中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

クラブOB会

2010-02-15 10:44:19 | 身辺雑記
 高校に勤務していた時に顧問をしていた生物部のOB会があり50人のかつての部員たちが集まった。数時間のパーティーのためにわざわざ東京、横浜、名古屋、愛媛、三重県の津からも参加してくれた。

 今回は県内のある中学校の校長をしているN君夫妻の努力のお蔭で賑やかな楽しい会になった。N君の奥さんも生物部員だった。昨年の秋くらいから計画をし、200名以上の旧部員達に案内状を送ったと言う。その中で半数くらいから返事があり、参加者はさらにその半分くらいだから、よく集められたと思い、その努力に感謝した。

 集まった中の最高学年は14回生で、もう66歳になり、一番若いのが39回生の41歳だから親子ほどの年の差だった。41回生の時には私は教育委員会の事務局に異動していていなかったから今回が初対面だったが、他の参加者はすべて私が顧問として接した部員達で、中には卒業以来40数年ぶりという部員もあり、懐かしいことこの上なかった。





 私が着任してすぐに顧問になったときの生物部は熱帯魚を飼っている程度で実験や研究らしいことをする者もなかったが、やがて熱心な生徒達が入ってきて活動をするようになり、それとともに部員数もしだいに増えていった。最盛期には校内で最大のクラブとなり、一時は3学年合わせて63人にもなった。それが放課後になると生物実験室やその周辺に集まってきて、それぞれのテーマで実験したり飼育や園芸活動をしたりするから、非常な活気だった。今でもよく集まっているHr君やHg君たちの学年はその中心だった。土曜日も休みではなかったから、日曜以外はすべて、それも遅くまでクラブ活動をしていて、夏休みも出ずっぱりで、大学受験準備が高校生活の中心になっているような現在なら到底許されるようなことではなかった。

 私にとってもこのような大勢の部員達の実験、研究テーマを見つけてやったり指導したりするのはかなりのエネルギーが要ることだったが、彼、彼女らと一緒に過ごす毎日は、今思い出しても楽しいものだった。思えばあの時代に、あの高校で生物部の顧問として過ごしたことは本当に幸せだったと、一人ひとりの自己紹介を聞きながら改めて思ったことだった。 

 会の最後に、今年は喜寿を迎えるということでお祝いの品と花束、それにバレンタインでーの前日ということでチョコレートが贈られた。こまやかな心遣いに感動し、部員達をかわいく思っていた妻がいたら一緒に喜び合えるのにと思った。皆が元気で幸せであるようにと心から願う。

 寄せ書き


 これはRIHGA ROYAL HOTELのチョコレート。とてもおいしいものである。
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