三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

バホそばドン丼

2011年12月21日 06時27分11秒 | Weblog





どうも最近、やばいのです、食欲が・・・。
晩ご飯は、きのうなんか息子に作ってやっただけで
自分はあんまり食べておりません。
息子には鍋を作ってやって、いっしょに話を聞いたりしていましたが、
自分では、アップルパイを半分ほど食べただけ。
なんですが、昼は俄然、食べる気満々になってしまっているのです。
で、これもわが家周辺の札幌市西区琴似の「三徳」という
そば屋さん、ときどき行きます。
店舗はお世辞にもきれいとは言い難く、
息子に1回、食べに行こうと誘っているのですが、
拒否されております(泣)。
まぁ、こういった大衆食堂の奥深さは、まだ理解できないか(笑)。
この「バホそばドン丼」っていうのは、
カツ丼と、天丼、そばをミックスしている丼ぶり。
まぁ、出てきて見た目はカツ丼なんですが、
すこしハシを入れると、そばが顔を出しているし、
(写真は、そばを見えるようにハシを入れたところ)
よく見ると、天丼のエビが顔を覗かせてもいる。
で、味は基本的にはカツ丼の味で統制されている。
そばは、ご飯との間にサンドイッチされていて、
これも舌ざわりに変わった食感をもたらせてくれている。

まぁ、ボリューム感がすごいので、
最後まで食べきるというのはわたし、難しいのですが
体調がイマイチで、食欲だけが旺盛というときには
なぜか、ガツンと挑戦したくなるワケです。
一度、建築家の小室雅伸さんとばったり出くわしたこともあり、
案外、こういうのに弱い人は多いようですね。
きのうも、いいところまではいきましたが、
最後、どうしてもご飯を残してしまいました。
こういうのって、
体重増加の兆候を現しているようですね。
一回、そういう志向性に向かおうとする回路を
頭のなかで整理して、より健全な方向に
シフトチェンジしていかなければならない、と思っています。
やばいのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宗教の雰囲気

2011年12月20日 05時51分05秒 | Weblog





きのうからのシリーズ(笑)であります。
ことし巡り歩いたなかでも、かなり衝撃的だったのが
兵庫県の「英賀」神社の見学でした。
かなり古格な神社で、式内社にも名前が出ているという神社です。
たぶん、ヤマト朝廷による神社統合以前から存在していたと思われるのですが、
まぁ、あんまり調べていないので、想像ですが・・・。
っていうのは、民衆とこの神社との距離感が
非常に近接して感じられて、どうも明治神宮なんかと比べると
まったく違う系統に属すると確信させられたワケなんです。

写真のような奉納板絵が飾られているのですが、
描かれている題材はまったく渾然一体という感じでして、
演劇の中のよくあるシーン、たとえば忠臣蔵であるとか
戦前の軍崇拝調のものであるとか、
ヘタをすれば、特定の役者の似顔絵まで出てきそうな
そういう猥雑さにあふれている。
非常に「大衆」「百姓」をビビッドに感じさせられるのです。
NHK教育放送ばかりやっている神社本庁にたいして、
それこそAKB48ばっかりやっている金儲け民間放送っていうような対比を感じる。
こういうタイプの神社、そして宗教っていうのもあるんだと
深く頓悟させられたんですね。

どうもこの神社、由来は古く、
ヘタをすると違う系統の神さま、出雲の神さまの支店のような
そういう気もしてきます。
出雲の神さまって、ヤマト朝廷の神さまと
仲良くした別の神さまであって、
その神さまを奉る人間集団は、
ヤマト的集団とは少し違う文化を持っていたのではないか。
そんな想像力の沸き立ちを抑えがたい(笑)。
戦国期にはこの神社周辺は
一向宗本願寺の一大勢力地帯になって、
大阪本願寺への食料配送最前線であったようなのですね。
この地の支配者層も、積極的にそうした宗教的立場を明示していたようです。
歴史的にも、民衆性が強く残ったといえる。
民衆を押さえつけるような神さまではなく、
民衆に対して政治対話集会を恒常的に開かせるような
そういう公的空間を提供してきた、
そういった神さまとしての伝統を感じるわけであります。

この妄想、やや抑えがたくなっています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神さまが彩色した屋根

2011年12月19日 05時56分21秒 | Weblog





なかなか落ち着いてブログを書いたりできない日々が続いておりますが、
きのうは、まぁ、相方側からの反応が来にくい日曜日。
こっちばかりでは仕事にならないので、比較的のんびり。
で、パソコンの中に溜まり続けていた写真から
ある目的で写真をセレクトして見ました。
ブログを書いていると、写真を撮りながらも無意識に
そういうテーマ性を探していたりします。
まぁ、それは同時に出版のために取材にも通じていて、
いつか、どういった形であるかはわからないけれど、
印象に残った事柄は、ブログに書き留めたりもしておく。
ただ、そういった一々を記憶している時間がなくなってきていて、
ふり返って、写真を眺めてみて
過去の時間と記憶が再生してくるのを信じるしかなくなっている。
でもまぁ、そういうのも一種の考えが発酵していくプロセスを
否応なく生成しているわけで、
悪くはないのかも知れないと最近、思うことにしています(笑)。

で、写真整理の結果、
この写真も思い起こされた1枚であります。
古民家ウォッチはわたしの比較的大きな趣味領域ですが、
ことし見てきたシーンのなかでも楽しかった瞬間。
茅葺きの屋根の美しさのある本質を見せられた気がしたのです。
山形県の古民家なのですが、
茅葺きの屋根北側面に、びっしりとコケが繁茂して
それが緑、いやよく見ていると実に複雑微妙な色合いを形成していた。
真物の自然素材を使っていると、
こういう神さまがつける彩色とでも言うべきシーンが
現実化してしまう。
これは、だれがやった仕業でもなく、
ただただ、その土地の自然風土がもたらした奇跡的な光景。
まぁ、こういう色合い、屋根のありようを
美しくないと感じる人もいるだろうとは思うのですが、
普通に考えると、これこそがエコロジーだと思う。
こういう屋根を見ていると、
日本人の自然との対し方の根源的な部分を知らされる思いがしてくる。
そして、たぶん、こういう部分にはインターナショナルに
通じていくような日本的感受性が切り口として示されているのではないか。

ことし、由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」が
債務危機に揺れているギリシャなどで受け入れられているそうですね。
カナダでもアメリカでも、彼女の透明な歌声が支持されているという。
わたしたちには、日本らしさの本質を見直すことのほうが、
世界に対して必要な態度であるのかも知れない。
住宅の世界でも、
こういった感受性の部分を大切にしなければならないのでは?
そんな思いを抱いた光景でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒椿

2011年12月18日 11時45分10秒 | Weblog





先週は、札幌よりも
仙台や福島で外を歩いているほうが長かったのですが、
この時期になると、
北海道からは色彩が消えていくように感じる。
それはそれでいいのだけれど、
そういう時期に太平洋岸の地域を彩っている
寒椿の美しさを感受できないことについては
いつも悲しい思いをしています。

風も寒いし、気温は下がっているけれど、
日射はさんさんと降り注いでいて、
この寒椿が、目を和ませてくれている。
旅人としての心情に深く、癒やしを与えてくれる。
そんな大好きな花であります。

年末年始の仕事進行も最終的な局面に来ていまして
いろいろな作業がきょうはぽっかりと空洞。
日曜日だし、まぁ、焦ってみてもしょうがない。
気持ちはそんなにゆっくりは出来ないけれど、
楽しい本を読んだり、アタマを休めたいと思います。
村上龍さんの「69」って、メッチャ面白かったです。
抱腹絶倒しておりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

樽の家

2011年12月17日 05時35分04秒 | Weblog

前から気になっていた家があります。
わたし、仙台にいるときには、ときどき疲れを癒しに
遠刈田温泉にいくことがあります。
「上ノ湯」という源泉掛け流しのお風呂がありまして、
この温泉が強烈なPH値で、たいへんいい湯上がり気分になるのです。
ただただお湯に浸かるしかなくて
あんまり長湯が出来ない。サウナとか
露天風呂とかあれば、繰り返したり長い時間をゆったり過ごせるのですが
そういう施設の類はいっさいないので、
いくら頑張っていても、30分以内で入浴は終了であります。
っていう温泉を目当てに高速を下り、国道を抜けて
蔵王スカイラインとかいう道を上がっていく道すがらに
この写真の家はあります。

玄関前に、樽を横にして
ちょうど風除室のように機能させている家があるのです。
まことに異様な使い方ではあるのですが、
年月を経た樽の質感が成せる技か、
そう違和感は感じず、気をつけてみていないと通り過ぎてしまう。
そんなことが1~2回ありましたが、
やはり気になるということで、スナップであります。
どうも様子を見ると、味噌かしょうゆの醸造元関係の建物らしく
その廃品利用か、それともランドマーク的に
いわば看板代わりに造作しているものと思われます。
それも、ちょっと年代物っていう雰囲気。
アイディアは、素晴らしいなぁといつも感心してみております。

さて、きのうは忘年会のハシゴ。
ややお疲れモードにつき、早々に1次会で帰還してきました。
なにせ、寝不足が続いていて
ほぼ、熟睡寸前に目が上下、くっつきはじめる。
あんまり無理は出来ませんね。
ご参集のみなさん、きのうは早く帰って、申し訳ありませんでした。
っていうことで、本日も仕事の山が続いております(泣)。
ではでは。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌琴似「ふくべ」みそラーメン

