三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

視聴率ってなんだろう?

2013年12月21日 08時37分51秒 | Weblog


って、みごとに無関係な写真画像であります(笑)。
ビデオリサーチという会社の実態と果たしてきた役割を考えれば
この「視聴率」のおかしさがよくわかるのですが、
なぜか、大手メディアではなかなか触れられる機会がない。
そんななかで最近のインターネットではこういうことについても
違う見方を読ませてくれるメディアがでてきている。
テレビ視聴率調査に詳しいリサーチ評論家の藤平芳紀氏というひとに
「ビジネスジャーナル」というメディアがインタビューしていた。
どうも体感実態からかけ離れた「視聴率」と、
実態としての録画視聴、スマホなのでの録画視聴などの調査がされていない
現実について、するどく迫っています。

<以下抜粋>
視聴率調査会社ビデオリサーチの背景を知る必要があります。
同社の創立以前、大手広告代理店・電通やテレビ局は
独自に視聴率調査を行っていました。
しかし、それでは信用性に欠けるということから、第三者機関による
視聴率調査を行おうということになり、
電通の吉田秀雄社長(当時)が主導的役割を果たし、
民放18社に加え電通と東京芝浦電氣(現東芝)が出資して
ビデオリサーチを設立したわけです。
ところが独立した第三者の調査機関であったはずなのですが、
現在、ビデオリサーチは大株主の電通が
支配的な経営を行うようになっているため、その意向を無視できないのです。

 忘れてならないのは、視聴率というのは、
人々の番組の嗜好を測定する指標であると同時に、
テレビ局や広告代理店にとってはスポンサーのCM料金、
すなわちテレビ局の売り上げにかかわる重要な広告効果
の指標の1つでもあるわけです。
そういう視聴率調査に、CMは早送りで視る人が多い
「録画で視る」人の数を加味しても、彼らにとっては
意味のない調査になるのでしょうね。
「録画で視る人を視聴率調査する必要がない」という電通の意向が、
このシステムの導入を大きく阻害しているのだと思います。
一刻も早く、真のテレビの視られ方の尺度が確立されることを望みますね。
そうでなければ、ビデオリサーチは番組の視聴を調べるのではなく、
CMの視聴率を測定する道を選ぶことです。
実情に合わないテレビの視られ方を調べて、
「これがこの番組の視聴率です」とは言えません。

テレビという免許事業業界が、
ある特定の価値観によって統御されている実態が見えますね。
ゆがんでいるメディアを正常化させるためには、
この問題、避けては通れないのではないかと思っています。
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生み出す仕事と段取り仕事

2013年12月20日 07時05分06秒 | Weblog


いつも仕事していて、このふたつのことを
行ったり来たりしているのがわたしの「仕事」だと思っています。
で、ここんところ、ふたたび「生み出す」方に没頭しなければならないので
そういうときには、事務所から3分ほどの自宅の方が作業しやすい。
なぜかなぁと思っています。

やはり段取り仕事の場合には、
いろいろなひとの「組み合わせ」で考えることなので
通信連絡や、会話で仕事を進めていくことが圧倒的に多い。
そうすると、より通信手段などの利便性が高い事務所の方が合理的。
でも、そうすると「関係性」が煮詰まったりするので
集中力を高める必要がある「生み出す仕事」に大きな支障を来す。
そんなことなのかなぁと思ってはいますが、
みなさんはどうなんでしょうか?
仕事の質と環境要因、というようなことになると思いますが、
人間の知的集中力は、どのようにしたら最大化するのか、
というようなことは、創作少年であったころからの
密かな追求テーマでありました。
仕事生活では、圧倒的に「段取り系」の営業的フィールドだったけれど
でも節目節目では、「生み出す」仕事にも没頭してきた。
やはり「生み出す」仕事の方が、その後の発想には大きな影響をもった。
そういうことで、自分で仕事のための空間を2つほど作ってきて
いまは、最初のブロックの建物の方が「生み出す」のに適していて
木造素地表しの方は、コミュニケーション系になっている。
そういった意味ではハードボイルド系の方が創造系にはいいのか。
癒やし空間である木質系は、コミュニケーションにふさわしい、
っていうような推論は成り立つ。
まぁ、これはわたしの個人的な感覚なので、普遍化はしにくいけれど。
でも、集中力って、どうしたら高まるのか
どうも空間とアタマのなかの活性には、ある因果関係があると思われる。
この関係を自分なりに解き明かせられれば、
自分の矮小な「創造力」にパワーを賦活できるのではないか、
などと妄想をかき立てている次第(笑)。
今回の自分自身への環境付けから考えると
ひらめきや、邂逅には、ある焦燥期間が欠かせないようにも思う。
スイッチが入らないと、なかなか「エイや」という気分が盛り上がらない。
この「気分」が大切であるのには、気付いてはおります。
むむむ、なかなか奥が深いんですよね~、これって。
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還暦後の積極的健康維持

