三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

函館の春、クロッカス・マンサクの花

2016年04月10日 06時26分24秒 | Weblog


ふたたび新幹線に乗って新青森から新函館北斗へ。
ということですが、土曜休みでもあるので、カミさんが札幌から
クルマで函館まで迎えに来てくれて、
ふたりで函館の春を巡り歩いておりました。
やっぱり本州地域各地でサクラの便りを聞くと
北海道人も、そんな春への思いが沸き立っても来る。
そうすると、一番本州に近く、気候も温暖な函館地区に
春を探してみたくなるということになる次第。
だいたい、わが家ではこの4月時期には道南を巡ることが多い。
好天にも誘われて歩きましたが、
しかしきのうは風が強かったので、場所によってはクルマが揺れたりもした。
わたしは前日まで青森だったのでこっちの天気予報は知らなかったけど、
カミさんの情報では週末~週はじめにかけて、
降雪の予想も出ているのだとか。
なかなか一足飛びに春は来てくれませんね。

でも、市内行脚の各所でごらんのような花が目を楽しませてくれた。
上の花はクロッカス。
土を破って、元気な躍動感を感じさせてくれる。
北海道のこの時期には、華やかさで一番なんではないかと。
で、一方下は「マンサク」の花であります。
マンサクの語源は明らかでないとのことですが、
東北地方で「まず咲く」「まんずさく」が訛ったものといわれる。
この花は、香雪園という函館上湯ノ川にある名園で見たもの。
たまたま、トラピスチヌ修道院の見学のあとに、
「見晴らし公園」というスポットが最近外国人に人気、函館で28番目、
とかいう案内を目にしたので、初めて知った次第。



函館市内各所で、このような看板を見ました。
ミシュランガイドが日本人にも大いに役立っている。
「外国人が見たニッポン」というような視点に弱い日本人を
ハッキリと正面から認めているこういう看板。
というような自虐的視点もあるワケですが、
各所で中国人観光客のみなさんにも遭遇しましたので、
かれらへのアピールが主眼なのでしょうね。
観光の魅力向上にはいいアピールではないかと思われました。
で、明日以降、このなかで「香雪園」に残る名建築をご案内したいと思います。
本日はまだ疲れもあるので、軽いお花の話題でした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

用の建築、農作事小屋の正直さ

2016年04月09日 06時27分14秒 | Weblog
ときどき、廃屋とかの類に無性に惹かれる習性を持っています(笑)。
このブログでも、たまに「なんじゃこれ」というヤツを載っけたりして
きっと、顰蹙を買っているのではと密かに怖れております(笑)。
しかし、本性はどうやってもいずれ顕れるものですから、
ブログのテーマについては、感じたままに綴ることにしています。
結局はメディアの人間って言うのは、旺盛な野次馬根性なのでしょう。
面白いものには、どうやっても釣り上げられる(笑)。

この農作事のための「小屋」は、青森県内某所にて、
ふと道端で見つけたモノであります。
その外観から伝わってくる、独特の使い込まれた様子と
強烈な外観意匠が、ある種の驚きを見る者に伝えている。
用途は、たぶん農作時にあたっての必要な道具類を
雨風から守る、まったくの「用」を果たすものであるのだと推測される。
で、ありながら、屋根の上に越屋根が乗せられて
空気抜きであるのか、明かり取りであるのか、
そのような意匠がかたちづくられている。
そして屋根も壁も、板金で仕上げられているが、ところどころ、
継ぎ接ぎしました感、あちこちあちこちで、
それが正直にそのまま表されている様子がなんともユニーク。
見ていると、農作時の労働のあれこれの想像すらが、惹起されて来る。
とくに外部壁面に「くくりつけられた」ハシゴが
目に飛び込んできて、そうか、高所作業というのも仕事があるんだと、
そういったこともストレートに見えてくる。
農事というのは、することが百もあるともいわれるけれど、
そういったさまざまの仕事を用立てするモノたちが、
このなかに、使う人間にとっての合理性に基づいて整然と
整頓されて仕舞い込まれていることを、姿が語っているようです。
端部では、基礎が波打っていて、不同沈下を見せている。
土間仕上げで土台などはなく、直接柱を掘っ立てさせているのか、
それとも、寒冷地らしく土面が凍結凍上をくりかえしたものか、
さらに屋根ラインの波打は、防水の破綻が招いたのか
といったさまざまな想像力をふんだんに刺激してくれる。
きっと、そんなことが集積した感受性が騒いで、
こういう建物を見ると無性に惹き付けられるのでしょうね(笑)。
でも、こういう正直にそのまんま、という建物、好きです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥日光・キッチュな岩木山神社

