イタリアの風に吹かれて ~con te partiro~

前世(かこ)から未来(いま)へと紡がれし時の記憶
あなたと交わした約束の欠片を辿る遥かなる愛しき旅

自分を生きる それ即ち 好きを放つこと

2021年02月16日 02時46分10秒 | 想い

「努力して」とか「しゃかりきになって」のそれではなく
時間が経つのも忘れ、ただただ「あぁ、楽しいなぁ」という思いが
体中に駆け巡り難なくできてしまうことを得意なことと言うのなら
その、自分が得意とすることで
関わる存在の役に立ちたいと心底思う。
人生の折り返し地点を過ぎるまでの間、
嬉しいこと、楽しいこと、ばかりではなく
苦しかったこと、悲しかったことも
人並みに体験した結果、今の私があるが、
幸い私の場合は節目節目で大切な出逢いや導きがあって
大好きな「えがく」「言葉を紡ぐ」ということを
生業にしている。
大いなる存在にこの手を道具として使って頂き
表現させて頂いている。

物質的な 生きにくいこの世の中に
チャレンジャーとして舞い戻った意味を知らされた今
もう迷うことなく
「自分の命を輝かせ自分の命を使い切る」を決意した。

感受性が豊かな故、心の機微を素早く察知し、
自分には関係のない出来事にも深く感情移入をし
まるで自分のことのように親身になり寄り添うことを
長年、無意識に続けたことは、時に虚しさを覚え
辛酸をなめたこともあったけれど
こうした体験は無駄ではなかったと最近とみに思う。
様々な感情を味わったからこそ人と相対する時、
うわべだけではない相手の心境を慮り想像し
本当の意味で寄り添い、励まし、力になれると思うから。
なにより、私が本当に好きなこと、得意なこと、
癒され満たされること、譲れないこと、
心地よいこと、そして嫌なことを知る糧となった。

時に もがき、苦しみ、孤独を味わい
「なぜいつも1人で頑張り続けなければならないの」
「ズルイ! やってらんないわ」と怒り
ふてくされることもあったけれど、
愛されるに値しない、愛とはなんぞや?と
自問自答し続けていたけれど
いかなる時も私はちゃんと愛されていた
そして、愛を放出するヒトだったと気づかせてもえた時、
魂を薄っすら覆っていた膜がスルリと剥がれ落ち
魂の中心からサーッと光が溢れるヴィジョンを視せられ
様々が腑に落ちた。

私にとって体中が悦びに満ち溢れる心地よい時間
それは「創り出すこと」「生み出すこと」
もう、ほんとうに・・・ほんとうに・・・・
命輝かせることの素晴らしさに気づいてしまったからには
自分以外の喧騒に引っ張られるのではなく、
時々悩むことはあるかもしれないけれど(笑)
そんな生身の人間としての自分も恥じることなく受け止め
大好きな風に背中を押して貰い会話しながら
物言わぬ愛しき存在たちの命の輝きに心寄せ、
大いなる存在の美しさに目を凝らし感謝をしながら
目の前に用意された道(strada)を笑顔で颯爽と歩き続けます。

のんべんだらり、あるがまま・・・・
本質はかなり おっと~りしているのに、
頭の中は、と言えば 忙しなく(笑) 
常に色んな発想が巡り、人と話している時も、
一人でいる時も 次から次へ色んなアイディアが
ポンポンと浮かびあがり・・・・
自分を一言で表すと「閃き・発想の人」これに尽きる。
人とは物事の感じ方、表現の仕方、ペースが違っていて、
ちょっと、否、かなり抜けてる。
当の本人、狙ってやっているのでは勿論なくて
いわゆる、それを天然と言うらしいが、
得意なことには詳しいけれど、興味のないことは
「別に知らなくても生きていけるワ」とお気楽に
のほほんと悠長に構えているので
そうじゃないことは………(テンテンテン)
 地図の見方も然りetc・・・・・

高校時代、親しかった登山部の男子が
今度、アルプスに行く云々カンヌンと仲間に話していた時、
「あら、〇〇君、すごいね~ 海外に行くなんて・・・・」と
勿論、みんな「shokoちゃあぁ~ん」と大爆笑。
陸上の夏の合宿の行きのバスの中では先輩がおもむろに
「〇〇! あの看板 なんて読む?」
間髪入れずに私は「ふうみちょう」と・・・・
バスの中は大爆笑。呆れた先輩は、
「お前、マジでぇ? お前って可愛い顔してホント面白れぇな」と。
そうです、そうです、私は風見鶏(かざみどり)を
何を血迷ったのか、堂々と「ふうみちょう」と・・・・
国語は得意で諺も割と知っていて、漢字の読み書きも
長けているほうだと思っていますが、
先輩も後輩も先生も大勢いるバスの中で堂々と・・・・
「あぁ・・・・」こうして今ここで 何十年前の
恥ずかしいことを自己開示しながら思わず笑ってしまいました。
勿論、勿論、知っていましたヨ・・・・・(汗)

20代後半、予約時間が迫り やや慌てていた私は
足早に院内を歩きながら、ある科の受付を探していた。
丁度向こうから白衣姿のドクターが歩いてらしたので
「すみません。ガイカはどちらですか?」と。
するとドクターは、一瞬クスッと優しく微笑みながら
「あ、ゲカですね」と。
ひゃやあぁ~・・・・(→心の声)
私は慌てて先生の言葉を被せ気味に
「そうです、そうです ゲカです」と
もう、この時は本当に本当に赤面でした。
何ゆえに「ガイカ」と口をついて出てきたのか・・・・
トホホです(←古っ。まさに時代(年齢)が分かりますね。)
勿論、勿論、ゲカ、読み方、知っていましたよ。

人生の折り返し地点を過ぎているダイの大人ですが(笑)
つい最近も思い返しても「ひゃあ~」と
こっぱずかしい思い、もう、久々に穴があったら入りたいと
赤面してしまう出来事がありました。

それは昨年のクリスマスのこと。
「オトコ・フタリ」の一幕後の休憩時間。
トイレから出てきた私に感じの良い若い
キレイな女性がスッと寄ってきて
耳元で小声で優しく
「スカートが〇〇〇の中に入っていますよ」と
教えて下さいました。混みあっているトイレで。
あちゃーっ😣・・・本当に恥ずかしくて
穴があったら入りたい心境でした。
そっと耳打ちして下さった優しい女性に何度も、
心はきゃぁ~と驚きながらも
「ご親切に本当に有難うございました。」と
何度もお礼を申し上げました。
以前もすまして空港のトイレから出てきた後
同じようなことがあって・・・・
もしこの親切な女性がすぐに教えて下さらず、
このまま大勢が座っている客席に戻っていたら
と思うとゾッとします。

そして今年もまた性懲りもなく・・・・

ティーンの頃、ある芸能人がテレビで
旧中山道を(いちにちじゅうやまみち)と読んだという
失敗談を話していた時「あぁ、なるほどねぇ」と
ひとごとのように聞いていたのですが、
それからン十年後の今年、私もそれと似たような
読み間違え、勘違いをしました。
【高尾山口行】という電車に乗る際、(初めてか2回目)
改札で駅員さんに「たかお やまぐちいき は何番線ですか?」と
駅員さんは、私の話がよく聞こえなかったのか、
たかお という部分だけが聞こえたからか、
特に笑うでもなく、何番線に乗るかを
すぐ教えてくれたのですが、
無事、その電車に乗り込んだ時 ふと、
「あれ? もしかしてタカオヤマグチではなく
タカオサングチユキじゃない?」と思うと
タイミングよく社内アナウンスが
答えを言ってくれました。
勿論、高尾山は知っているし登ったこともある。
なのに、旧中山道のごとく、
慌てていた ほぼ初めて乗るからと言えども、
かの有名な、高尾山を高尾と山口に分けて読んでいた
あぁ、情けなや 恥ずかしや・・・・

でも、こんなスットコドッコイの私も
実は愛しく思つている私なのです(笑)

中学、高校、社会人と(躾の厳しかった短大時代は緊張の時代)
何故かモテていましたがそれは恐らく等身大の自分、
 ドジな自分を恥じたり、隠したりせず、
カッコつけず、人の目を気にすることもなく
あるがまま、イキイキと自分のペースで
生きていたからだと思うのです。
高校時代、複数の異性や先輩達から笑いながら
よく言われていたのは、
「いやぁ、SHOKOちゃんのペースは早すぎてついていけないよぉ」
でした。本人は意識していなかったけれど、
私の印象はつかみどころがない
いつも走っているヒトでした。

30代にさしかかるまでの私は、
胃カメラを飲んだこともあったけど
本当に伸び伸びと「自分の人生」を生きていたように思う。
そうはいっても ただお気楽に、
いつも誰かにヨイショされ、かまってもらったり
助けてもらったり、優しく甘やかされたり、
のそれではなく、物心ついた頃から
両親のケンカの原因は私なのではないか、とか 
私なんて生まれてこなければよかったと
(勿論私が原因ではないのだが)小さな胸を傷め責め
夜、4~5歳の私は布団の中で声を押し殺し泣いていた。
環境故に様々を敏感に感じ取る繊細な子供でもあった。

円形脱毛症という言葉など知らなかった小学校3~4年の頃、
「なんか頭の一部がツルンとするなぁ」と思ってはいたけれど
特に気にすることもなく、500円位の大きさの
一箇所ツルンとした部分はピンドメで上手くかくしていた。
ある時、母が気づき病院へ行くと、円形脱毛症と言われ、
当時、緑色の絵の具を溶いた液体の毛生え薬を塗り続けたら
いつの間にか治っていた。

かけっこが速かった私は小1~小6までリレーの選手で
町内会の運動会では毎年何人もごぼう抜きをし、
町内では「足の速いSHOKOちゃん」で通っていた。

中学に入学すると100人ほどいる陸上部に入り
青春を謳歌した。
3年の時は副部長を任され後輩を育てたり、
キラキラしていた。
後輩から手紙を貰ったり、交換日記をしたり
告白されたりと、面倒見が良い私は相談に乗ったり、
励ましたり、育てたりが好きだった。
長女の私は年下の方から頼られたり憧れられたり
目上の方から好かれることが多いが
当の本人実は、優しくされたいなぁ~
甘えられたらいいなぁ~という思いがある。
ふと、自己分析をしたとき、それが如実に分かるのは
自身が憧れ惹かれる犬種である。
昔からカッコイイ大型犬、
大きくてフワフワした毛の犬に惹かれるのは、
自身の中に大きな存在にくるまれ守られたい、
という深層心理の表れのような気がしている。

この世に生きとし生けるものは皆、
それぞれの輝きを放ち
それぞれのお役目を生かすべく存在している気がする。

気持ちがなだらかな状態が続きいつまでも時間を忘れ 
集中してやり続けられること、
それをすることで何より自分が満たされ
周りの人から喜ばれ感謝されること
それがあなたの美しきお役目という名の光のように思う。