2013年12月19日 06時37分46秒 | Weblog


わたし昨年に還暦を超えまして、
で、この1年を過ごして参りました。
友人たちの中には、早々とリタイヤを実現しているのもいるのですが、
そういった優雅さからは縁遠い毎日を送っております。
しかしそういう友人たちの様子を見て学ぶこともあり、
人生計画については
目標をラフではあれ、おおまかに定めて、そこにいたる方法を具体的に
計画として見据えはじめています。

そんなことを考えはじめるとまず最大の「資産要素」であるカラダのことに
気遣いが向かいますね。
なにをするにしても基本となるのは、健康でいること。
そうすればなにより、考えることにも偏りがなくなっていくと思います。
体力的には、いろいろ体調管理に気をつかって、
ダイエットも、なんとか10kgほどのダウン状態を維持し続けています。
もう半年近く、現在近辺の状況を維持しているので
ややカラダが慣れてきたものかも知れません。
なお、気を緩めることなく、維持し、さらにダイエットを進めたいと思っています。
ただ、やはり還暦を過ぎて体を使ってきて
あちこちにガタは目立ってくる(泣)。
ことしは口腔から耳鼻系のあたりに金属疲労的な摩耗現象がみられました。
また、目の衰えは隠しようもないレベルで進行。
やはり器官である以上、こういった退勢の進行は避けられない。
でまぁ、こういうことを柔軟に「受け入れる」ということが肝要である、
というような気付きがありました。
それとやはり労働時間は、若いときとは違うので
ややセーブしながら働かなければならない、というのも理解しました。
加齢に伴って、早起きにはなるのだけれど、
その分、夜は早めに就寝しなければならない。
計算すると、睡眠は7時間くらいは平均で確保できているので、
その部分では大差ない生活なのでしょうね。
しかし、お酒とかの付き合いは決定的に減少してきている。
あっても、大体は1次会で撤収している。
経験を積み重ねてきて、ああいうバカ騒ぎはやはりなんの利益もないことが
ようやくにしてわかった。 やや遅きには失したけれど(笑)。

すごく長生きしたいとは思わないけれど、
それまでは、健康に生きてひとに迷惑を掛けたくない、
というのが、いちばん大きな目標になって来たということなのかと
最近、高齢化社会のことを考えてみて思う次第であります。
みなさん、どんなふうに「老い」を生きているのでしょうか?

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日本は東アジアを好きになれない

2013年12月18日 10時21分18秒 | Weblog


きのうの夕方7時のNHKニュースでは冒頭に
防衛計画予算関係のことが触れられていて
これでもかと軍事関係の戦車や装甲車、戦闘車両、軍艦などの映像が流されていた。
坊主とふたりでたまたま見ていたのだけれど、
「ちょっと父ちゃん、ヤバくね、これ」
「う~ん、まぁしかし、中国の軍拡や反日挑発姿勢もあるしなぁ・・・」
「戦争とか始まったら、おれ、やだな」
「そりゃそうだ、なければいいけれど。まさか、全面衝突はないだろうけれど、
偶発的なかたち、限定的なかたちではあり得るかもなぁ・・・」
っていうような物騒な話題になっておりました。
わたしの生きてきた時代とは、大きく変わって行かざるを得ない
そういう時代を息子たちは経験せざるを得ないかもしれないなぁと、
やや暗澹たる思いをしておりました。
そういうことがないことを祈るしかないのですが、
中国の内政状況と、排外的、というより反日的なナショナリズム鼓舞をみていると
やはり大きな危険性を感じずにはいられない。
防空識別圏についての中国内部の状況分析がアメリカから出てきていますが
やはり共産党の独裁と、軍部の状況分析などを読んでいると
排外的な姿勢に出ることがきわめて簡単な内政的な責任転嫁になる
国家状況が見えてきます。
そういう状況はとても成熟した国家とは言えず、
国際政治のなかでの安定を望むようにはなっていない。
中国はその力が大きくなっていくにつれて
やはり当面は日本に対する敵対的行動をけっして放棄しないだろうと。
アメリカは、日本の防衛予算の使い道が自国経済にも有益なので
このような緊張は内心では歓迎している部分がありえる。
今回の防空識別圏問題では外交的には
中国は多くの国々、国際社会から指弾を受け、
日本は多くの外交的な成果を得たと言えるけれど、
中国はそうなったら手負い状況の中でより無謀さを発揮してくる可能性がある。
そしてけっして東シナ海・南シナ海での覇権を諦めはしないだろう。

しかし、明治維新以降、西欧文明に対してそれを受容して
国際感覚を磨いてきた日本にとって
東アジア世界というのはなんとも悩ましい関係性のなかにある。
歴代の中国王朝に対する態度において、
日本は非常に忌避的な外交をしてきて、
ずっと「政経分離」でやってきたのが一般的なのではないか。
福沢諭吉の「脱亜入欧論」には、いやでいやでたまらないアジア世界
というような響きが強い。
今日に至っても、やはり日本と東アジアというのは、
なかなかに難しい国際関係だと言わざるを得ない。
韓国との「歴史協議」を行った先生たちが
先方の、強硬な植民地支配からの反日姿勢に嫌気が差して、
「じゃぁ、どうすればいいの?」と問うたら、
朝鮮を支配した35年間にわたって、反対に朝鮮が日本を支配した後、
それから対日友好を「考えてもいい」という反応だったそうです。
こういった状況下で、安倍政権はロシアと国交協議し
ASEANとの対話を積極的に進め、南アジア諸国ともチャネルを広げている。
むしろ、反中韓包囲網的な動きをしていて、
いまのところ、国民レベルでもそれを妥当だと考えている。
東アジアで、普通の国家関係はいつになったら成立するのか
本当に前途の遠さに、へきえきさせられますね。
しかしそうこうするうちに、日本自身が自制心を失わないようにしなければならない。
本当は、それがいちばん難しいのだと思います。
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北海道での「平屋」ブーム

2013年12月17日 07時06分35秒 | Weblog


ここ2~3年くらいの傾向なんですが、
Replan誌で「平屋」特集をやると、反応がいい。
「コンパクト」ということへの興味も深まっている。
取材してみると、いろいろな家族模様が浮かび上がってきていますが、
総じて見ると、やはり家族数の決定的な減少が背景として見えてくる。
4人家族が一般的な家族像としてながくニッポンの常識になってきたけれど、
それがどうやら終焉を迎えると同時に
3人、あるいは2人という住まいの人数が一般化してきたからではないか。
4人家族の場合には、やはり個室空間が不可欠なのだろうけれど、
3人では、プライバシーの配慮といっても、
そうは大きく考えなくなってきたようなのだ。
こどもがひとりいたとしても、やがては巣立っていくのだし、
そうであれば、2人暮らしをベースに考えた方が自然。
で、ふたりとなると、限りなく「個人」に近づいてくる。
よく「空気のような存在」と夫婦のことを表現するけれど、
まさにそのようで、いても存在感がお互いに薄くなってきて
大きなワンルーム的な空間で、それぞれの用途をほぼ独占的に利用できる。
そんな家づくりになってくると、視覚的にも動線的にも
ワンスパンで想像力がはたらく、平屋形態がいちばん過ごしやすい。
限りなく「個人主義的」な空間が獲得できてきているのではないか。
本州、関東以南地域では、最低3階建てくらいを考えなければ
十分な「視線の抜け、開放感」が得られない。
しかし北海道は
たとえ平屋であっても、窓の開口からたっぷりした自然への
視線の抜けが十分確保できる。
このような居住環境は、人生を過ごすという「本然の姿」に気付かせてくれる。
しかも、外気温度は年平均で8℃を下回る寒冷地だけれど
家の環境性能、高断熱高気密ぶりは、まことに居心地がいい。
そんな「気付き」がユーザーの間で、かなり顕著になってきた気がする。
年末になって来て、わが家と事務所のある周辺では
2軒も同時に平屋への改修工事が行われていた。
ひとつはもともと平屋だった物件の高断熱高気密化リフォームのようで、
デザインもずいぶんオシャレになっている。
またもう一方は、2階建てを減築しての平屋化。
ふつうに取材に行っても、平屋がなにげに多くなってきている。

ユーザーの欲求としてはあっても
物理的に難しい首都圏地域や関東以南地域ではどうなのか不明だけれど
確実に北海道でおおらかに住み暮らすスタイルとして
高断熱高気密・平屋、というフレーズがひろがってきているのではないか。
そんな気がしてきています。
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コンパクト・高性能という価値観の社会へ

2013年12月16日 06時26分05秒 | Weblog



先日、日本学術会議を取材してきたことは触れましたが、
一番大きなテーマは、少子化の進展によって人口減少が進展していく
日本の住環境、人間居住環境の変化と言うことでした。
写真は、岐阜県の世界遺産「白川郷」の全景写真ですが、
結局人間は生産手段の変化に沿って、生き抜いていくのであり
それがまず第1の規定要因であることは論を待たない。
白川郷のような集住形式農村景観は、
生き抜いていく基本としての食材生産基盤としての農地開墾が進展して
このような山間地域も人間の食を支えることが出来た結果、
歴史的に維持されてきたものだといえるでしょう。
このような、喰って生きていくための当たり前の積み重ねが、ある生活文化を産みだし
独特の文化的景観を形成していくことになった。
そこに通底して流れているようなものが、
今後の世界の中でどのように変化していくのかは、非常に想像が難しい。
明治までのニッポンは、このような自給的な生活文化圏が
列島各地に分散していた社会だったのだと思う。
それに対して、欧米文明社会の規範を受け入れて資本主義的な産業形成、
生産手段の世界標準思想を受け入れた結果、
この写真のような「地域」社会は、過疎を余儀なくされていった。
明治以降、とくに戦後社会になってくっきりとしてきた変化は
「都市」というものがひたすら拡張してきたということだったけれど、
今後の人口減少を見越していくと、
そのような広がりきった「都市環境インフラ」を今後とも維持して行くには
大きな社会コストを覚悟しなければならず、
そしてそれはどうやら、ムリなのではないかという結論が見えてきている。
だとすれば都市は、縮小に向かって「進化」していくのだろうか?
小さくなるとか、縮んでいくという方向性の中に
進歩発展という要素を見出し、そこに前向きなイメージを形成していくようなことが
おぼろげながら、ニッポンの方向性のようなのだと思う。
産業領域で言えば、戦後ニッポンが生み出してきた最強のものづくりは
やはり自動車関連産業なのだろうと思う。
最近のハイブリッド車と軽自動車の販売の伸びを見ていると
燃費を抑え、コンパクトに高性能である、という方向性が明瞭になって来ている。
そういう流れを見誤ったような日産の低迷は
このことをハッキリと見せているように思います。
であるとすると、住宅はどのように変容していくのか?
すでに既存のストックが世帯数を大きく超えているなかで、
ユーザーはどのような住居形式、生活環境を選択していくのだろうか。
縮小していく中で、それでも産業としての
伸びる部分を見出していかなければならない。
考えようによっては、たいへん面白い時代が押し寄せてきたといえるのでしょうね。
そしてこういう競争に於いては、
ニッポンはかなり文化資産として、大きなモノを持っているように思います。
さて。

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尾道のわび住まい

2013年12月15日 08時54分52秒 | Weblog


ことしもあと2週間ほど。
あわただしい年末進行の案件もありますが、
札幌にもようやく根雪と思われる積雪もあって、
年末感がどっと迫って参りました。
わたし自身は、年末年始にかけて創作の進行があって、
年寄りらしく(笑)、どっぷりと仕事にハマりながら過ごしたいと考えています。

わたしは、北海道東北での「高断熱高気密住宅」取材が
メインフィールドになるわけですが、
結局は人間の暮らしのありように強い興味を持っているわけで
一方で、低断熱低気密のわびさびの住まいにも強く惹かれるものがあり、
写真のような住宅を見ると、ついシャッターを向けてしまう。
自然的な温度が年平均で16℃以上ある地域では、
って、要するに関東以南地域、日本の人口の80%以上の居住地域ですが
そこでは、こんなふうな、人間居住環境が高度化した現代常識からすれば
「庵」に近いようなたたずまいの家に、惹かれるのですね。
たしかにこうした地域では、
冬場の気温も夜間でようやく零度近く、
日中はプラスで10℃前後まで上昇する。
であれば、非活動的な、仙人のような暮らし方からすれば、
冬の寒さを、まるで精神修行のように堪え忍んで、やりすごし、
心身を素裸のようにして空気にさらして生きていくような
そういった生き方にも、密かに憧憬の念を持つ。
とくに高齢化社会を迎えて、日本人の心性の中の
こういうわびさびに生きたいと考えるひとには、ある同意もある。
そして逆にこういう日本的心性を高断熱高気密住宅で実現するとすれば、
ではどういうデザインの回答があるのか、と
思惟を巡らしている部分もあります。
たぶん、重厚に断熱された、素材だけの
素器のような空間イメージが湧いてくる。
木造であれば、構造素地がそのまま正直に顕しにされ、
裸の構造要件だけに向かっていくような率直な空間。
その外側で断熱されている、というような建築がそれに該当するのだろうか。
事務所は、ちょうどそんなようなイメージで作った。
断熱材に深く感謝の念を実感できる素器。
どうもそんなような家づくりになるのでしょうか?
高断熱高気密住宅は、そういった多様な人間精神の表現たる
「空間デザイン性」をどのように実現できていくのか、
そんなところに、北国の住まいの今後のカギがあるのかも知れません。


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東アジア情勢の緊迫化

2013年12月14日 09時18分31秒 | Weblog


北朝鮮はどうやら、崩壊のプロセスが開始したと見た方がいいようですね。
国家NO2の張成沢の失脚、簡易裁判での即決死刑実行などという
血塗られた狂気が平然と行われてしまった。
これが、3代目の世間知らずによる主導的な事態であるのか、
むしろそれを操縦しているだろう既得権益層、軍部による独走の開始であるのか
それは不明だけれど、どちらにしても統治の正当性が著しく揺らぐことに対する
いわば、現代世界での権力行使の常識に照らしての非常識に対する
国としての無知蒙昧が、これ以上ないかたちで明示された。
まずは、こうした無法行為の結果として、国内政治が安定方向に向かうのかどうか
それがすでに危ういだろうと言うことを明瞭に表していると思う。
すでに大量の殺戮がありえるという観測が出てきて
棄国脱出が大量に発生するのではないかという報道もある。

このことは、東アジア情勢が決定的な段階に入りそうなことを意味する。
北朝鮮という国家が核兵器を持ったまま崩壊過程に入るという恐怖が現実化しそうだ。
そうでなくても、きのうまでNO2だった人物がまともな裁判もナシで
問答無用で銃殺される国が、核兵器を持っているおぞましさが現実なのだ。
いま、アメリカはピボット路線と言うことで
アジアへの関与を高める戦略を採用してきていると言われるけれど、
ロイターが分析しているように
中国の軍事大国化路線に対しては、オバマ政権はいわば日中間の「仲裁者」的な位置に
自分を置こうとしているというのが、現実的な把握なのではないか。
そして中国は、中長期的な戦略的国家利益を確保するために
「反日」を利用して、東アジアでの覇権確立を狙っている。
韓国は、その中国に擦り寄り経済的な利益を獲得しようとしたが、
中国の軍事大国化が、自国にとっても安保上の死活的な問題だと気付きはじめ
豹変的な対応をしてきている。
アメリカの副大統領から「おまえ、どっちに付く気なんだ、敵側の中国に付く気か?」と
きわどいスラングで糺されたという報道がされていた。
一方で、東南アジア諸国に対しては日本の外交が効果を発揮し始めているようで
「反日」が、中韓だけが声高に言うに過ぎない、
いわば中国の軍事大国化の隠れ蓑であることが見え始めてきている。
こういう東アジア情勢の現実のただ中で、
今回の北朝鮮の緊張が勃発したということだと思う。

中国は非民主主義国家であり、
共産党による「独裁」国家という危険性がつきまとっていて
その問題が止揚されるには、かなりの時間がかかるか、不可能だと思うけれど、
そういう内政上の問題が対外的に緊張を高めもする。
長期的に見て、このことが当面する世界の不安定要因の最たるものだろう。
それと、もっと悩ましいのは、それと呼応するかたちで
日本の国論が沸騰し、核武装まで一気に到達するかも知れないということ。
日米軍事同盟というのは、戦勝宗主国アメリカによる日本支配だったわけだけれど
アメリカの東アジア非対応、スルーの結果、その内実が、
日本の「普通の国」としての変身に繋がっていくことになりそうなのだ。
そのことは世界、東アジア軍事情勢の大変化をもたらしかねない。
中国はターゲットとして日本を戦略的敵国として認識した動きを仕掛けてきているけれど
それは必ず、日本側からの反応を引き起こさざるを得ないだろうと思う。
こういう東アジア情勢の中に今あるし、
そして、危機の引き金は今回北朝鮮で引かれたと言えるのかも知れない。

今上天皇の若いときの揮毫が朝日新聞で掲載されていた。
「平和国家建設」と明瞭に書かれた、その戦後日本の国家としてのありようが、
本格的に試される気がしてならない。
なんとしても、平和を求めたいと深く思う次第です。


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雪景色の中のたそがれ

2013年12月13日 05時34分52秒 | Weblog


北海道の暮らしは、寒冷が生み出すコントラストの美の魅力を持っている。
冬を楽しむ、という概念はあまり持ちにくいけれど、
日本人でもっとも積極的にこのことを言う資格を持っているのは
やはり北海道の人間だろうと思います。
雪にはいろいろな色彩感があります。
日中、晴天のときには太陽光を反射して目を開けて直視できないほどの
ぎらぎらとしたホワイトアウトの強烈さも持っているし、
いわゆる「蛍雪」というようなあわい明るさを放ったりもする。
そのなかでもかなりいいのが、この写真のようなたそがれ時の青。
もちろん、ほかの雪国地域でもこのような光景はあるでしょうが、
高断熱高気密技術が進んで
この写真のような大胆な開口越しに、室内から
このような雪の色彩を楽しむというのは、北海道独特とも言える。
それも現代に至ってはじめて見返すことが可能になった光景のように思う。
こういう青の世界は、北海道で暮らしてきた人間にはなつかしい。
人生の喜怒哀楽の中に、そっと埋め込まれている背景として
こういった色彩感覚は、想起されるモノなのです。
そしてそれとの対比的なモノとして、ストーブの炎や人肌に似た
赤い色合いの光の世界が対峙するように対置される。
青い雪原の1本道をずっと通ってストーブからの煙を漂わせている一軒家に向かう
黄昏時の記憶というものが、イメージされるのです。
こういった心理のグラデーションは、北海道人の心性の中のどこかに
仕掛けられて行っているものなのではないかと思います。
青森の方たちと語らうときにも、同質性を感じることがあるような部分。
それが青森ではねぶた的な、あるいは棟方志功的な
質朴感に沈殿していく感じがあるけれど、
北海道では、雪質がドライなので、やや印象を異にする。
それが「北の国から」的なリリシズムに至るのか、
いやそうではなくもっと開放的ななにかに向かっていくのかは、
北海道での暮らしが、どのような未来形になっていくのかに懸かっている。

それにしても写真の下川町の家での
大開口と対峙する、薪ストーブ+パネルヒーターのタッグは
それだけでもおもしろさが伝わってきました。
こういう視覚的には寒さが襲ってくるような空間が
まったくそういうことを感じさせず、あたたかさに満ちているという意外感。
こういった室内環境に慣れていった人間の感性から
どんな可能性が紡ぎ出されるのか、興味が募りますね。

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土間と薪ストーブのある家

2013年12月12日 08時50分32秒 | Weblog


先日、新刊として「土間と薪ストーブ」特集を発刊しましたが、
さっそく大きな反響をいただいているようです。
いま、北海道・東北らしい寒冷地の家には、似合うインテリアとして
定番に近づいてきたのかも知れません。

その配置やレイアウトが、その家らしく特徴付けられてもいる。
わが家らしさが積極的に主張されているようで、ほほえましい。
ただ、そのわが家らしさが、ただ単なるインテリアではなく
毎日のように使われ、自分自身でメンテナンスするものだということと
セットになっていることで、根付く生活文化になりそうなのですね。
道北下川町の家、「森とイエ」プロジェクトの家々では
基本的にこの薪ストーブと土間がセットされています。
写真は、東京からこっちに入植してトマト栽培農家として活動されている方の家。
訪問させていただいたら、
「あ、Replan、ずっとファンでしたよ(笑)」と言っていただけました。
こういう言葉、本当にうれしいです。
なにか、参考にしていただけたのかな、という喜びを感じられます。
地域の暮らしに密着して取材し続けていると、
家を通して、ある生活文化のような考え方も同時に取材することになります。
それも作り手側からの押しつけ的なものではなく、
建て主さん自身の生活信条や、暮らし方の根源的な部分が
ストレートに伝わってくるものがある。
北海道という厳しい気候風土の中で、
その風土性と格闘しながら、よりよい住まいをみんな求めている。
その結果記録が、毎号わたしたちの住宅取材活動を通じて
多くの家づくりを考えている人々に伝播していく。
そういった手応えがあります。
ビジネスとして継続していくことはいま、どのような仕事でも
たいへん厳しいのだけれど、
こういった手応えを感じることができるのは本当にありがたく、うれしい。

写真には、ほんの少しだけの情報を入れることになるのですが、
たとえば、この写真では
土間と薪ストーブ、また薪の収納ストックの配置関係を
このような設計配置で実現しているという情報を伝えられる。
そして屋外の薪のストック場所には、さりげなく吸気口があり、
それとなく薪ストーブに不可欠な装置の必要性も伝えられる。
土間には、床面からの段差があり、その程度も具体的に見えている。
こういった情報すべてが、一目で情報伝達できるのですね。
やはり高断熱高気密住宅の内容は、言葉ではわかりにくい。
そうであるからこそ、ビジュアル的に伝達する必要性があるのです。
そんな思いを、再確認させられた取材でした。


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