僕は、小中学校時代「切手収集」が趣味だった。
同じ世代で、同じ趣味を持っていた方も多いと思う。 流行っていたのだ。
だから、何かの記念切手が発売される日になると、郵便局へせっせと足を運んだ。
また、新しいものだけでは飽き足らず、友達と交換会を開いては、物々交換をしたり、
なけなしの財産をはたいては「スガイ」で、過去の切手を購入したりもした。
当時の憧れのアイテムは、年に一度、逓信記念日に発行された
「切手趣味週間」の記念切手たち。
「菱川師宣」の「見返り美人」、「喜多川歌麿」の「ビードロを吹く女」、
「歌川広重」の「月に雁」、「東洲斎写楽」の「市川蝦蔵」など図案は浮世絵だった。
特にアートに興味があった訳ではない。 単に、高額で取引されていたから欲しかった。
コレクションにあたり、自分なりのポリシーもなかったため、
数字が一つのバロメーターになり、ステータスになっていたのだ。
そんな、浅はかな僕の収集活動に変化をもたらせてくれたのが、
華やかな記念モノではない、ベーシックな「1円切手」。
そこに描かれた肖像画の人物…
“近代郵便の父”と言われる「前島密」氏のエピソードに触れたのがキッカケだった。
多分、まず名前に魅かれたのだと思う。
「密」と書いて「ひそか」。 ミステリアスで高貴な感じがする。
また、彼のアイディアが受け継がれている事に感心したのだと思う。
「切手」「葉書」「郵便」…これらの言葉は「前島密」の発案だと知った。
そして明治官僚の気骨。
「縁の下の力持ちになることを厭うな。 人のためによかれと願う心を常に持て。」
強い信条の元、日本の近代化を陰から支えた彼のモノクロ写真に、
僕は、まだ幼いころ亡くなった明治生まれの祖父の面影を重ね合わせた。
何しろ1枚1円である。 この値段なら人生初の「シート買い」ができる。
100円玉を握りしめて向かった当時の局舎は、現在のそれとは違う。
酒造店の隣・中心部に近い場所にあって、建物は木造だった。
僕は窓口の前に立ち、大きな声で言った。
「郵便の父の切手を下さい!」
「…?」
首をかしげる局員の方に向かって、僕はもう一度言った。
「郵便の父、前島密の切手をお願いします!」
同じ世代で、同じ趣味を持っていた方も多いと思う。 流行っていたのだ。
だから、何かの記念切手が発売される日になると、郵便局へせっせと足を運んだ。
また、新しいものだけでは飽き足らず、友達と交換会を開いては、物々交換をしたり、
なけなしの財産をはたいては「スガイ」で、過去の切手を購入したりもした。
当時の憧れのアイテムは、年に一度、逓信記念日に発行された
「切手趣味週間」の記念切手たち。
「菱川師宣」の「見返り美人」、「喜多川歌麿」の「ビードロを吹く女」、
「歌川広重」の「月に雁」、「東洲斎写楽」の「市川蝦蔵」など図案は浮世絵だった。
特にアートに興味があった訳ではない。 単に、高額で取引されていたから欲しかった。
コレクションにあたり、自分なりのポリシーもなかったため、
数字が一つのバロメーターになり、ステータスになっていたのだ。
そんな、浅はかな僕の収集活動に変化をもたらせてくれたのが、
華やかな記念モノではない、ベーシックな「1円切手」。
そこに描かれた肖像画の人物…
“近代郵便の父”と言われる「前島密」氏のエピソードに触れたのがキッカケだった。
多分、まず名前に魅かれたのだと思う。
「密」と書いて「ひそか」。 ミステリアスで高貴な感じがする。
また、彼のアイディアが受け継がれている事に感心したのだと思う。
「切手」「葉書」「郵便」…これらの言葉は「前島密」の発案だと知った。
そして明治官僚の気骨。
「縁の下の力持ちになることを厭うな。 人のためによかれと願う心を常に持て。」
強い信条の元、日本の近代化を陰から支えた彼のモノクロ写真に、
僕は、まだ幼いころ亡くなった明治生まれの祖父の面影を重ね合わせた。
何しろ1枚1円である。 この値段なら人生初の「シート買い」ができる。
100円玉を握りしめて向かった当時の局舎は、現在のそれとは違う。
酒造店の隣・中心部に近い場所にあって、建物は木造だった。
僕は窓口の前に立ち、大きな声で言った。
「郵便の父の切手を下さい!」
「…?」
首をかしげる局員の方に向かって、僕はもう一度言った。
「郵便の父、前島密の切手をお願いします!」