2011年12月16日 05時46分53秒 | Weblog






寒いです、札幌・・・。
おととい仙台から帰ってきたら、寒さが身に染みました。
まだ12月だというのに、まるで北海道全体が冷凍庫状態。
雪が多くないので地面からの熱の奪われ方がすごい。
道はツルツルだし、泣けてくるくらいであります。
とは言っても、家の中は暖かいのですが、ギャップがすごいし、
ちょっと外に出ていると、芯から冷えてきます。

というときは、やっぱりみそラーメンです。
こういう時期になってくると無性に食べたくなってくる。
条件反射的な行動パターンです。
で、わたし、昔から家の近くでよく行く店がこちら、「ふくべ」。
札幌西区がわたしのホームグラウンドですが、
その繁華街に琴似、というところがあって、
そこでやっているラーメン店です。
学生の頃、実家のもやし製造業の配送の仕事をアルバイトしていましたが、
そのころ、よく配送していた店です。
って、もう40年くらい前になりますから、
ヘタすると半世紀くらい時間が経過しているのですね。

で、もやし屋さんにとってはここはいい店ですね(笑)。
そうなんです、山盛りどっさりのもやし炒めが乗っかっている。
人を連れて行くと、みんな目を丸くして唖然とする。
「なにこれ~~~~」であります。
きのうも食べたわけですが、麺にハシが到達するまでに
もやしをこれでもかと、5分くらい食べ続けなければならない。
これが、いい。
野菜はほかにも白菜とかタマネギとか使っていまして
たっぷりと甘味が出ていて、野菜本来の旨みが感じられる。
なので味噌とは言っても、やわらかい味わいなんですね。
で、その底の方からラーメンが出てくる。
感動する(笑)。やっと出てきたか!
もやしを思いっきり食べるので、麺の量はやや軽めに感じられる。
スープにたどりつく頃には
大方の人が、まぁ、ハシを置いてしまう。
でも本当は、この野菜の煮出しのスープがいいんですね。
甘味があって、さわやかな味噌味スープであります。
一度、探検してみてはいかがでしょうか?
札幌琴似イトーヨーカドー西側口の斜め北側向かいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

また会えた小型ジェット機

2011年12月15日 05時45分27秒 | Weblog





きのうは仙台から福島を往復して
その後、事務所に寄って、空港から札幌に帰還。
なんですが、ふたたびこの飛行機に搭乗できました。
すっかりファンになってしまいました。
札幌仙台便は、便数の割りに乗客数が少ないのでしょうね。
JALもメンツは捨てて、まっとうな判断から
こういう小型機を導入しているのだと思います。
まぁ、経営的な切り取り方は別にして、
やはり、人間サイズで楽しい旅であります。
ちょうど、タラップを上っている人もいるので
サイズがよくわかるのではないでしょうか。

住宅の世界でも
最近の傾向は、やはりコンパクトということ。
無駄に広くて扱いにくい空間よりも
手頃なサイズで、機能をしっかり満たしている、というもの。
きのうは、少し観察の余裕があったので、
座席数も確認しましたが、左右が各2席の合計4席で
座席の列は12列ほど。なので、乗客数は48名定員前後か。
客席乗務員さんは1名。
過不足感がなく、ちょうどいい感じがステキ。

ダウンサイズした、というもの悲しさというよりも
さぁ、スッキリしたぞ、というような清々しさを感じる。
これからの日本、背伸びせず、
こういったちょうどいい、というところを目指していくのがいいのではないか。
そんな気もしてきました。
いいなぁ、ちょうどいいジェット機。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かわいいジェット機

2011年12月14日 05時46分59秒 | Weblog





きのうはふたたび仙台にトンボ帰りであります。
いつも、仙台便というと大抵はそこそこの大きさの飛行機なのですが、
久しぶりにJALに乗ったら、
なんともかわいらしい機体のジェットでした。
っていうか、最初は「おい、これプロペラ?」
と思えるような印象だったのです。
いつものように新千歳飛行場の2階の連絡口から歩いていくと、
いったん、階段で地上に降ろされて、
そこから5~6段程度のタラップを上る乗降口なのです。

