真の友情とは何か?と、考えるとき、
私の脳裏に真っ先に浮かぶのは、
利害関係や損得勘定といったものの対極にあるもの
これは私いち個人がただ思う1つの定義である。
色んな場面で割とよく、【親友】といった言葉が
飛び交うのを耳にするが、そんなにたやすく
真の友情が成り立つものなのか?と
いささか疑問に思う時がある。
「素敵な友達なんです」と、
連呼する方々のやりとりを偶然拝察し
その話に耳を傾ける場面に出くわす時、
全くもって余計なお世話なのであるが(笑)
その関係を的確に表現するのなら
『知人』と言った方がむしろしっくりくるようにも
思わされるのだが、当人達は案外そのことには
気づいておらず、否、本能では知っていても
「友達」という名のもとに
本当は脆くて壊れやすいその繋がりを
大変な努力をして
維持し続けているのかもしれない。
私は自身の気持ちを騙し無理をしてまで
誰かと付き合ったり 思ってもいないことを
言ったりの友情関係もどきを続けるのは
出来ない性分なのでこれからも自分の中の好き、
嫌いを大事にしてゆきたいと思う。
「○○さんは~をしてくれたから
自分も協力しよう」とか、
「○○さんと友達でいる事は
のちのち自分にとってメリットがあり、
助けるに値するから手を貸す」とか、
そんな損得勘定がよぎったら
もうそれは親友などとは呼べないと思う。
誰が見ても分かるような方法で、
表面的に表しやすい活字で、
どんなに美しい言葉で 相手を褒め称え
応援します、と言っていても
その言葉の真意、
そこに純粋な気持ちがあるか
そうでないかは、実はちゃんと相手に
伝わっているように思う。
ただ その人の為に気づいたら動いていた・・・
ただ その人の幸せを願い
気づいたら応援していた・・・・・
人は言葉ではどんなことでも言えるけれど
いざ行動に移し、
さりげなく動ける人は
実は少ないようにも思う。
年賀状のやり取りは毎年欠かさず
していたものの今年、13年ぶりに再会した
心ある友人から 数か月後の4月1日、
「作品展をしてみませんか?」という
メールを頂いた。
その場所は 私も1度訪れた事のある
海を臨むある清らかな場所の目の前で、
そこを訪れた時 たまたまその前を
通ったこともあったので、あっ、と思った。
頂いたメールのごく一部を抜粋させて頂くと、
【私はSHOKOちゃんの作品が大好きで、
SHOKOちゃんの作品を沢山の人達に
知って貰いたい、よさを分かってもらいたいと
願っているのです。
作品展はネット環境のない方でも
SHOKOちゃんの作品と触れ合う機会が
出来ると思うのです。】
私の作品のことを愛し、
普段からこんな風に気にかけてくれていた
彼女の清らかで温かな思いは
頂いたメールから大きな愛の波動となって
ダイレクトに私の魂に響いてきた。
作品たちがより多くの人達の目に触れたら
嬉しいという純粋な想いに感動の涙が
とめどなく頬を伝った。
私が えがくことを始めた理由、それは、
自身の作品を通し
ご縁のあった方々のお心に
何か元気や勇気や希望のようなもの、
ひいては癒しをお届けできたら嬉しいという
思いからであり、私達は今ここに
こうして生きているというだけでも素晴らしく、
奇跡であるということ、
一人一人が実は 皆 とても素晴らしい
かけがえのない存在であるということを
お伝えしたかったからです。
作品を1人でも「好き」と
愛して下さる方がいることは
私にとって この上ない幸せです。
開催時期などの詳細については
まだ何も決まってはおりませんが
開催時期が決まりましたら、
『イタリアの風に吹かれて』で改めて
お知らせをさせて頂きます。
ご縁のあった皆様と
お目にかかれますことを
今から楽しみにしております。