中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

親の先走り

2010-02-02 11:44:04 | 身辺雑記
 幼い子どもの成長はとてもはやくて、ちょっと見ないうちに驚くほど変わっていることがよくある。去年の10月に中国の西安に行き、謝俊麗の息子のナオナオや李真の息子のチェンチェンに会った。それから3ヶ月たったが、折々インタネットで送られてくる写真や動画を見ると、2人ともどんどん成長している。

 ナオナオは会った時には1歳と1ヶ月で、まだヒョコヒョコと歩き回っていて、言葉もほとんど話さなかった。それが送られた動画を見るとチョコチョコと走り回っているし、言葉はまだ遅いが、パパ、ママ、イェイェ(おじいちゃん)、ナイナイ(おばあちゃん)、ジェジェ(おねえちゃん)、アァイィ(おばちゃん)などと言えるようだ。可愛いなと思ったのは電話で聞いたのだが、おじいちゃんが外から帰りドアの音がすると走って出て行き、おじいちゃんのためにスリッパを出すのだそうだ。ずいぶん知恵がついたものだと思う。

 私が初めて子どもを持った時はどうだったかと考えた。毎日一緒にいると成長がはやいということは案外自覚しなかったように思う。とりわけまだ乳飲み子の時には、父親だからだったのか日々の様子をよく見ていたわけでもない。その点では妻とはまったく違っていたように思う。それでもだんだん話ができるようになり、一緒に遊んだりするようになると息子への興味や関心は高まり、毎日が楽しみになった。それだけに先走った期待もよくあって、今思うと苦笑してしまう。

 2歳ぐらいの時だったか、息子に絵を描かせようかと思ってクレオンと画用紙を買って帰った.もちろんはなからまともな絵が描けるとは思わなかったが、チンパンジーに画材を与えると抽象画のようなものを書きなぐったと言うから、息子もその程度のことはやるだろうと思っていた。ところが息子はクレオンをすべてケースからバラバラと出してしまうと、好きだったおもちゃの貨物自動車の後のドアを開けて、その中に全部入れてしまったので思わず笑い出してしまった。息子には絵を描くことなどまったく興味はなく、おもちゃの自動車のほうに関心があったのだ。クレオンを荷物にして車の中に入れたのはそれだけの知恵があったのだが、そのときにはおかしく思っただけだった。

 3歳ぐらいの時、家には保育社のカラーブックスという文庫版の写真集のシリーズが何冊かあり、その中に「犬」というのがあった。それを何気なく開いて「ワンチャンだよ」などと言いながら見せていると、どうやら興味をもったらしく、それからは見せるようにせがむようになった。初めのうちは1つ1つ指さして犬種の名前を言っていたが、そのうちに小さな子どもがよくやることで、次から次へと「コレナニ?」と聞く。そのたびに答えていたが、そんなことを繰り返し手いるうちのかなりの名前を覚えて、逆に「これなに?」と尋ねると正確に答えるようになった、「ドーベルマン・ピンシェル」とか、「バセンジー」とか私もその本で初めて知ったような犬の名前でも答える。もちろん字は読めない。息子のこの様子を見て感心し、この子はひょっとすると賢いのではないかと、親バカもいいところだが思いもした。

 その親バカの夢は意外に早く破れた。ある日妻が息子と外に出ていたら、大きな茶色のボクサー犬を連れた人が来た。そこで妻がここぞとばかり「あれなに?」と尋ねた。もちろん日ごろの「教育」の成果ですぐに「ボクサー」と答えると思ったのだろう。実際本では間違えることはなかった。ところが息子は何と「オウマチャン」と言ったのだ。私が帰宅すると妻はおかしそうに報告し、私も笑ってしまった。息子は絵本でしか馬を見たことはないからその大きさなどは知らない。ボクサーも実物を見たのは初めてで、両方がこんがらかってしまったのだろう。この話を授業で生徒達に話すと、皆大笑いした。私は「やはり知識というものは生きて働き、実際に役に立たなければだめで、本を読んで知っているだけでは、ワンチャンをオウマチャンと言うようなことになるなあ」と言ったことだった。

 もっとも本を読んだりして学ぶ時には、それで得た知識が役に立つものなのか、どのように役立つのなのかなどとはいちいち考えるものではない。知識はひけらかすものではないが、そうかと言ってすべてを功利的に考えるのもいやらしい。生徒の中にはいわゆる受験教育の悪しき影響なのか、教科でもすぐに受験に要るかどうかと考えたり選択したりする者がいた。若いうちは頭が柔らかいのだから、とにかくよく学ぶことだ。そうやって頭脳を訓練しておけば、それによって得た知識は、やがてその人の生き方によって稔りあるものになるのだと思う。