わたしは少し、閉所恐怖症を自覚しているのですが、
そういうわたしにも、むしろワクワク感のほうが湧いてくる。
へぇ~~~、こんなので(失礼)仙台まで飛んでくれるんだ、楽しそう(笑)
なのであります。
ただし、座席は左右4列で、
奥行きは15列くらいあったように思います。
狭いけれど、なにかヒューマンスケールで楽しい。
動き始めての動作もきびきびと感じられて、
元気が伝わってくる感じがありました。
エンジン音も身近な感じで、「頑張って飛びますからね」と
小気味よく伝わってくる。
いつもは、離陸・着陸ともほとんど寝ぼけながらいるわけですが、
ちょっと身体感覚で受け止めている自分がいて
機体やエンジンと同期している。
上空にいる時間も、より身体的に「空」を感じます。
小さいと言うことは、たいへん小気味よくて感動しました。
今の時代、こういう思い切りが気持ちよく感じられるのではないかな、
って、また、想像力が膨らんで参りまして、
なにかを潔く捨て去ると、また違う世界が広がってくる気がします。

同乗したみなさんも、
少なからずそんな印象を持たれた方がいたようで
カメラに収めたりされていました。
仙台に着いて、わたしも思わずふり返ってiPhoneで見返り写真として撮影。
また、こういうのに会えたらいいなぁ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルーシートの素材としての可能性?

2011年12月13日 09時59分43秒 | Weblog






先日の青森県での住宅取材の現場より。
青森県内の建築家グループ・A&Aマネジメントの住宅事例だったのですが、
青森県の建築家らしく、
断熱や気密といった住宅性能にもきちんと配慮していますよ、
というアピールの意味も込めて、
建築施工途中の断熱施工の現場を確認しようというシーン。
気密層がきちんと連続しており、
丹精な施工の様子が確認できました。
ビニールを使って、きちんと気密化され、
断熱材がきちんと隙間なく施工されている様子は、美しい。
ほんとうに言葉からのイメージでの誤解が大きいと思うのですが、
よく関東以南の建築関係者から、「息苦しい」というような
それこそ即物的な反応が、気密施工に対しては
誤解と偏見に満ちた言い方を聞くことがあります。
そうでないとすれば、まったくの無関心、というスタイル。
どちらも困ったものなんですが・・・。

なんですが、そういうことは置いておいて
このブルーシートであります。
美しくない日本の風景を語るときに
不粋の典型のように、この人工生成物は代名詞として語られる。
建築関係の中でも、素材としての配慮のかけらもないものの
代表選手として語られるヤツであります。
機能性という意味では、さまざまな特性を持っていて重宝されるのに
完成した建築からは絶対に排除されるもの。
でもまぁ、こういう建築プロセスの写真を撮る機会って
ほぼないわけで、そういう意味で、奇遇のようにこうした光景に出くわした次第。

なかなかいいじゃありませんか(笑)。
外光を均一にムラなく室内に導入していて
この均一な色彩で木材への照り返しが、
なかなかに妖しい美しさをたたえている。
木造で、モダンデザインを考えていくとしたら、
こういうルネ・マグリットの絵画のような鮮烈な出会い感も
いいかもしれない・・・。
誰か、うまく使うようになるかなぁ???
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美しい日本を見たい

2011年12月12日 05時33分39秒 | Weblog





古い時代から残り続けている日本建築で
雨への対応を考えていない建築というのは
ほとんど見たことがありません。
それなのに、とくに戦後建てられているビルなどでは
すべて軒とか庇というものが省略されて、
数年経つと、雨仕舞いの悪さがごらんの写真のような結果として
みごとに表面化してきます。
こういう建築を渡される子孫は、どうすればいいのでしょうか?

世界観がおおむね東アジア世界に収斂していた時代でも
たとえば、中国や朝鮮とは日本の建築はやや違いがあった。
それは屋根のデザインで、軒の出が深くなっている点。
ヒマラヤから吹き付けてくる偏西風に
たっぷりと含まれる水分を持ち続ける多雨気候というのが、
日本の気候条件の基底的な部分だと思います。
それがあるから、旺盛な森林の繁茂があって鉄の生産適地になり、
必然的に工業が発展する基盤を構成していた。
で、そこに生起する建築文化は木造であって
しかも、多雨気候に似合うものでなければならなかった。
ところが、比較的に小雨である地域で発展した建築学を
唯一絶対の価値観に崇め奉ってきたのが
明治以降の日本の建築工学の体系。
雨への配慮が、日本とは比較にならないほど考えられていない。
そういう考え方が中央集権的な建築行政の中で
日本の津々浦々まで、均一な破綻を見せている。

青森の町中で、こういう光景を朝一番に目にすると、
「さぁ、美しい日本で今日も元気に働くぞ」
という気持ちはなかなか湧いてこないと思う。
戦後という時代が残しつつある、負の遺産について
わたしたち年代の人間は、なにかの働きを残していく必要があるのではないか。
日本にはやはり似合わないものは、
勇気を持って変えていかなければならないのではないか。
震災以降、大きな気付きが、わたしたちの社会で始まっていて
その大きな流れの中に
「日本」が再生していこうとする動きもあると思う。
ぜひ、そのように舵を切っていかなければならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする