元禄15年(1702)12月14日は赤穂浪士による吉良家討ち入りの日です。
忠臣蔵のテレビドラマを観ました。
浅野内匠頭は享年33
大石内蔵助は享年43
大石主税は享年16
吉良上野介は享年61
主君の切腹の際に使われた「お肉通しの小さき刀」を赤穂城で急使から受け取る、大石内蔵助、
大石内蔵助役は松平健。
この刀で主君の無念を思い知る。
ドラマでは討ち入りをして、浅野内匠頭は額の刀傷(又は背中の傷)で本人と分かったそうですが、実際は着物に焚きしめてあった「お香」が高価なもので、浅野内匠頭と分かったそうです。
出陣の時に、浅野内匠頭の切腹に使われた「お肉通しの刀」を持参する。
吉良上野介にその刀で自刃するように話すが、
内蔵助に、襲いかかり、成敗される。
大石内蔵助の辞世の句、
★大石内蔵助の縁の地を訪ねました。
○東京都港区の高輪の泉岳寺に40年ほど前にお参りしました。
浅野内匠頭の遺骸は遺臣によって東京、高輪の泉岳寺に埋葬されました。
○赤穂城跡にある大石神社は3回も行きました。
○大石内蔵助が隠れ住んだ京都市の山科の岩屋寺
○法住寺、9月21日に、
内蔵助が戦勝祈願と情報収集に度々、訪れた法住寺、
その寺域の後白河天皇の御廟は公家が度々、お参りするので、内蔵助はお家再興や情報収集で法住寺によく訪れていました。
★あけび誌の12月号の「秀歌鑑賞」に私の原稿が載りました。
復活の歌
涼風
年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり 『老妓抄』より
『老妓抄』 岡本かの子・著
涼風
年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり 『老妓抄』より
『老妓抄』 岡本かの子・著
「いよよ華やぐいのちなりけり」は、苦労は多いが生き抜く力は強くなったとの認識の確かさです。昨年は主人の入院・手術、家のリフォーム、今年はネットの私のブログのダイジェスト本の出版で1月からは忙しくしていました。その上、猛暑でかって無いほど体力・気力の衰えを感じていました。秋からは世間から距離を置いて静かに暮らすつもりでした。しかし、色々な人の暮らしを知るにつけ、私ももう一踏ん張りしなくてはいけないと気が付きました。「そぞろゆく」に世の中に参加しつつ、穏やかに暮らしていくとの決意を表しました。
この世とふ
大河のほとりを
そぞろゆく
命ありけり
命ありけり
命なりけり 涼風
❃ ❃ ❃
私は自分の本の出版と言う大仕事が終わって、人生の舞台から降りて、観客席で人生の舞台を見てる感じがします。
★四季の彩り、
「水曜日サロン」をあけび誌のHPに紹介しました。
このサロンはとても良い歌を詠まれる方が多いです。
様々な色の花が咲く花園の様な感じのネット短歌会です。
私の短歌会は植物園のような感じの歌会です。
《コラム》
ネット短歌会
涼風
私はインターネットの短歌サロンに参加しています。
gooブログ・「四季の彩り」の「口語短歌・ 水曜サロンの会」で検索してください。1週間分の投稿(一人三首まで、詞書は1首200文字程度)を代表者のポエットMさんが纏めて毎週水曜日に更新されます。第一部と第二部(ネット歌会)に分かれて掲載されます。代表者のポエットMさんは現役時代に大型コンピュータのソフト開発者の傍ら短歌を続けて30数年です。今は日本歌人クラブに属しておられます。令和5年9月13日に「水曜サロン」は100回の節目を迎えました。この短歌サロンのポリシーは、「短歌を自由な発想の下で作成し、交流し、学び合う広場を目指してやっていきたいと考えています。社会の潮流に迎合することは必要ありませんが、自らの思いの表現手段として、また記録手段として、更には言語芸術の作品として短歌を紡いでいければと思っています。」とのことです。色々な方が投稿されていますのでサロンの詠草は、和歌らしい、優雅、上品、情熱的と多種多様です。日頃なじみのない短歌は私の新しい視点の気づきの参考になります。 * * * * *
私も水曜サロンの花の一輪ですよと言ってくださいますが、
私は花でなくて、どちらかと言うと樹木のような感じがします。