ハイチ大震災の被災者に千羽鶴を贈ろうという運動を呼びかけた大阪府の21歳の女性に対して批判や中傷が相次いだと言う。
この女性がネットの会員制コミュニケーションサイトmixiの日記で呼びかけ、全国で賛同者が集まって広がり、1千羽以上が集まったようだが、一方では「鶴は現地では『悪魔の使者』とされ、贈るのは嫌がらせ」「折り紙を買う前に募金した方がいい」と言った批判も寄せられたと言う。ところがこの運動が別のサイトで紹介されると、直後からネット掲示板「2ちゃんねる」などで批判が続々と書き込まれ、非難コメントが殺到した。批判はエスカレートし、女性のサイトにも1千通以上の中傷メールが届くようになり、女性のサイトは閉鎖に追い込まれた。
この女性は「『食糧不足の中で千羽鶴を集めてもしょうがない』という批判もあるけれど、悲しんでいる人たちに折り鶴を贈ることで、一人じゃないよという気持ちを伝えたい」という思いがあったというから、もちろん純粋な善意から出た呼びかけだったのだろうことは疑いない。これに対して意見やアドバイスをするのならともかく、非難や中傷を浴びせかけるのはいったいどういうことなのか。せめて「気持ちはよく分かるけれど、やはり現地の様子を考えると食糧や衣類を贈ったほうがいいのではないだろうか」くらいのことは言えないものか。
ハイチの悲惨な状況を思うと、確かに千羽鶴を贈るという日本の文化としての善意はちょっと理解されにくいだろうし、場合によっては誤解を招くこともあるだろうから慎重であったほうがいいと思う。ハイチの支援関係者も「現地の実情では折り鶴を贈るのは難しいが、女性の気持ちも大事にしたい」と言っているようだ。もっとも、現地で鶴を「悪魔の死者」とみなされているかについては偽の情報の可能性もあるらしい。
それにしても若い女性の善意に対して、なぜサイトを閉鎖するまで追い込むのか。ここに現代のネット社会の陰湿さ残酷さがあるように思う。かつてあるネット掲示板を覗いたことがあるが、実に嫌な遣り取りがあって、その独善的で傲慢で礼儀知らずな口調(文体)にはつくづく不快な気分になったことがある。偏見かもしれないがネットで悪口雑言を叩く(おそらく)若者は、多分人のいる中で面と向かって自分の意見を言うことができないような心の脆弱な人間なのではないか。それが匿名性のネットの中で見も知らぬ見えない相手に向かうと、歪んだ自我をこれでもかというように叩きつけて、それによってあるカタルシスのような気分を味わっているのではないだろうか。
このように不特定多数の者が,まるで獲物に群がる蟻のように寄ってたかって痛めつける風潮はやはり恐ろしいことだ。多数をたのんで個人あるいは少数者の意見を押しつぶそうとすることなどはおよそ民主主義とは程遠い現象だ。見知らぬ相手だからできるだけ礼儀を尽くして対するなどという節度や常識などはまったく持ち合わせない人間が増えているのは情けないことだと思う。
この女性がネットの会員制コミュニケーションサイトmixiの日記で呼びかけ、全国で賛同者が集まって広がり、1千羽以上が集まったようだが、一方では「鶴は現地では『悪魔の使者』とされ、贈るのは嫌がらせ」「折り紙を買う前に募金した方がいい」と言った批判も寄せられたと言う。ところがこの運動が別のサイトで紹介されると、直後からネット掲示板「2ちゃんねる」などで批判が続々と書き込まれ、非難コメントが殺到した。批判はエスカレートし、女性のサイトにも1千通以上の中傷メールが届くようになり、女性のサイトは閉鎖に追い込まれた。
この女性は「『食糧不足の中で千羽鶴を集めてもしょうがない』という批判もあるけれど、悲しんでいる人たちに折り鶴を贈ることで、一人じゃないよという気持ちを伝えたい」という思いがあったというから、もちろん純粋な善意から出た呼びかけだったのだろうことは疑いない。これに対して意見やアドバイスをするのならともかく、非難や中傷を浴びせかけるのはいったいどういうことなのか。せめて「気持ちはよく分かるけれど、やはり現地の様子を考えると食糧や衣類を贈ったほうがいいのではないだろうか」くらいのことは言えないものか。
ハイチの悲惨な状況を思うと、確かに千羽鶴を贈るという日本の文化としての善意はちょっと理解されにくいだろうし、場合によっては誤解を招くこともあるだろうから慎重であったほうがいいと思う。ハイチの支援関係者も「現地の実情では折り鶴を贈るのは難しいが、女性の気持ちも大事にしたい」と言っているようだ。もっとも、現地で鶴を「悪魔の死者」とみなされているかについては偽の情報の可能性もあるらしい。
それにしても若い女性の善意に対して、なぜサイトを閉鎖するまで追い込むのか。ここに現代のネット社会の陰湿さ残酷さがあるように思う。かつてあるネット掲示板を覗いたことがあるが、実に嫌な遣り取りがあって、その独善的で傲慢で礼儀知らずな口調(文体)にはつくづく不快な気分になったことがある。偏見かもしれないがネットで悪口雑言を叩く(おそらく)若者は、多分人のいる中で面と向かって自分の意見を言うことができないような心の脆弱な人間なのではないか。それが匿名性のネットの中で見も知らぬ見えない相手に向かうと、歪んだ自我をこれでもかというように叩きつけて、それによってあるカタルシスのような気分を味わっているのではないだろうか。
このように不特定多数の者が,まるで獲物に群がる蟻のように寄ってたかって痛めつける風潮はやはり恐ろしいことだ。多数をたのんで個人あるいは少数者の意見を押しつぶそうとすることなどはおよそ民主主義とは程遠い現象だ。見知らぬ相手だからできるだけ礼儀を尽くして対するなどという節度や常識などはまったく持ち合わせない人間が増えているのは情けないことだと思う。