのだけれど、
シャクシャインの戦いが、その発端がアイヌの子どもが
鉄製品の補修を和人に頼み込んだことからといわれていることなど
どのような事情であったのか、暗示的でもある。
和人社会の側は、そういう製鉄の技術を伝統的に伝えなかった、
というか、教えることを禁じてきた歴史のようです。
でも、アイヌの側から製鉄技術を摂取しようという動きもなかったのか?
江戸期の松前氏が、一貫してきわめて防御的な土地に立てこもって
蝦夷地の開拓という方向に向こうとしなかったのは
そうすれば必然的に製鉄技術を教えねばならず、
そうすると、それが武器となって自分たちを滅ぼしにくる、
と、そう難く信じ込んできたからのような気がします。

和人社会がアイヌの人びとに対して
共存的に、かれらの経済的発展を図る方向を向いていたら、
もうちょっと日本の歴史は変わっていたものになっていたように思います。
少なくとも、多民族的な、連合国家的なものになっていただろう。
沖縄と北海道は、イギリスのアイルランドのような存在になっていっただろうと思う。
「単一民族」史観が、さまざまな国際的軋轢を生み出したことから考えると
もうすこし、「外交」の経験値の高い国家になっていたことは間違いがない。

そんな雑感を抱きながら、
しかし、爽快にさわやかな青空の下、
しばれる足下を踏みしめながら、歩き回ってみた次第です。



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なんでも燃やせるボイラー

2008年12月14日 08時32分53秒 | Weblog



長野県の住宅で実際に使っている事例をはじめて見たボイラー。
このボイラー、家庭で出るゴミ、
プラスチック以外はなんでも燃やせるというヤツ。
まぁ、ゴミ焼却炉をコンパクトにして
家庭用にしてみたんですけど、というものなんですね。
このお宅では、暖房給湯用に利用されていました。
家の外の物置に設置して
まぁ、なんでも食べてしまう焼却炉。
デザインは至ってシンプルで赤いハンドルを回して
焼却炉を開口させて、どんどん放り入れればいいということ。
薪ストーブは燃料になる薪を入手するのがひと苦労。
ペレットストーブも、いまのところ燃料代が高く付く。
それらに比べて、どんなものでも燃やせるという利点はいい。
確か、FFタイプで燃焼用の空気は外部から取り入れ、
排気も外部に排出できるので、家の中でも使える道理になっている。
燃焼効率がよさそうなので、それほど燃焼廃棄物の心配はなさそう。
っていうことで、いいかなぁ、
ちょっとわが家でも検討しようかなぁ、と考えたんです。
わたしとしてはこういうモンスター的なデザイン、
眺めて暮らすのは全然オッケーなんですが、
さて、家族がなんというか、っていうところ。

これだと家庭で取っている新聞紙やチラシ、
勝手に折り込まれてくる宅配チラシなど、
わざわざ、リサイクルに回していたものがそのまま、燃料化する。
薪といっても、建築廃材などでもまったく問題ない。
薪ストーブの薪って、けっこうデリケートなもので
広葉樹系の脂身があって火持ちする樹種でないと不都合が多いと聞きます。
そういう気遣いは一切不要。
っていうことなんですが、
まぁ、デザインでしょうねぇ・・・。
わたし自身は、こういう機能性の美しさのようなものに
ある種、親近感を持つのですが、
一般的には、やはりもっと女性的な洗練が求められるのでしょうね。

ことしは実に多様な暖房形式が話題に上ってきます。
ヒートポンプ暖房が実際的な選択枝になってくるものかどうか、
いよいよそうした議論が起こってきているのですね、北海道でも。
地中熱利用タイプはいろいろ面白そうなんですが、
やはり設置コストが問題になってくる。
掘削の費用が大きいのですね。
なので、そうなると簡便なのは空気熱利用タイプ。
これが進化してくると、日本は一気に「環境先進国」として
次世代の経済成長技術を得ることが出来るのではないか、といわれている。
北海道で空気熱源タイプが実用化できれば、
ヨーロッパ市場などは一気に制圧できる。
ロシアの暖房技術者が、北海道に来てさかんにこの空気熱利用ヒートポンプに
注目していると語っているそうです。
ヨーロッパ製品と比較して、日本の製造管理技術はずば抜けているので
実用段階に至れば、世界市場を席巻すると踏んでいるようなのですね。
ということなのですが、
外気温マイナス30度になる北海道の寒冷気候の空気の中から
熱を取り出す技術というのは、そうは問屋が卸してくれない状況。

そのほかにも燃料電池とか、技術発展が待たれるものが
目白押し、というのが現状なんですね。
混沌とした状況で、たとえばロードヒーティングなどでは
地中熱ヒートポンプが実用レベルとしてのメドがついてきた感じでしょうか。
寒さも、景気も吹っ飛ばすような
実用技術の大発展を期待したところなんですが、
さてどうなっていくのでしょうね・・・。



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8Wの蛍光管照明

2008年12月13日 07時58分20秒 | Weblog



きのうのテーマに引き続いて照明のことです。
宇都宮の取材先で見た小さい蛍光管照明です。
家事コーナーをキッチンの一角に造作していて、
上部に収納があるところから局所的に照らしている光源に利用していました。
こういう小さい領域には、白色球が使われてきたけれど、
蛍光管をよりコンパクトにする技術が向上してきた。
というか、温暖化対策で白色球が敬遠されて
その分、蛍光管への研究開発が進んでいることの結果に違いありません。
左が蛍光管本体で、これをまわして電源部に装着させる。
右側はシェードになるもの。
デザイン的にもなかなかスグレモノと思いました。

白熱電球から蛍光管へのシフトって、
十分に理解できるのですが、
こと写真撮影という面から言うと、蛍光管照明って
色味が狂ってくるので、カメラ側でフィルタリングするなりして
色調を計算しないと、撮影した写真の色が現実を反映しなくなる。
このあたりはカメラマンさん泣かせではあるのです。
やむなく、撮影に当たっては蛍光管照明は切らざるを得ない。
まぁ、どうしても光量が不足する場合は
そのまま撮影して、できあがった写真を補正するということになります。
蛍光管を電球色にしたらいいのかというと
そういうものでもないのですね。やはり色味を変化させてしまう。
こういう問題は、しかし、やむを得ない部分でしょうね。
逆に、こういう照明に変化してくる室内環境に対応して
住宅デザインの側で、それに似合う室内の考えを打ち出していく必要がある。
まぁ、そういう意味ではシンプルモダン系の
室内デザインだと、伝統的な「木質的な質感重視」デザインタイプよりは
蛍光管照明との相性はいいと言えるかも知れない。
しかし、やはり室内デザインの主流派は伝統的木質デザインであることは
今後も変わらないのではないかと思われるので
やがて、蛍光管が似合うような伝統的タイプの室内デザインが
生み出されてくるものかも知れない。

とくに寒冷地の場合、
北欧などでも、木質をいかに魅力的に見せるか、が
デザインの基本要素である気がします。
寒い地域では、室内にいる時間が長く、
そこに人肌に似た風合いの木質があたたかさと懐かしさを呼び覚ますと思うのです。
このあたり、デザインという意味では
時代が変化を促している部分であると思うので
密かに注目している部分ではあります。さてどうなるのか・・・?



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