中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

インフォームド・コンセント

2010-02-18 09:43:06 | 中国のこと
 春節(旧正月)の3日前に、謝俊麗の息子の撓撓(ナオナオ)が肺炎と診断されて入院した。咳はよく出るが熱はなく、いたって元気なのだが、医師が肺炎と診断したので従った。素人だからよく分からないが、肺炎なら熱が出るのではないだろうか。熱が出ずに咳が出るのは気管支炎ではないかとも思うのだが、医師がそう言うのならそうなのだろう。

 毎晩電話して様子を尋ねているのだが、1歳5ヶ月になるナオナオはとても元気で、毎日ナース・ステーションに歩いて行き、ナースから「あんた、また来たの」などと言われるし、同室の子どもの親からは病気とは思えないと言われるほど活発らしい。それでも医師達はやはり肺炎だと言い、入院して3日目には、これまで点滴に入れていた薬は効かないようだから変えると言われたとかで、いったいどうなっているのかと謝俊麗は不安にも不満にも思っているようだ。

 夫の劉君がナオナオを連れて医師のところに行き、どういう状態なのかと尋ねたが、応対した医師の態度はまことに無愛想で不親切なもので、いったい何が知りたいのかというようなあしらいだったので、「劉君はそれ以上は聞けなくて仕方なく戻ってきたのよ」と俊麗は非常に不満そうに話した。この病院は私立で、医師の技量の程は分からないが、患者の立場に立って訴えを聴き、丁寧に説明するという姿勢が根本的に欠落しているのではないか。いわゆる「インフォームド・コンセント」の問題だ。

 以前は日本にも無愛想な、時には傲慢、横柄な態度で患者に接する医師は無きにしも非ずだった。かつて私が心臓神経症で苦しんだ時、このような病気持ちの者にありがちな傾向だが、私も何人か医師を変えた。ある初めての医院に行くと医師はまったく無表情な無愛想な人物で、私が症状を訴えても一言も発せず、急に立ち上がって何の薬かの説明もなしに二の腕に注射して、それでおしまいだった。神経症なのだから何らかのアドバイスがあってもよさそうなものだが、まったく機械的な扱いで腹立たしい思いがした。診察室を出ると待合室に大きな水槽が置いてあるのが目に留まった。見るとちょっと大きな熱帯魚らしいのが1匹泳いでいたが。水槽の中には水草もなく、底に敷いてある小石には青黒い苔が生えていて見るからに汚らしい。これを見たとたんにこの医院を信頼する気持ちは失せてしまい、それっきりにした。今でもその医師の顔を思い出すたびに不愉快になってくる。

 このような不愉快な医師は今ではほとんど存在しないのではないだろうか。現に私がホームドクターのようにしているY先生は人当たりがとても良く、質問に対して、時には図を描いたりしながら説明してくれる。接していて何か安心できて気持ちが落ち着く。このような医師は多くなっているのだろうが、それは「正しい情報を得た(伝えられた)上での合意」を意味する概念であるインフォームド・コンセントということが浸透してきているからではないか。英語のinformed consentの意味は元来はあらゆる法的契約に適用されうる概念だそうだが、日本語でこの用語を用いる場合はもっぱら医療行為に対して使用されている。医療行為について言われる内容は「医療行為(投薬・手術・検査など)や治験などの対象者(患者や被験者)が、治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け理解した上で (informed) 、方針に合意する (consent) ことである」と説明されている(Wikipedia)。

 中国の医学水準は今では決して低くはないだろうが、医療従事者のインフォームド・コンセントについての理解は乏しいのではないか。そのせいか医師に対する不満は少なくないようで、他にも中国の友人から「冷たい」という不信の言葉を聞いたことがある。中国で真に患者から信頼される医療や医師が育つのは、まだもう少し先のことかも知れない。もっとも数年前に西安の中医(中国医学)の病院で治療を受けた時の担当の40歳くらいの医師は非常に親切で、ガイドの邵利明を通じて説明をしてくれたし、施術も満足できるものだった。中医の医師だったからそうだったのかも知れないが、西医(西洋医学)の医師にもあのような人が増えてくればいいと思う。