三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

Replan東北49号・7月21日発売

2015年07月21日 09時22分22秒 | Weblog
先日、鎌田紀彦先生の新連載期企画・「Q1.0住宅デザイン論」掲載の
ご案内をしていた、Replan東北49号が本日発売されます。
東北地区の書店・コンビニなどでぜひお買い求めください。
また、全国のみなさんは、当社WEBでの通販コーナーで直売しています。
ReplanWEBからもご購入いただけます。


【特集】小さく暮らす
大切なのは、豊かに暮らせること。

小さくても、おおらかに。
小さいから、贅沢に。

心満たされる暮らし、
それが実現する住まいとは?

○Case.01|約31坪|東九番丁のハウス
○Case.02|約28坪|斜面にたつ家
○Case.03|約25坪|杜のまちの家
○Case.04|約26坪|集密の住居

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Contents
●巻頭特集/ 小さく暮らす
●建築家・伊礼智が語る「小さな家で豊かに暮らす。」
●燃費のいい山形の家〈新築実例〉
●省エネ住宅特集・宮城編
●新連載 Q1.0住宅デザイン論〈新住協 代表理事・鎌田 紀彦〉
●省エネ&快適な住まいをつくる パッシブデザイン
●連載 いごこちの科学 NEXT ハウス2〈東京大学準教授・前 真之〉
●住まいのカタチ〈住宅実例集〉
●NPO 住宅 110番
●TOHOKU ARCHITECT
 宮城県「HOUSEBOX」 鈴木 大助
 宮城県「虹丘庵」 由利 収

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札幌軟石の家・内部見学

2015年07月21日 05時15分46秒 | Weblog


先日見知っていた住宅が売り家になっていたということを書きましたが、
販売を委託されているアセット・21(電話011-571-9928)
という会社に連絡したときに、同社の木村社長さんから、
「ぜひ、内部も見てください」
「いや、自分で購入する意志はありませんが・・・」
「それはけっこうですので・・・」
ということになりました。で、きのう、カミさんとふたりで見学に。
近隣には、旧・簾舞駅逓、黒岩家住宅もあって、
そっちも久しぶりに見てみたくなって、出かけてきました。
札幌軟石のファサードの印象と、内部は大きく違って
その石造りの原型に対して、ウッディハウス的な増築を行ったようです。
ただ、構造などは基本的に木造のようであり、
仕上げとしてログハウス的な雰囲気を強調するデザインだったよう。
もともとの札幌軟石の「リンゴ倉庫」は1966年の建築。
その後、平成9年・1998年にこうした継ぎ足し増築を行ったそうです。
現在の床面積134.66㎡の内、48.6㎡は未登記。
リフォーム工事は現金で行われたので、登記されていないとのこと。
建設会社はいまは廃業した会社で、わたしも知っている会社でした。




現金決済で未登記の物件なので、
断熱などの詳細図面までは確認できませんでしたが、
推定では、既存部分の窓の壁厚などから断熱厚みは
ほぼ一般的な充填断熱100mmと思われます。
既存の「木骨石造」の南側壁を撤去し、
その建物に継ぎ足すかたちで、2階建ての建物を増築した。
なので、石造り部分は木造部分と2重の壁になってやや厚い壁。
屋根は増改築時に新設されたものと思われます。
暖房としては、当時は一般的だったFF式の石油ストーブ暖房。
南面大開口からの日射取得もあって、
確認しうるような断熱欠損的な内装的痕跡はありませんでした。
ただ、締め切っていた収納では、開放時に若干カビ臭さは感じました。
ただ長期間未使用住居の室内空気環境面での違和感は、そう感じません。




札幌市内中心部に普段の住居を持って
この建物は別荘として利用していたということ。
2階のログハウス的なインテリア、1階居間の壁面のウッディな仕上げなど
趣味生活のための空間といえます。
南側に大きな開口が開かれて、そこから遠く市街地も見晴らせる
パノラマビューが最大のごちそう。
さらにその開口に向かってウッドデッキをまわして、
敷地内には立派に造作した日本庭園もあります。
中古住宅として3年前に売りに出すことに決めてからも手入れは継続している。
このあたり、建物への愛着が感じられました。

休みの日にも、こんなふうに住宅を見学するのが楽しいという
ちょっと自分でもおかしなヤツだと思っています(笑)。
これはまったくのわたしの趣味での見学報告ですので
宣伝的意味はありません。その点はなにとぞ、ご了解ください。
気になった家の内部も見せてもらうというのは、面白いものですね。


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北の自然が魅せるデザイン

2015年07月20日 06時21分27秒 | Weblog


よく「細部に神が宿る」という言い方をする。
人間がものづくりをするときに、結局、アナロジーするお手本は
自然の中にあるもの。
色であったり、かたちであったり、いろいろにするけれど、
奇跡のように成立している自然の美には深く打たれる。

ふだん、人間の作る建物をひとに伝えることを仕事領域にしているので、
やはり自然の造形物に、畏敬の念を抱かされることが多いのでしょうか。
1枚目の写真は、瑠璃色のトンボ。
ただただ、陶然としてiPhoneを必死で向けていた。
わたしの至近距離に入ってきてくれた奇跡のような色合い。
手許は不確かながら、こちらをもてあそぶようなその姿態をなんとか、
写真に焼き付けることができた。
ややピントが甘いのは許してください(笑)。
最近はPhotoshopがあるから、ヘタな写真でも、
こんな画像にたどりつくことが可能なんですが・・・。
2枚目は京極の噴き出し公園。
羊蹄の山が長い時間を掛けて織りなす自然の躍動感。
千変万化する水の表情が、まるでイキモノのようです。



そしてオオウバユリの花が開花する直前の様子。
命の躍動の瞬間をピンナップしたような
こういう姿を見ていると
まことに自然のデザインの完璧さに、圧倒されてしまう。
やや残念な天気になった3連休の北海道ですが、
しかしそれなりには、短いけれど、細部で魅了してくれる北の夏です。
楽しませていただきたいと思いますね。
本日は、ここんところ撮りためた写真集構成でした。

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記憶に残っていた札幌軟石の家

2015年07月19日 12時05分13秒 | Weblog


長く住宅雑誌をやっていると、気になる家の記憶が積層してきて
いろんな場所をクルマで走っていて、気付くことが増えてくる。
札幌市内でも、いろんな場所を走っていて、ふと
「あ、あの家の近くだ」というような既視体験を味わうことが多くなってきます。
きのうは、天気もイマイチだったので、
遠出はあきらめて、ニセコや積丹周辺を回っていました。
・・・って、十分に遠出かも知れませんね(笑)。
先週のクルマトラブルによるトラウマを払拭するドライブでした。

なんですが、札幌市南区周辺から定山渓へと向かう
国道のバイパスとして利用されている間道沿いに建っている
この家は、ちょうど場所が憶えやすいこともあって
なんどもなんども見続けてきていた。
建物正面には、市の保護自然林施設があるようです。
きのうも、ふと見掛けていて、通りすがってから
「あれ、なんかいつもと違う」と思ってバックして確認したら、
ごらんのように「売り家」の表示。
札幌軟石という開拓時代の建築素材としてポピュラーだった
材料を使った建物で、よさげに木造を継ぎ足していて雰囲気は悪くない。
周辺にたぶん自生していたようなクリの巨木があって、
建物に陰影感を与えてくれている。
こういった軟石は、北海道の地元産材としてのブロックに先行する材で
歴史的建造物となっている建物も多い。
しかし、たんに保存だけするというのもなにかおかしいといつも思う。
やっぱり建物は使い続けて、手を加えていってはじめて艶が出てくる。
それぞれに時代に似合うように手直しして使い続けている姿を見ると
うれしくなってくるものだと思います。
というふうにこの建物を見ていたので、ちょっと複雑。
わが家はブロックで作っているという親近感もあるのでしょうか?
北海道らしい建築としての価値はあるかと思います。
たぶん、農家の倉庫建築として最初建てられて
その後、住宅に改造されたのではないかと推測していました。
建築として折り目正しさも感じられるので、
どうも誰か、知人の設計者が関与しているのかも知れません。
中古住宅として売り出されているという表示なので今回、写真公開しました。
情報公開に先立って、不動産屋さんに連絡し確認も取っています。
経緯としては、札幌市内の方が別荘として利用されてきたようです。
ただし、べつに宣伝的な意味はまったくありません。


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奈良大仏と国立競技場、国家プロジェクト

2015年07月18日 06時01分44秒 | Weblog
展開が急でしたね。
きのう安藤忠雄さんの会見のことを書いたら、
夕方にはあっという間に、安倍首相が「白紙」宣言。
国防問題という、あまり人気の出ない政策遂行で停滞感の出た
政治スケジュールに於いて、他の問題で国民の関心の高い
この問題で、即断的な対応を見せることで政権浮揚を図った。
結果、新国立競技場という国家プロジェクト問題が大きく動いた。
そもそも新国立競技場はオリンピックの推進のための
目玉的な事業であるワケで、基本的にはそういう事業主体が
統括し、責任を持って推進すべきことがら。
得体の知れない「政治力」というものを期待されて
事実上の推進司令塔に擬せられてきた森喜朗元首相の
「おれもあれはおかしいと思っていた」という発言で、
それがどうにも無責任体制になっていたということが明白になった。
たぶん安藤さんはこの無責任体制のスケープゴート。

で、こういった「国家プロジェクト」として
日本の歴史の中でいちばん象徴的なのは何かと考えたら
この「奈良の大仏」が想起されてきました。
完成披露の開眼会は、当時で考え得る世界の賓客を集めた。
隣国の朝鮮からは皇太子が来たと言うし、
遠くインドからの使節の記録もある。
東アジア世界へ向けて、日本国家をアピールする機会になったという
そういった意味では、たぶん今日のオリンピックをはるかに超えた
大きな「民族体験」になっただろうことは疑いがない。
国威を示す絶好の機会になったのだろうと思います。
仏教というのは、当時、国を超える「普遍的世界性」を持っていた。
今日の資本主義と自由というような「価値感」にも擬せられる。
その象徴的な展示物として、巨大な大仏像が企画され完成を見た。
長年の租税負担を生み、飢饉などの災禍もあって、
民衆の負担は極限にまで達していたに違いないけれど、
同時に、大きな経済発展機会としての公共事業にもなった。
もっともわかりやすいものとしては、
「仏師」というビジネスが大きな産業にもなったことがあると思う。
その後の平泉・中尊寺の発注金額の天文学的規模を見ても
日本ではこういうかたちの巨大生産「企業群」が成立したことが知れる。
その上、この事業の最終過程では、
奥州から産金のニュースが飛び込んできて、
時の天皇、聖武が狂喜したと伝えられている。
その後の日本史の進展の中で大きな存在になっていく鉱物資源が、
この事業の結果としてもたらされた。

今日では、国家としての経済規模もまったく違うから
単純に比較できるものではないけれど、
きっと、いまの混乱と似たようなことは起こっていたに相違ない。
天皇・聖武にとって、
逃げも隠れもできない責任感を持って、立ち向かった事業だろうと。
今回のオリンピックは、前回の東京オリンピックと較べて
「国家の責任感覚」においてどうなのか、
また、はるかな奈良の国家の責任感覚と較べてどうなのか、
考えてみる大きな機会になって来たのではないかと思っています。

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安藤忠雄「新国立競技場」記者会見

2015年07月17日 05時24分45秒 | Weblog
住宅建築の世界から出発し、さまざまな建築の世界で活躍してきた
安藤忠雄さん。先般、札幌に来られたときの講演を聞いて
その「ものづくり」の精神性には共鳴できるものを感じています。
きのうは、いま話題になっている新国立競技場建設費の件で
オープンな論議を巻き起こすための序幕の役割を引き受けるかたちで
記者会見を開かれていました。
以前の札幌での氏の講演を聞いていて、
なぜか不思議と、司馬遼太郎さんと似た部分を感じていました。
まぁ、不幸にしてわたしは司馬遼太郎さんが生きているときに
そのお話しを聞く機会はありませんでしたが、
テレビや映像など、さらに講演記録の音声などに触れています。
同じ大阪人であり、市井を感じさせられるという意味合いなのか、
その雰囲気の同質性を強く感じさせられました。
そういえば、司馬遼太郎記念館という建築は、氏の設計なんだとか。
ぜひ一度、その空間性には触れてみたいと思っています。
彼が作る空間について、その温熱環境性については同意できないけれど、
しかし、ものを作って行く考え方・感じ方、情熱の部分では
大きなリスペクトを感じさせられています。
こういったアンビバレンツな思いを起こさせるのはかれの人間力でしょう。
意見は違っても尊敬に値する人、というのはいるようなものですね。
そういうかれが、東大の教授になったり、
新国立競技場設計コンペの「審査委員長」になるというのは、
わたしたちの社会のいまのありようとも関わっているのだと思うし、
ある意味で、妥当なことであろうとも思っています。

会見では、かれらしくざっくばらんに、会場を埋めた報道陣に向かって、
「写真なんて撮っていないで、言いたい聞きたいことをドンドン言ってほしい」
と、まさにストレートに投げかけていた。
で、5~6人からの質問内容が出終わったあたりで、
そういった声に応えるように語っていったと思います。
設計コンペ審査委員長としてのかれの役割を明確にしていた。
まるで今回の混乱の責任がかれ個人に帰せられるような
そういったタメにするとしか思えない情報の混乱の中で、
このようにきちんと情報開示されれば、まことにその通りと思う。
これは国家プロジェクトであり、
進められていったプロセス自体にはそう大きな瑕疵はないと思われました。
そしてデザイン案としてのザハ・ハディッドさんの案の説明も
おおむね了解可能だったと思います。
多くの人に、あるイメージを喚起する建築デザイン選定根拠として
妥当性を持った説明であると思われました。
安藤さんも自ら言っていたけれど、この記者会見を起点にして
大いに、国民的論議に発展させればいいのだと思います。
設計コンペ審査委員長としては、今回その選定意図は伝えられたと思う。
日本社会で起きていることなので、
その解決も、日本のいまの「民主主義」を発揮して論議し、
「落としどころ」も含めて考えていければ、
世界に向かって、なるほどいまの日本社会はリスペクトに値すると
そういったアピールにもなると思います。
シャレではないけれど、それこそ「建設的」な論議をすべきだ。
安藤さんの言葉の中で、繰り返し、日本のものづくりへの言及があった。
その部分で、司馬遼太郎さんが重なっていたとも感じたのだと思います。
現代の日本が、過去と未来の民族の歴史に向かって
いま、どのような建築を作れるのか、と
そういったアジテーションにもなっていたと思いました。


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北のアジサイ、いま満開

2015年07月16日 08時04分55秒 | Weblog


火曜日の東北・仙台ー盛岡での猛暑のなか
冷房を効かせたクルマでの行き帰り、
どうやら、冷房風邪の原因になったようで、
きのうは午後から猛烈に頭痛がやって参りました。
喉の変調も、いっしょにやってきて、大合唱(笑)。
どうもよくありませんね。
運転中、開始直後はあまりの猛暑のためか、アタマはボーッとしてました。
どうにもすっきりしない、モワッとした感覚。
たぶん、熱中症ってこういうのが進展していく先になるような予感。
なので、冷房を効果的にと考えすぎたのかも知れません。
運転については、その後ガムを噛んだり、ソフトクリームを食べたりして
すっかり体調も戻ったので良かったのですが、
過ぎては尚、及ばざるがごとし、ということなんでしょうか。

ということで、きのうは朝の散歩もひと休みしていたのですが、
本日は、頭痛の残滓を払拭するかのように散歩。
で、北海道神宮周辺で、ごらんのようなアジサイを。
あ、1枚目は違いました、これは土曜日に立ち寄った北海道共和町の
「アジサイ寺」と呼ばれているお寺の境内の様子。
下の写真が、アメリカ式の自然公園デザインの円山公園でのもの。
東京に住んでいた頃は、アジサイにいちばん心が奪われていた気がします。
あまりの美しさに、一度だけ花泥棒をしてしまったことがある・・・。
道はしに飛び出していた、美しく咲き誇っていた一輪を
深酒の帰り道、ついつい、
手折って、自室に生けてしまった記憶があります。
深く反省しておりますが、ま、時効と言うことでここに自供します。
そういう罪を犯したという後悔の気持ちを持っていますが、
その美しさには、そんな情念をもたらすものがあるのかも知れません。
さまざまな色合いのグラデーションが、魅惑的。
その後、北海道は高温多湿な梅雨がないからか、
たまにアジサイをみかけても、そこまで蠱惑的な情感は伝わってこない。
気候的な違いが大きいのだと思いますが、
あの蒸暑のなかで魅惑的な美しさを見せるアジサイに
深くとらわれる部分があるのだなと、思わされる次第。



そのお寺のなかには、
こんなアジサイをテーマにした金屏風画も襖に描かれていました。
やや気候と情感を異にするこの北の地でも
アジサイの美に、遠い思慕を抱くひとたちも多いのだなと、
そんな気分のなかでゆったりとした時間を過ごしておりました。







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現代生活とクルマ、常識・非常識?

2015年07月15日 06時11分50秒 | Weblog
きのうは仙台市内で1件、打合せを済ませたあと、
仙台から北上、盛岡をクルマで往復しておりました。
仙台の事務所のクルマ・カーナビに入力した走行距離は、
片道でも190kmくらいになっていた。
ほとんどが高速を利用するコースなので、
わたしとしては、特段、非日常的なコースではありません。
北海道と東北全域を営業エリアスパンとして活動しているので
どうという感覚もなくなっているのですが、
盛岡でひとと会っていたら、えらく驚かれました。
片道だけでなく、その打合せを済ませたら、仙台に戻り、
さらに仙台から札幌まで帰るのです、と言ったらさらに驚愕された。
たしかに、仙台ー北上ー盛岡往復に、仙台空港ー千歳ー札幌も
プラスすると、1300kmくらいの移動距離になるので、
「そうか、そう言われてみれば・・・」とは思うのですが、
さりとて、まぁ日常的にこれくらいは良くあるパターン。
しかし、その方の言われる距離感覚では、仙台ー盛岡のクルマ移動というのが
そもそも想定外のスパンなのだそうです。
これも400kmくらいにはなっている。
盛岡から岩手県最南部の一関くらいでも、新幹線を考えるのだそうです。
そういう風に言われて、
ふと立ち止まって、すっかりふり返って見た次第であります。
こういう風なのが普通であるというのは、やや異常ではあるのかも、と。
落ち着いていろいろなことを考えていく、
地に足を付けて地域に密着しながら考えていくという視点こそが
もっとも求められていることではないのか、という反省ですね。
う~~む、と考え込まされました。

そういう反省機会は、先週土曜にもありました。
その日は走行距離が、300kmくらいになっていまして、
国道5号線、倶知安から余市に抜ける上り坂の「追い越し車線」走行中、
クルマのエンジンにトラブル発生。
どうもエンジンが回転しなくなっている感覚。
アクセルを踏んでも無反応という状況に。
で、やむなく追い越しをあきらめて、通常の走行車線に移動し、
ほどなくあった「パーキングエリア」に退避しました。
この直前にも、エンジンは無反応状況で、ほぼ惰性運転に近い。
フロントパネルには見たことのないアラートが点滅していた。
で、メーカーの営業所に連絡したけれど、
どうやらケータイの電波が弱くてまともに話せない。
一旦、エンジンを切って、3分くらいしてから再起動させた。
どうも最近のクルマって、デジタル制御をしているようで、
パソコン操作の感覚もありますね。
そうしたら、再起動できて、アラートは出てこない。
そこで、ゆっくりと運転を再開させて、メインの国道を札幌まで移動することに。
ふだんは、ショートカットの道を通るのですが、
いつ不調が再発するかも知れないので、通りの多い道の方が安全率が高そう。
で、メーカーとも連絡が付いて、小樽ー札幌の高速道路入り口直前の
メーカーのドックに入ってチェックして欲しいということ。
再起動後は、信号なども多い国道なのでひんぱんにエンジン停止、再起動が
繰り返される状況だったのですが、エンジントラブルは再発せず
順調に持っていてくれました。
で、メーカーのカードックに入れて、待つこと1時間ほど。
聞いたら、エンジンへの着火システムが不具合を起こしていて
それを取り替えた方がいいけれど、いまはその部品はここにはない。
応急的だけれど、しっかりチェックして
札幌までの走行にはまったく支障はありませんので、ということ。
安心して運転を再開し、500-600m先の高速入り口との三叉路直前の
信号でエンジン停止後、発進させたら、今度は車体全体が震えるような
異常状態に突入。
とっさに高速への入り口方面を断念して、三叉路を一般道方面に。
で、数十メートル走った場所で、やや退避可能な引き込み場所を発見して
クルマを緊急に停止させられました。
で、そこからケータイで異常をメーカーに知らせ、
追ってカードックからピックアップ用の台車が来て、写真のような状況に。
そこから再度、カードックにクルマを入れて再度修理に。
フロントマンからは、「直しますから、このクルマで帰ってください」との
申し出があったけれど、その後店長さんが話に来て
「このまま、このクルマで高速走行するのは、不安」という旨を伝えたら、
ようやく代車を手配してくれて、それで家に帰れることになりました。
ようやくひとごこちが付いて帰って来られた次第でした。
翌日日曜日に、メーカーから修理したクルマが帰って来て、
一連の事柄について、メーカーからの事情説明を詳しく聞きました。
で、その後も、このクルマに乗っているのですが、
まぁ、トラブルの原因は解決できているようです。が・・・。う~~む。
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鎌田紀彦「Q1.0住宅デザイン論」新連載

2015年07月14日 05時24分48秒 | Weblog


さて、Replanでは東北版の次号7月21日発売号から
新住協代表理事・鎌田紀彦先生による新連載企画として
「Q1.0住宅デザイン論」を掲載開始いたします。
新連載に当たって、文中「はじめに」から、要旨を抜粋してお知らせします。

・・・デザインをいくら追求しても、北海道でその家が寒くては
何にもならないと思ったし、また大きな吹き抜けや大きな窓を設け、
それによる寒さを床暖房でごまかしているような家が、
いわゆる建築家と言われる人が設計した家には多かったのである。
「高断熱・高気密住宅」はそのような家も暖かく快適に、
且つ省エネにできることを説き続けてきた。そのせいか、
私は「断熱オタク」とみられているようである。
・・・しかし、振り返ってみれば実は私は、薄い断熱を当初は主張していた。
断熱材がきちんと効くような工法を取り入れるのが先で、
これを無視して厚い断熱を施しても無意味だと考えていた。
また、普及するためには、あまりにかけ離れたコストになっては
いけないと思っていた。この30年、コストを徐々にかけながら
最近のQ1.0住宅にまでたどり着いたのである。
・・・私のこうした活動の中で設計した住宅、或いは私と共に
新住協を支えてきてくれた会員の設計などを紹介しながら、
そこから生まれた新しい技術や、「高断熱・高気密住宅」ならではの
デザイン、計画手法を紹介していきたいと考えている。

というのが解題・趣旨であります。
きのうは、今後の連載企画について鎌田先生と編集方針の打合せ。
3時間以上、たっぷりと論点を整理したりしておりましたが、
やはり先生が探求されてきたこと、日本の寒冷地住宅が求めてきたことは
日本の木造技術にとって、いまここにある伝説と言えるのかも知れないと
そんな思いを持って話し合っておりました。
今後とも日本の木造住宅が世界標準の作られようと乖離せず、
技術進化していけることを担保してきたと言えるのだと思います。
そうしたことを、デザインという明瞭な切り口で
一般のみなさんにも、現場のみなさんにも、
広くその真髄を伝えられたら幸いだと思っております。
先生の活動拠点が、北海道室蘭から仙台に移られたこともあって、
この連載企画は、東北版からスタートしていくこととしました。
北海道版については、9月発売号から掲載して参ります。
近々、WEB販売のご案内もこの場でしますので、
ぜひ、全国の多くのみなさんにご一読いただければと思います。

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ちょっと変わった「窓」が好き

2015年07月13日 05時55分49秒 | Weblog
すっかり暑くなってきた今日この頃、
1日活動した後は、1日たっぷり休みたいということでぼーっと。
なんですが、本日のブログのお題は「窓」ということで。
2日間にわたって取材した「板金屋さんのイベント」ネタから、
もうひとつ、面白かったのが上の窓。
といっても、この窓は、「壁の穴」と言った方が正確なのかも。
いわゆる「サッシ」ではなく、現場造作的につくった窓なのです。
ポリカーボネートという素材は、その透光性と断熱性で、
主に、北海道で「面白そうだよね」と話題になっていった素材。
そうなんです、断熱性を基準にして、独自の素材発見があるというのが
北海道の住宅マーケットの面白さの一断面でしょうね。
この略称「ポリカ」も、その住宅建材としての利用は、
たぶん北海道が初めてではないかと。
北海道の設計者たちは、断熱性能が高くて、という素材の性能に
きわめて敏感に反応する「風土性」を持っている。
で、その断熱性と透光性に着目して
開口部素材として使ってみたくなるものなのです。
この樋口板金さんの太陽光発電屋根の実験建物は
通常は車庫として利用しているのだそうで、
ごらんのように横長に開口部を取っています。
たぶん、面材として使った建材の長さがこの高さに必然的になるので、
その上の位置で、ぐるりと横長窓が構想されたものでしょう。
でも車庫だし、ちゃんとしたサッシを設置するほど余裕はない。
そこでポリカで開口部を作ったのでしょうね、・・・わかる。
そうなると、今度はサッシ並みにさせるにはどうしたらいいかなと、工夫する。
ポリカの連続部を重ね張りして、山の部分でネジで建築木部に接合させていた。
「接着材で、接合後、透明化するヤツがあるから・・・」
と妄想が膨らんでくる。
ネジと透明化接着材で接合部分を構成すると、そこそこの気密ができないか。
うまくやれれば、ポリカ窓ができるのではないか。
そんな雑談を交わしておりました。
たぶん、多くの現場でそんな工夫はされてきていると思うのですが、
まだ、公的認証レベルのものは不勉強で知らない。
でも、こうやってみると、デザイン的にはなかなかに魅力的だと思われます。



っていうことを妄想して帰ってきてわが家を見たら、
そういえば、わが家のファサード部分に45度回転させて設置した窓が。
リフォームしたときに、遊びで、こんな設置をしてみたんです。
実用的には玄関窓なので、そうは開け閉め頻度は高くはならないし、
他の部位に利用していて、余った木製サッシだったので、
こんなふうに使ってみたのであります。
3重ガラス入りなので、性能面は心配はないし、
実用としてはそう開閉しなくてもいいので、思い切って斜めにしたのです。
あれ以来、20年近くなっているけれど、別段の問題もなく持ってきています。
こういうファサードにしたのには、もうひとつ理由もあった。
それは、角地に位置しているので、カーブを切りきれずに
クルマがわが家に接触事故してきたことがあったのです。
なんとなくそんな不安心理から、レンガで花壇を作っていたのが幸いして
それが建物を守ってくれていた。
そのときに、この窓が「注意サイン」としても機能したような気がします。
年取ってくると、こういう窓の話題から、違うことも思い出すようになる。
なにやら、考えたことの備忘録のようになってきたブログであります(笑)。
今後とも、お付き合いいただければ幸いです。

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