飛騨の山猿マーベリック新聞

💛専守防衛💛れいわ新選組💛立憲民主党💛国民民主党
💛日本共産党💛社民党💛気晴らしには演歌が一番💛

笠原岐阜県議が自民に離党届 民主・柴橋氏支持明言(^o^)

2009年08月15日 20時19分08秒 | ●YAMACHANの雑記帳
http://www.kasahara-tamiko.net/index1.html
●緊急のお知らせ
私笠原多見子は、8月14日をもちまして“自由民主党”を 離党致しましたので、皆様にご報告申し上げます。
2009/08/15
++++++++++++++++++++
笠原県議が自民に離党届 民主・柴橋氏支持明言
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20090815/200908151505_8589.shtml
岐阜市選出の笠原多見子県議(44)=当選3回=が15日、記者会見して自民党県連に離党届を提出したことを明らかにした。笠原県議は「4年前の衆院選で党公認候補を応援して、その後県連から冷遇を受けて自民党に期待が持てない」とし、今回の衆院岐阜1区で民主新人の柴橋正直氏(30)への支援を明言した。
 会見で笠原氏は自民党前職の野田聖子氏について「復党の明確な理由が分からない」とし、「党公認候補の国替えなど私にとって分かりにくく、何の説明もない」と不満をあらわにした。
 離党については「長い間悩んできたが、公示前にはっきりさせなければならないと思った」と、14日午後に党県連に離党届を出した経緯を説明。柴橋氏については「若くこれからの人。そこに懸けてみたい」と全面的に支援することを表明した。笠原氏は「無所属で活動する」としているが、会見後の取材に対し、近く民主党に合流する考えを示唆した。
 自民党県連は笠原氏の離党届を事務局預かりにしている、としている。

にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログへにほんブログ村にほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村

民主党岐阜1区柴橋正直
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一本の鉛筆 (美空ひばり)

2009年08月15日 15時20分02秒 | ●YAMACHANの雑記帳


①時代を超え、伝えたい 平和願い、歌ったひばり
http://www.47news.jp/47topics/e/133345.php
 「一本の鉛筆があれば/戦争はいやだと私は書く」。1974年8月、猛暑の広島市で開かれた第1回広島平和音楽祭。国民的歌手美空(みそら)ひばりの低く力のある歌声が会場に響き渡った。
 初めて披露した「一本の鉛筆」。ひばりの膨大なレパートリーに、この反戦歌があることは意外と知られていない。

【写真】第15回広島平和音楽祭に出演した美空ひばり=88年7月、広島市(ひばりプロダクション提供) 歌は静かだが、明るいとすら思えるメロディー。歌詞は切ない。子どもがほしい、あなたを返して―と訴える言葉はやがて、広島に原爆が投下された「8月6日」につながる。
 愛する人を奪われた悲しみと、平和への願い。「モデルは特定の誰かというより、当時何万人といたのではないか」。日本コロムビア(現コロムビアミュージックエンタテインメント)の担当ディレクターだった森啓(もり・はじめ)(67)は振り返る。
 ひばりは父親が徴兵され、子や家業を守り苦労する母親の背中を見て育った。防空壕(ごう)から燃え上がる横浜も見た。「広島から平和のメッセージを発信する音楽祭。ひばりさんは乗ってくると思った」と森は語る。
 戦争体験が心に強く刻まれていたのだろう。音楽祭のリハーサルで「冷房のある控室にどうぞ」と勧められ「広島の人たちは、もっと熱かったでしょうね」とつぶやいた。
 「幼かったわたしにもあの戦争の恐ろしさは忘れることができません」。本番のステージで「いばらの道が続こうと平和のために我歌う」と宣言した。
 「『あれほどの歌手に苦労は分からないだろう』という声もあったが、歌い終わる時には、批判は全部吹っ飛んでいた」と付き人だった関口範子(せきぐち・のりこ)(69)は話す。
 ひばりは、長男加藤和也(かとう・かずや)(37)が小学生のころ、こう語った。「和也が大人になっておじいさんになっても、日本の国に戦争が起きないようにと、いつも考えています」。当時の肉声の録音は今も残る。
 87年、大腿(だいたい)骨骨頭壊死(えし)と肝臓病で入院し手術。翌年7月、第15回音楽祭に出演した。「休ませたいなと思った。でもああ、受けるんだと。特別な思い入れがあったのかもしれない」。付き添った和也は振り返る。
 ベッドを楽屋に持ち込み「一本の鉛筆」を皮切りに笑顔で7曲を歌いきり、舞台を降りた。89年6月、52歳で世を去った。
 声高に戦争や平和を語ることはなかったひばりが「大切な歌」と紹介した曲。和也は言う。「時代を超えて突き刺さる。いろんな人に受け継いでほしい」(敬称略)
   ×   ×
 戦争は多くの人の命と尊厳を奪い続けてきた。原爆の犠牲者や従軍慰安婦、異国の戦地の住民―。悲惨な現実を前に、平和への思いをうたい上げた人々の姿を描いた。=共同通信
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池袋から政権交代を 仙谷、田中両前衆院議員、えばた東京10区総支部長と訴え

2009年08月15日 08時36分43秒 | ●YAMACHANの雑記帳
http://www.dpj.or.jp/news/?num=16840
仙谷由人前衆院議員(元政調会長)は14日夕、田中眞紀子前衆院議員とともに東京都・池袋駅前で行われた、えばたたかこ・東京都第10区総支部長主催の街頭演説会に参加。駅前周辺は通路からあふれんばかりの聴衆が集まり、政権交代を期待する約2000人の熱で沸いた。
 仙谷前衆院議員は、田中前衆院議員とは本会議場で席が隣であること、豊島区、文京区と違いはあるが互いに目白の住人であることを明かし、生活圏である池袋を含む東京10区から勇気をもってチャレンジする、えばた総支部長の応援にかけつけたと述べ、「豊島区から、池袋から政権交代を」と民主党へのさらなる支援を求めた。
 そのうえで、縦割り、補助金、天下りといった自民党政治の病を治すには国民の皆さんに「政権交代」というメスをふるってもらうしかないと説き、1年間で400億円が政府関係の建物を直す予算に充てられるなど、国民生活よりも自らの利益を優先させる官僚主導の政治を正す必要性を指摘。また、欧米諸国に比べて子育て支援や教育予算が圧倒的に低いことを挙げ、「このままでは将来の希望がつくれない」として、民主党は地域で安心して老後を暮らせる介護・医療制度の確立し、夫婦で働きながら安心して子どもを産み育てらえる環境をつくると約束した。
 財源論にも言及した仙谷前衆院議員は、各省庁による縦割りの予算編成を改め、子育て・教育、医療・介護・福祉といった政策に優先的に使うと明言。必要のない公共事業は凍結するとも述べ、「小泉劇場は4年前に終わった」と宣言、政権交代を実現し「コンクリートから人へ」と予算配分を変えていくとした。
 続いてマイクを握った、えばた総支部長は、麻生首相が景気回復を言い訳に解散・総選挙を先送りするなか組んだ4回もの予算編成を行ったことを取り上げた。解雇された人が20万人にも及び、ワーキングプア状態の人が1千万人を超え、若者や子育て世代の多くが将来の不安を抱えながら生きているとき、何に使うのかわからない基金や「アニメの殿堂」に象徴されるムダなハコモノに充てられていると痛烈に批判。
 「政権交代をして国の予算の決め方を根本的に変えなければならない」との考えを示した、えばた総支部長は、「財源がないというが財源が皆さんの暮らしを決めるのか。そうではない」と訴え、国民の皆さんの暮らしをどうやったら良くできるのかという観点で、政治家が知恵を絞って政策をつくり、その財源を何とか確保することこそが必要だと指摘。「自分たちの既得権益を温存しておきながらお金がないといって消費税を上げる、そんなやり方には断固として立ち向かう。そのための政権交代」だと力説。
 「ここから郵政選挙が始まった。4年間で皆さんの生活はどうなったか、その責任を問うていきたい。今苦しんでいる方の声を救いあげるためにも頑張っていく」と決意を表明した。

 大歓声に包まれるなか登場した田中前衆院議員は、「『政権交代』とは何か」と切り出し、財布を握っている与党は国内外の問題に取り組み、国の将来を決めることできる立場にあると説いた。そのうえで、この10年間で戦後の日本を支えてきた、「平和憲法」と「経済活性化」という2本柱が大きく揺らぎ、日本経済は破綻、完全失業者が347万人にも及んでいるのは政治が機能していなかったからだと指摘。経済・金融政策、農業政策に触れながら強い信念をもった外交の必要性にも言及し、「今の政治を転換しなければならない。民主党が財布を握って予算の組み換えを行う」と表明した。
にほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村にほんブログ村 ニュースブログへにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九条とビルマの竪琴 終戦の日に考える

2009年08月15日 07時28分17秒 | ●YAMACHANの雑記帳
憲法9条は、日本人が自ら創ったものです。

中日新聞社説より抜粋:
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2009081502000042.html
八月のジャーナリズム、と蔑(さげす)まれても、戦争は問い続けなければならない最重要のテーマです。何より未来のために過去にこだわらねばなりません。

 六十余年の歳月をへても癒(い)やされることのない心の傷。公開中のドキュメンタリー映画「花と兵隊」に衝撃を受けました。

 ビルマ(ミャンマー)・タイ国境で終戦を迎え日本へ戻らなかった未帰還兵たち。異郷の地で、優しげな現地の妻、孫、子に囲まれのどかに暮らしているかにみえる彼らが、なお心の地獄を生きていることを知らされたからです。

★中日新聞社説を読みながら中学校時代に「ビルマの竪琴」を学校の引率で観にいったことなど思い出しています。(合掌)
にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 飛騨高山情報へにほんブログ村にほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村

■花と兵隊1 ■花と兵隊2
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民主公認で田中真紀子氏出馬へ、夫直紀氏も入党

2009年08月15日 03時01分54秒 | ●YAMACHANの雑記帳
いらっしゃーい。
田中真紀子さーん。
歓迎!歓迎!歓迎!

http://mainichi.jp/select/today/news/20090815k0000m010126000c.html
衆院新潟5区の前職で元外相の田中真紀子氏が30日投票の衆院選に民主党公認で立候補することが分かった。昨年10月に自民党を離党した夫の田中直紀参院議員も民主党に入党する。同党の鳩山由紀夫代表が15日に新潟県長岡市を訪れ、両氏とともに発表する。真紀子氏は03年に自民党を離党し、同年と05年の衆院選は無所属で当選。国会では民主党の会派に所属するが、入党はしていなかった。直紀氏は「衆院選で真紀子氏らを応援するため」として離党した。【山田夢留、岡田英】
にほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログへにほんブログ村

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする