つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

振り返ると、一本のレールが見える。~津幡町・七尾線~

2010年07月06日 07時37分31秒 | 鉄道
今回の写真は、舟橋の踏切に入って撮影した一枚。
本津幡駅から能瀬駅へ向かうJR西日本の七尾線だ。
ここは、町中を抜けて能登半島へ向かう途上にあって、
カーブが浅く、直線が延びている。
やはり、遮るもののない「鉄路」は、真っ直ぐなのがいい。
身も心も、遥か彼方へ運んでくれる期待感がする。

思い返せば、僕は鉄の路を何度も行き来してきた。
小中学校時代、鉄路を通って金沢に出かけ、文化に触れた。
高校時代になると、鉄路は通学路になり、
さらに鉄路を辿って県外へ出て、見聞を広めた。
大学時代、中型二輪免許を取るまで、鉄路は名古屋と実家を結ぶ存在だった。
そして、社会人になってしばらくの間、
鉄路は仕事と私生活を隔てる緩衝地帯だった。

とりわけ思い出深いのは、高校2年の夏の鉄道一人旅である。
本津幡駅から七尾線の普通列車に揺られて、金沢駅へ。
金沢駅から、特急「日本海」に乗り込み、青森駅へ。
青函連絡船で津軽海峡を渡り、函館駅から札幌駅までは、特急「北斗」。
札幌駅から稚内駅までは、急行「天北」で稚内へ。

日本最北端の宗谷岬を訪れた後は、
花の浮島・礼文島と、隣に浮かぶ利尻島へ足を運んだ。
もちろん、岬や島への交通手段は鉄道ではなかったが、
帰りの行程も含めこれだけ長時間、長距離を列車で移動したのは初めてだった。

車中で、旅先で、色んな人と知り合い、会話をした。
何を食べ、何時・何所へ行き、何をするかは、全て自分次第。
自由には、責任が付いてくる事を学んだ。
また「時刻表」の読み方を学んだのも、この旅だった。

規則正しく刻まれる鉄路のリズムを聞きながら、
僕は、少しだけ大人になった気がした。
コメント
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