イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

新たな展開の予感

2016年09月11日 18時31分32秒 | 日々思い感じること

昨日、ある方にセッションして頂きました。
点と点がスススッと繋がる 
それは、それは・・・・
深く魂に響く素晴らしいセッションでした。

記事をupするのに時間を要しそうですが(笑)
必ずupしますのでピンと来た方はご覧頂けたらと思います。

私が晴れ女たるゆえん (昨日も晴れでした)、 
ここぞという時には虹色の龍がお出まし下さる意味などが

「あぁ、そうだったのか・・・」と、他にもまだまだ・・・
とにかく腑に落ちる意味深いセッションでした。

私の背後霊団はとても厳しいので、「自分で考えよ、越えられる」と
突き放されることが大半なのでそうそうメッセージを下さることはありませんが、
そのかわりにではないですが、寝ている間訪れるあちらの世界では
霊医たちにベットの上で身体に触れヒーリングをして頂くことも多く、
ヒーリング中時に睡眠のことなどでアドバイス頂くこともあります。
また、印象的な夢を見ることが多く、夢の中で
沢山のヒントを頂くということも多々あります。
また打ちひしがれている時などは天使と繋がりもあるのか?
人間の大きさくらいの大きな羽根をもった大天使たちが
枕元に立って光を与え 羽根の中にくるんで下さることもあり、
目覚めた時、あぁ、守られているんだ・・・とシミジミ有難く思うことも多いです。


メインのコントロールスピリット(支配霊)が龍神様なので まやかしを見ぬいてしまい、
気質として 自他ともに厳しい所があり(特に自分に対して)
人(植物)を育てるということに種、光があり、
名前もそうですが「水」と関わりがあることは
師匠の霊視を始めとし
以前から知っていましたが、数年前、陶彩画家の草場さんの虹色の龍、
「平安」を購入した頃から 
必要なときには虹色の龍が 言葉では表現しがたい
素晴らしいお姿でお出まし下さるようになりました。
部屋の中を螺旋を描くようにゆったりまわって私を見てらした時は、
その神々しい七色の光に 
最初、自分の目がおかしくなってしまったのか、と思いました。

今回のセッションで虹色の龍との繋がりも分かり、
これまでの様々な現象を考察した中で
やはり腑に落ちました。

天狗様もいらっしゃるので調子のいい時には本来の私の質が全開となり、
フットワークが軽く、ダイナミックにチャチャチャッと直感でスピーディーに動けます。
天狗様の管轄は山なので富士登山ではサポート(背中を押して)頂き、
驚く程楽に登山できました。見る夢も天狗様に関する霊夢が多く、
天狗様と繋がっている時の1つの現象として
神社に参る時などは大きな迎え風を起こし下さいます。
鳥居をくぐる時、龍神様は祝福のミストシャワーを暫く振り掛けて下さいます。

このセッションをきっかけに魂の望むままに、私が新たに今後すべきことが
鮮明になったように思います。ご自身を律したお人柄も素敵な方でした。
長文の自動書記と共に メインである、私を表す紋章も描いて頂きましたが、
全て私そのものを表していて感動しました。
魂にふれた自動書記の内容は感動の嬉し涙が溢れました。


子供の頃ガキ大将で工夫して色んな遊びをした私は(笑)対1人ではなく、
大勢の子供と関わることが得意です。

企業に勤めることになりましたがかつての夢は教員になることでした。
教育実習で血気盛んなギャングエイジと呼ばれる小学校3年生を1ヵ月
受け持たせて頂いた時、隣のクラスの先生からシミジミと
「○○さんは子供といる時は水を得た魚のようですね。

教員が本当に合っていると思いますよ。」と言って頂いた時、
既に企業の内定が決まっていましたが
心揺れました。

それから、色々な方々と出逢う中で何度となく
「人を導き教えることが天職であり、適職」という言葉を頂きました。
数年前には「ワークショップなどで教える映像が視えます」という意外なメセージであり
また
別の男性霊能者からは ふいに、
「1つ大事なことを申し上げたいのですが貴方は生徒ではなく
先生です。
教える側の人ですので、どうかそれをお忘れなく」と言って頂きました。


学びたい、知りたいという欲求が強く、魂の渇きを癒し、
心の傷と向き合う為に
これまで多くのワークシヨップを受けてきましたが、
中には
「先生」という立場に固執し、いつ何どきでも「先生」という立場が
当たり前に通用するもの、
自分はエライと勘違いされている
所謂残念な、何だかなぁ~という先生もいたりして、

そういう方と出会った時は「私はこういう人にはなるまい」と思っていました。
私は、人には上も下もないと思っているので、
教わる側だとしても、ハハーッとその人の下に自ら入り込み、おべっかを言い
この人の言うことであり教える事は絶対と盲信しないよう意識しています。
何故なら人は良くも悪くも変化するからです。
生涯変わらない私の師は自然そのものです。

いつ、いかなるときも「先生」と呼ばれることが当たり前となっているような方も
このように多くいらっしゃいますが、
時に木に登らせ 更なる勘違を加速させてしまうことに繋がりかねないので、
こうした事
から私は心から尊敬できる方のことしか
「先生」とお呼びしないことにしています。
なので「先生」と呼べる、魂的にも尊敬できる方はごく僅かです。
政治家同士、当たり前に「先生」と呼び合っていますが、
あれも違和感を感じる1人です(笑)


脱線しましたが、
私の魂の目的に、より繋がるための必然(手段)として、
これまで全く考えていませんでしたが、
今後、対面のセッションも視野に入れています。


無となり大いなる存在と繋がり、その方の波動から発せられるものを
インスピレーションで受けとり 
いわば、その方のお守り(護符)となる画を
即興で描かせて頂くこともまた
私の使名のように思います。

導かれるままに、手の動くままに 創作活動をはじめましたが、
はじめた時 私の中にあったのは、自身の作品を通して
ご縁のあった方々のお心を解(ほぐ)し、笑顔になるお手伝いをさせて頂けたら、
自分なんて 価値がない、と思っている方の魂に、
あなたは素晴らしい存在ですよ、と 
作品を通してエールを送りたいという気持ちでした。

この思いは今も変わることなく私の基軸となっています。

学問と技術の両輪から霊的なことを深く学ぶきっかけとなった師から、
「あなたは道端に咲く草花にふと足をとめ そこに癒しを与えたいという
エナジーを持った方です。」etcと嬉しいメッセージを頂いたことがありますが、
当に私はそうしたタイプです。表面的に目立つ、凄いと言われる成功者に請われ
霊能を使うことではなく、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、時に悩み、怒り、
喜怒哀楽を慈しみながら 大地を踏みしめ、日常を精一杯生きている
人間臭い方々に
癒しをお届けできたら有難いという想いを忘れず、
今後も精進して参りたいと思うのです。


作品たちはご縁のある方の元にしかゆかないらしいので、
媚を売らず、いかなる時も私らしく 淡々と 
自身に授けて頂いた光に感謝しながら、
創作活動を続けてゆきたいと思います。