廃墟には、独特の美があると思う。
しかも、それは時間とともに成熟してゆく種類の美だ。
「初期」…そこには「寂しさ」がある。
崩壊の度合いがどこか遠慮がちで、
人が生き、暮らしていた名残を感じさせる。
アンバランスな雰囲気。
「中期」…そこには「日常」がある。
人間の影が消え、廃墟が廃墟として過ごしてきた濃密な時間のおかげで、
廃墟なりの空間が形作られる。
人工と自然の奇妙なバランスが保たれた世界。
「後期」…そこには「価値」が生まれる。
風雪にさらされるうち、次第に人工物が駆逐されていく。
つまりそれだけ長い時間が経てば、元の記録も記憶もなくなり、
廃墟は「遺跡」として考えられるようになる。
但し、人類が生きながらえていて、彼らに見る目があればだが。
今日、写真に遺したガソリンスタンド址は、確か「エッソ」系だったと思う。
何度か給油に訪れたはずだが、いきつけのお店ではなかったので、
つい最近まで、無くなったことすら気がつかなかった。
今は、コンクリートから草が生え始め、柱に錆が浮き出てきたところだ。
数百年、数千年後には「遺産」になるかもしれない。
このまま放置され続け、このまま存在する事が許されるなら。
しかも、それは時間とともに成熟してゆく種類の美だ。
「初期」…そこには「寂しさ」がある。
崩壊の度合いがどこか遠慮がちで、
人が生き、暮らしていた名残を感じさせる。
アンバランスな雰囲気。
「中期」…そこには「日常」がある。
人間の影が消え、廃墟が廃墟として過ごしてきた濃密な時間のおかげで、
廃墟なりの空間が形作られる。
人工と自然の奇妙なバランスが保たれた世界。
「後期」…そこには「価値」が生まれる。
風雪にさらされるうち、次第に人工物が駆逐されていく。
つまりそれだけ長い時間が経てば、元の記録も記憶もなくなり、
廃墟は「遺跡」として考えられるようになる。
但し、人類が生きながらえていて、彼らに見る目があればだが。
今日、写真に遺したガソリンスタンド址は、確か「エッソ」系だったと思う。
何度か給油に訪れたはずだが、いきつけのお店ではなかったので、
つい最近まで、無くなったことすら気がつかなかった。
今は、コンクリートから草が生え始め、柱に錆が浮き出てきたところだ。
数百年、数千年後には「遺産」になるかもしれない。
このまま放置され続け、このまま存在する事が許されるなら。