きな臭さの漂う年の瀬を迎えています。岸田政権は敵基地攻撃能力の保持を柱とする安全保障政策の大転換を閣議決定しました。
その是非とは別に、引っかかるのは旧統一教会(世界平和統一家庭連合)=写真=問題です。脅威の一つの北朝鮮は教団と親密です。その教団と政権党の不透明な関係に口をつぐんだままの政策転換に説得力はあるのでしょうか。
◆開かれたパンドラの箱
安倍晋三元首相の命を奪った凶弾は旧統一教会問題という政界の「パンドラの箱」を開けました。銃撃事件は自民党、とりわけ最大派閥である安倍派と教団の深い関わりを浮き彫りにしたのです。
教団は「霊感商法」など反社会的な活動を重ねてきました。そうした集団と自民党の蜜月に、国民は倫理的な憤りを感じました。
加えて、復古的、国粋的な色合いの濃い安倍派など自民党右派や日本会議などの保守派が「反日」を教義の一部とする教団と昵懇(じっこん)だったことで、これまでの保守派の主張にも疑念を抱かせました。安倍政権下での教団の名称変更や尻切れ感の強い警察捜査に政治的圧力がなかったのか、との疑惑もあります。しかし、岸田文雄首相は党内調査を自主点検にとどめ疑惑解明に背を向けています。
自主点検のレベルでも、三百七十九人の所属国会議員のうち百八十人、閣僚ら政務三役の約四割が教団と接点を持っていました。議員らが教団と関係を築いた動機は主に二つあります。一つは教団が提供する無償の支援です。選挙では教団票のみならず、献身的な信者がポスター張りやチラシ配り、電話作戦に取り組みます。秘書も派遣されました。議員らはこうした「借り」を歓迎しました。もう一つは歴史的な紐帯(ちゅうたい)です。教団は一九六〇年代、韓国の朴正熙(パクチョンヒ)軍事政権の庇護(ひご)を受けるため、反共別動隊として暗躍します。当時、アジアは冷戦の最前線で、日本では安倍氏の祖父、岸信介元首相らが受け皿を整えました。冷戦終結後も、教団はジェンダー平等や性的少数者などの活動を「新たな共産主義」と危険視し、家父長的な家族観を重視する保守派もこの主張に共鳴しました。こうした動機にこそ、この国の政治、社会が抱える闇が集約されているように思えます。ジェンダー平等の実現や性教育の充実などは人権思想に根差しており、世界的なすう勢です。一部の権威主義国や極右勢力は反発していますが、流れが止まることはないでしょう。逆行の企てはただの時代錯誤でしかありません。深刻なのは反社会的行為を繰り返す集団から便宜を受けたというあさましさです。「派閥の領袖(りょうしゅう)が親密」「当選してこその議員」などの釈明が聞こえてきそうです。しかし、議員以前に人としてどうなのか。教団による被害は周知の事実です。目先の利害に踊らされ、忖度(そんたく)に頼り、道徳や倫理を軽視する。人権にまつわる歴史観が培われないのも当然でしょう。
◆共同体の劣化が背景に
こうした風潮を招いた要因は何なのでしょうか。一つには共同体の劣化があると思います。社会の基盤は良識という暗黙の了解に支えられています。それは助け合いや身近な人への配慮、正義や公正の感覚といったものです。
それらは近所付き合いから業界団体まで、多様な人びとの関係によって担保されてきました。ひと昔前には、議員らもそうした「しがらみ」に襟を正さざるを得ない面があった。ところが、個人の利得を最優先する市場原理主義の浸透は人間関係を弱めました。
共同体の劣化はカルト宗教とも親和的です。「必要とされない症候群」。教団の被害者救済に携わる弁護士の一人は、自らの居場所を失った人びとが教団の犠牲になりがちだと指摘しています。
安倍氏に凶弾を放った容疑者の男性も不条理な境遇の下、孤独と絶望にさいなまれていました。
旧統一教会問題は政界のみならず、社会の病でもあるのです。共同体の劣化が招く人間関係の貧困が道徳や倫理を崩し、悲劇を生みます。凶弾は政治家らの堕落とともに、この社会の危うさを可視化させたのではないでしょうか。
回復の方向性はおぼろげでも見えています。冷笑を排して、社会に人間関係のぬくもりを取り戻すこと。それが暗黙の道徳や倫理を再生する土台になるはずです。
再生にはけじめが必要です。まずは、どこまで政治が教団にゆがめられたのかという実態把握から始めねばなりません。疑惑の解明はいまだ手付かずなままです。 *自民党政府に忖度して沈黙してきたメディアの責任は大きい。共産党の批判に終始し偏向してきて国民にも責任大であるるる(笑)