2016年04月08日 07時18分04秒 | Weblog


出張時の楽しみに、各地の神社拝観があります。
とくに「一の宮」には、その地の祖霊が宿る感があって、
背筋の伸びる思いがいたします。
しかし、そのなかでも、各神社によって、あるいは土地によって、
自ずと違いがあって、地域性の基盤を形成している、
地域文化性のなにものかを表現していると思っています。

この「津軽国一の宮」である岩木山神社は、
神体が岩木山本体であることが明瞭で、日本国家神道というよりも
より、地域性を強く感じさせられる神社です。
2枚目の写真は中門の掲額を仰ぎ見たのですが、
「北門鎮護」と明瞭に墨書されて、この神さまが、
江戸期まで日本国家の北辺にあって、ながく国家を守ってきた故事を
自ずと想起させられるし、北海道から訪れると、
どこか、親近感も感じられます。
で、その中門などがきわめて特徴的ですが、
日光と同時代性を感じる極彩色のキッチュさで、
まことににぎやかな装飾性を身にまとわれている。
で、縁起を調べてみると、開基は780年ころという説もある。
「陸奧動乱」とされる時期で、多賀城国府への反乱記録もある。
その後、800年にいたって、奥羽地域征服戦争を仕掛けた
坂上田村麻呂が戦勝にあたって、岩木山山頂に社殿を再建し、
その後、下居宮(おりいのみや=麓宮、現在の厳鬼山神社)が建立され、
山頂の社は奥宮とされたとのこと。



日本国家としての戦勝記念メモリアルとして創建されたのでしょう。
しかし、その地の神々へのリスペクトを持って占領担当官・田村麻呂は
あたったに相違なく、「地神」としての崇敬を集めたものでしょう。
「おいわきさん」という地域の尊敬を込めた呼び方が、
山自体とこの神社に集まり続けたことが、それを証している。
そういった長い歴史の積み重ねが、社殿建築に表れている。
戦国末、当時は神仏習合で「百沢寺」であった社殿は、
天正17年(1589年)岩木山の噴火により、消失したそうです。
この当時は津軽為信による南部藩からの独立の時期にも相当する。
まことに、地の神さまらしい有為転変ぶりとも思われます。
再建されたのが、こういった時期からなので、
現在残っている社殿は、抜けがたく戦国末期~江戸初期の
絢爛豪華さが意匠に全面展開しているのでしょう。
まことに、にぎやかで津軽らしい華やぎが感じられる神さまでした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道新幹線「はやぶさ」搭乗、青森へ

2016年04月07日 06時37分46秒 | Weblog


さて既報のように、本日より青森県へ来ております。
わたしはチョコチョコと青森県で要件があり、
年に6回くらいは往復しております。
ことしはもう3回目ということになります。
で、これまでの旅程とは替わって、今回は北海道新幹線利用。
LINEで家族にも報告したら、
「ミーハーだな~」とあきれられた(笑)。
まぁビジネスで来ているし、ほかに手段もないので、今後とも
利用せざるを得ないので、娘の指摘は的は射ていない(キッパリ)。
しかしまぁ、メディアやコミュニケーションの仕事をしているので
「どんなことが起こっているのか」という興味は強く、
そういった「ひとびとの関心事」には、体験知見は必要になる。
そういう意味で、多少は野次馬的関心は強く持っております(笑)。
きのうは、午前6時52分札幌始発の「スーパー北斗」で出発。
これまでは8両編成だったように思いましたが、
10両編成になっておりました。
こころなしか、車両も新しさを感じた次第。
で、千歳・苫小牧を回って、新函館北斗まで到着が10:24。
新造された新幹線の駅舎であります。



で、新函館北斗を10:49に発車。
到着、新青森までは約1時間の11:50であります。
きのうのニュースでは途中の青函トンネル内で緊急停止したことを
JR北海道が報告しなかったと報道されていました。
在来線の貨物列車もこのトンネルを利用していて、
新幹線とは違う「軌道」があり、
そのふたつの軌道の間に金属片が落ちていたのを、
はやぶさが感知して緊急停止したが、2分ほどの遅れで復帰したということ。
こういった情報、どの程度まで情報開示すべきなのか、
線引き自体は難しいでしょうが、それだけ北海道新幹線、
いまは注目度が高いし、ニュースになるのはやむを得ないでしょうね。
1985年貫通、供用開始が1988年ということで、
すでに28年の歳月が流れていて、貫通工事当時から
新幹線が通れるように設計施工されていた。
しかし、これほどの長期間を経ての実質的な供用開始。
関係者のご苦労は、察してあまりありますね。
乗り心地自体は、まったく最新の新幹線そのもの。
新幹線移動に慣れている関東以南地域のみなさんにとって、
新幹線で「札幌まで」乗っていけるというのは、たしかに魅力になる。
しかし、新幹線の旅とは言え、3時間がひとつの限界ではないか
という意見もいろいろな人から聞かれます。
既存の新幹線で言えば、東京から広島くらいが限度で
福岡・博多にはやはり飛行機となるのでは、というご意見。
そうすると、地域間、たとえば関西・中国と九州というように
地域間のひとの交流というようなことを
どれだけ活性化させられるか、というのがキモなのかも。
北海道と東北がどれだけ「交流」できるのか、
そんな大きなテーマも見えてくるように思いますね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小樽らーめんみかん・昔風ラーメン

2016年04月06日 04時36分29秒 | Weblog
本日は住宅ネタ、お休みさせてもらいます。
朝一番で、北海道新幹線での乗車で青森方面出張。
なので、起き抜けに出掛けなければならない。
軽めのテーマで失礼します(笑)。

先日、温泉の帰りに「南樽市場~なんたるいちば~」に立ち寄った。
この市場は、小樽市の南側に位置する市場で、
名前も南小樽市場だったのだろうけれど、
いつのまにか、なんたるいちばが通称名になった市場。
で、その日はなんと定休日だった(泣)。
まぁしょがない、帰ろうとしてクルマに戻ろうとしたら、
周辺の駐車場が混雑している。
ひとの動きを見ていると、どうもラーメン店に引き寄せられている。
表題のようなお店がどうやら繁盛している様子なのであります。
という「なんたる経緯か」という次第で、立ち寄ってみることに。

まあやっぱり、札幌ラーメンと友に人生があったようなものなので、
人気店というのができたら、一度は食べてみたいのが人情。
でも寄る年波とともに、できるだけ「あっさり」「昔風」に好みがまっしぐら。
お店の案内でも、「昔風ラーメン」が大書されている。
ということで、一も二もなく、それを注文させていただきました。
頼んで席に着いてからの待ち時間は3分ほど。
で、ごらんのようなごく穏やかそうな見てくれのラーメン。
いかにも「駅前ラーメン」的な普通感がハンパなく伝わってくる。
決め手はやっぱり「麩」でしょうね。
麩は、ただしく出汁をとった汁のうまみを味わう最良の食材。
日本人的食感の媒介者として王道であります。
そして、なるとであります。
このなると、周囲のギザギザがこなれていて、
やや円形に近くなっている。
個人的にはギザギザの舌へ食感が好きなので、
この美観は、イマイチとは思いました。
でもまぁ全体の雰囲気構成は悪くはない様子であります。
で、一気にいただきました。
満足すべき味なんではないかと思いました。
食後感は、これもお腹にきわめて優しい感じで、
わたしのような年代にはありがたい風合いだったと思います。
らーめんみかん、昔風ラーメン1杯750円也でした。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓屋建物・釜山コモドホテル建築

2016年04月05日 05時49分53秒 | Weblog


さてすっかり遠くなった韓国ツアーの想い出ですが、
ちょっと忘れていたのが、最後に宿泊した釜山の名門ホテル。
3泊4日の弾丸ツアーだったので、
っていうか、事前の下調べが万全とは言い難かったので、
最終日にたどりついたホテルにまで、気が回っていなかったのです。
しかし、食事とカラオケなどの集団行動で盛り上がっていたのですが、
よくよく見てみたかったなぁと、後の祭りのように写真を整理して、
「このホテル、ちょっと面白そうだ」と、後で気付いている次第なのです。
疲労困憊してホテルにたどりついて、
「あれ、なんか内装も凝ってるなぁ」とは感じたけれど、
そして外に出て、ふと外観を見上げてみたら、
各室から出られるベランダが、重厚にデザインされている。
いわゆる機能優先と言うよりも、装飾性、それも
韓国風のデザイン感覚がたっぷりと濃厚に味付けされている。
どうも旅行代理店さん、わたしたち建築ツアーに配慮して
面白いホテルを考えてくれていたようなのであります(冷や汗)。
ということで、だんだんと気付きの遅れた申し訳なさが募ってきた(笑)。
で、本日、罪滅ぼしでご紹介する次第です。

以下、釜山コモドホテルの簡単な紹介。
艦隊の司令官・海軍提督で海洋都市、釜山を守る
李舜臣(イースンシン)将軍を象徴化したデザイン。
釜山の海を守り、艦隊を率いる強い提督のイメージを表現した。
朝鮮時代の王宮を再現した「韓屋建物」で
韓国雰囲気たっぷりの特級ホテルです。
弓なりに曲線を描き、中央が釜山港に向かって丸く突き出しています。
パノラマが広がるように宿泊客が、
釜山港を遠くまで見渡せるように考案された設計で
単純な直線型のホテルより、美観を考慮したホテルです。
各階は華麗な丹青で装飾し、韓国民話に登場してくる場面を
浮き彫りにした壁をはじめ、天井と床は蓮の花模様を描いています。



これはどうも、失礼いたしました、という次第。
ホテルはそれほどこだわりもしていなかったので、
「なんか、変わっているなぁ」くらいしか、思っていなかったし、
いわば背景として、意識もそうは向かなかったけれど、
モダニズムではなく、いわゆる韓国風の王宮のようなデザインなんですね。
もっとリスペクトをもって謹んで感受させていただけば良かったと
反省している次第であります。
写真を見て「おおお」と今更ながら、やや驚きを感じている次第。
人間、疲れていると感覚領域も鈍磨するものですね。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家と屋根の有無:隈研吾審査・学生コンペ

2016年04月04日 06時03分55秒 | Weblog


昨年12月2日に、十勝管内大樹町にある、
LIXILさんの実験住宅群・メムメドゥスで昨年の学生住宅コンペ作品を
取材しましたが、そのときには実は工事が完成していなくて
屋根がかかっていない状態でした。
その上、この建物には壁もないということで、
コンペ趣旨も、その主導者である建築家・隈研吾さんの受賞理由説明も、
わたしども凡百には、想像力を抱きにくいものでした。
以下が、昨年のコンペのテーマ「趣旨」。

「厳しい寒さを楽しむ家」
北海道大樹町は冬は寒く、閉ざされます。そうした自然の寒さや煩わしさも、
建築やライフスタイルを考えることでポジティブにすることができます。
寒い中でコートを着て星空を眺めたり、サウナから極寒の湖に飛び込む
フィンランドのもてなしや、日本のお風呂など、各地には機器に頼らない
サステナブルな楽しみ方があります。
大樹町には美しい水や、美しい緑が、厳しさとともにあります。
それを人工素材を使って実現してはどうだろうか。
素材のローカリティにとらわれず、今考えられる建築を考えてください。
断熱は否定しませんが、原始時代から人類が親しんできた焚き火や、
スチームに蒸気が通る音などのわくわくした要素を取込むなど、
短期間でよいので、大樹町の環境を楽しむための施設を考えてください。

どうもこういったテーマ性も、昨年は十分に把握はできなかった。
写真の「家」がグランプリであった北欧・ノルウェイの学生の作品。
「短期間でよい」ことをよりどころにして、「厳しい寒さを楽しむ」のに、
建物から「壁も無くして」しまっていた次第。
しかし、下の写真のように「屋根もない」骨だけのコンクリートからは、
なかなか想像力も羽ばたいてくれなかった(笑)。
家に壁はないのはまだしも、屋根がないのは、果たして
「家」という概念規定の十分条件になるのかどうか?
というか、夫婦での休日の遠出のついでではあるけれど、
わたしが今回、もう一回行って見たくなったのは、
この「建物」がその後、めでたく完成した様子を見たかったのです。
「ところで屋根はかかったのだろうか、そうすると印象はどうなるか」
そんな「取材動機」であります(笑)。
やはり「屋根の有る無し」というのは、住宅にとって決定的だということを
この「前後写真」は明瞭に語ってくれていますね。
屋根の美しさで、家らしい佇まいが醸し出されていた。




上の写真2点は、左側が「リビングルーム」で、右側はエントランスと
その「中庭空間」、そして右端は「ベッドルーム」。
下の写真は、ベッドルームの裏側に位置する「バスルーム」。
習作ではなく、本当にお湯が出るように設備も設置されているようです。
審査委員長の隈研吾さんは、
「このお風呂に入ってみたい」と語っていましたが、
一昨日には、土の面に氷が張っていました(笑)。
暖房装置見立てとして、ファイアプレースと「煙突」がコンクリートで造作され
一部に火を熾したであろう痕跡が確認できましたが、
床面には燃焼痕跡がなく壁面だけだったので、
たぶん「煙道」は機能成立しなかったことが推測できました。
4カ月の時間経過後、
気になっていた「取材し残し」感をなんとか、解消できた次第です。
さてこの住宅、「居住実験」は行われるのでしょうか?






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かわいいシジュウカラ一家・巣箱の春情報

2016年04月03日 09時03分56秒 | Weblog
本州地区では、サクラ満開の様子ですが、
北海道は春はいまだ遠い景色が続いております。
きのうは、ある建築途中の建物のその後が気になって
遠出も兼ねて札幌から、日高地方~十勝に抜けて
宇宙構想で名前の売れてきた十勝大樹町まで行って参りました。

なんですが、そういった建築の話題は、本日はお休み。
帰りに立ち寄ったパーキングエリア、といっても
トイレしかない十勝地方のパーキングで
期待せずに入ったトイレの壁面いっぱいに、ごらんのような写真が
大きく目一杯に、展示されておりました。
最初は「ん、なんじゃこれ」と、ぼーっと見ておりましたが、
ようやく画像の意味が明確になるにつれて、
「おお、北国の春じゃ」とじわじわ感動の念が湧いてきた次第。
どうやら、このパーキング周辺に小鳥のための「巣箱」を設置して
その巣箱の屋根裏・上方に、定点観測用のカメラを仕込んで置いて、
そのなかに産み付けられた、野鳥・シジュウカラの小鳥たちの
様子を連続分解写真として、大きく展示しているようなのです。
イキモノの春・生命躍動感、ハンパなく迫ってくる。
しばし、トイレであることを忘れて、楽しく長居していた(笑)。
このシジュウカラ一家の様子、このあとも見てみたい、
そんな「知りたい・情報価値」を、ドーンと体当たり的に食らった。

このようなIT技術の一般化利用は、まことに楽しい。
だれにでもできるような「情報技術」ですが、
これまで情報発信の専門ではなかった人たちが、
まことに手軽に、ひとびとの感動を勝ち得る情報の発信者になれる。
ステキな時代であることが、一目瞭然ですね。
ただし、これまで情報発信を独占してきた大手メディアにとっては
その生き方・ありようのすべてにわたって、
再検討、再構築が否応なく迫られてもいるのでしょうね。
こういうすばらしい情報をいただいた、たぶん、JHの管理者さんに
ありがとうの気持ちを、お伝えしたいと思いました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

住まいを「編む」

2016年04月02日 04時16分18秒 | Weblog
写真はある古民家で見た、住まいの「編み針」。
古民家では屋根の仕上げには萱などの自然素材が使われた。
その萱などの自然繊維は、一抱え程度の束にしてあり、
それを屋根に葺いていったのですが、それらの束を固定させるために
これも自然素材の「縄」で、屋根の構造材に縛り付けていった。
こういう自然繊維素材は、内部に中空を持っていて
ちょうど現代の断熱材・グラスウールがその内部に保持する
「静止空気」をもって断熱の用を果たしているのと同様なんですね。
で、それらを室内~外部と「縫い付ける」には、それを加工する「針」が必要。
この写真は、その針なんですね。
以前にアイヌチセの取材をしたときにも、
そういった用途を果たす用具を見ましたが、
この日本列島社会では、こうした屋根作り技術が一般的だった。
日本側では、屋根だけが茅葺きだったのですが、
アイヌ社会では、壁もこの「萱束」で構成されている。
先日見学して来た韓国の河回村でも、集落の周辺・川辺には
「茅場」と想定できるエリアが確認できましたが、
こういう建築材料が容易に得られるという条件も、
アジア全域、いや、広く普遍的に見て
人間環境選択の大きな要素だったのでしょう。
で、こうした「萱束」ワンセットを作って行くのですが、
アイヌの方に取材したところ、熟練した人で1日に完成できる束は30。
アイヌチセの場合には、壁・屋根全体で、おおむね700束ほどが必要とのこと。
チセは平屋なので、たぶん屋根の方が分量は多いくらいでしょう。
ざっと計算すると屋根には400-500束程度が必要でしょうね。
まぁ、家の大きさもいろいろあるでしょうが、一般的サイズで。
そういった萱束を、こういう縫い針で文字通り、結束させていく。
糸は、縄やなめした柔らかい木などが使われる。
アイヌの場合は、シナの木の皮が適していると聞かされました。



で、日本民族の側では、
アイヌの壁面とは違って、床面仕上げの方が畳文化になっていく。
アイヌの側でも、ムシロ敷きが一般的だったようだし、
さらにはクマの毛皮などのすばらしい絨毯も使われていた(笑)。
ヒグマのような大型毛皮に恵まれなかった日本側では、
床も丹念に「編み上げる」文化が熟成していったのですね。
この「畳表」についても、日本各地で編む文化の違いがあるようです。
ときどき、その編み上げ方をじっくりと観察したりします。
人の足下を見させていただいている(笑)。
こういう畳文化、日本民族が大勢になった北海道で、
いまや、板敷き主流になって廃れて行っている。
なにやら住文化にも輪廻転生、通じるのかも知れませんね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご先祖の生き様との対話

2016年04月01日 05時52分03秒 | Weblog
わたしは、仕事は住宅関係情報業でありますが、
歴史への探求の思い、希求はきわめて強いタイプです。
このブログでも、たびたび歴史ネタを書いたりしているのですが、
兄の一人は、ご先祖さまの事跡探求をライフワークで取り組んでいます。
そのおかげで、わたしの歴史研究にも血肉の部分でのリアリティも
あちこちから出てきて、興味はどんどんと深くなっていく。

いまは、慶長年間、戦国最末期からの事跡を
書き残してくれているご先祖様の古文書をめぐっての研究から、
ほぼ江戸期全般にわたってのわが家家系の動向を探っています。
残されている古文書や、書き置き、過去帳、お位牌などの
資料をあれこれと調査していると、
ご先祖様の生きてきた人生の様子が想像力で復元されてくる。
わたしは6人兄弟の末っ子なのですが、
そういう家族関係などを想像力のよすがとして見ると、
血のつながったひとたちの思考法とか、思いが
かなり明瞭に見えてくるようになるのであります。
そういった想像力と、現実に残されている文書やものとが
くっきりと結びついてくるようになって、まるで、
「ご先祖様との対話」が、なんとなく成立するようになってくる。
200年ほど前に生きていたご先祖様が、江戸初期の家系動乱期の
ことを調査して、書き残してくれている古文書など、
それを書いたご先祖の導きに誘われて、わたし自身もその足跡を
実際にたどってみたりしています。
きっとこのご先祖様の血が、わたしや兄のような傾向を生んでいる、
そんな時代を超えた肉親感が沸き起こってきます。

写真は、そんなわが家、家系の歴史を日本史の流れと対照させながら
Excel年表形式で作成しているものの一部。
一応、伝承を含めて可能な限り事跡を反映させてきています。
日本史的事件、各藩での百姓一揆などの記録との対照などで、
わが家の家系伝承とが、ぴったりと一致することもしばしば。
そしてつくづくと思うのですが、こうした過去の正確な把握は、
単にノスタルジックな興味などではなく、
今を生きているわたしたちの世代が、なにを成さねばならないかを、
いろいろに考えさせてくれるきっかけを提供してくれています。
むしろ、よりよく生きるためにこそ役立つのだと気付かされる。
こういったご先祖様の生き様との対話は、ありがたいことと、
感謝している次第であります。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする