ナチュラルな暮らし

穏やかな日常の一コマ

松本市立博物館への道

2024-08-30 | ドライブと散策とミュージアム

松本へ行って来ました。「松本市立博物館」で開催中の企画展「生物多様性と松本」を見るためです。まずはそこに行くまでの道中…いつもの山麓線にはソバ畑にソバの花が咲いていました。今は夏そばはお終いで秋そばの芽が出る頃かと思うのですが、この時期のソバの花は珍しいです。稲穂は黄色になって頭を垂れていました。

     

     

 

松本の街を少しだけ歩いてみました。途中でこんな空き家を見つけました。さすが松本の街、空き家も蔵造りです。それに蔵造りの銀行もありました。

     

     

 

もう月遅れの七夕も終わってしまいましたが、七夕飾りがまだ残っていました。

     

 

女鳥羽川沿いを歩いてみました。そこで見かけたのは「鎮神社」です。

     

     

     

     

 

ここにあった「エノキ」の木に赤い実がついていました。

     

     

 

おしゃれなカフェのテラスに「オリーブ」の木…このままで冬を越すのでしょうか、気になるところです。このカフェのある建物は市営住宅です。沿道には開催中の「セイジ・オザワ松本フェスティバル」のフラッグがはためいていました。

     

     

     

 

この後、繩手通を歩いて博物館に向かいました。繩手通りで気になった風景はこちら…木のまな板の「ほう(朴)」、「とち(栃)」の木は分かったのですが、「せん」が?でした。調べたら「せん(栓)」は「ハリギリ」でした。桐のまな板は軽くて人気があるようです。

     

 

カエルで有名な繩手通…カエル祭りもあったようです。この辺りに市役所があったそうで、記録が残っていました。今の市役所も相当古いですが…

     

     

 

気になったお店の軒先に吊るされていた新巻きザケ(?)と通り抜けた「四柱神社」です。神社の木陰がありがたかったです。

     

     

 

「松本市立博物館」ではまずロビーの「小澤征爾」さん特集に注目でした。「セイジ・オザワ松本フェスティバル」として長年松本に関わってこられ、サイトウキネンオーケストラを率いてこられた小澤征爾さんですが、今年の2月に亡くなられ、今年は感謝も込めてさまざまイベントが開催されています。私もコンサートでお会いした小澤征爾さんの姿を思い浮かべながら感謝を込めて写真を見てきました。感謝の会があったのでその時の記録はこちらです。2024OMF A Tribute to Director Seiji Ozawa: Celebration of Seiji's Life ー小澤征爾総監督 感謝の会―その生涯を祝福して― (youtube.com)

     

     

     

     

     

 

この後、2Fの企画展、3Fの常設展を見たのですが、長くなりますので次に続きます…

 

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夏の日の出来事

2024-08-26 | 日常のあれこれ

夏の記録の続きです。7月下旬に実家の柿の摘果を頼まれて夫と共に行いました。実家のこの柿は渋柿(平種無し)で毎年貰っては干し柿を作っています。今年は実がたくさん付き過ぎてしまい、このままだと小さな柿になってしまうし、来年実がつきにくくなってしまうとのことでした。摘果作業は柿の葉10枚に実が1個が基本だそうです。脚立を使って高い所まで丁寧に摘果しました。

     

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この時見つけたのがこの巣…もう中は空っぽでしたが、どんな野鳥がこの巣を作って使ったのでしょうか、とてもきれいに作ってありました。

     

 

ここには栗も植えられていてもう青いイガが出来ていました。

     

     

 

こちらは次女宅の「ネムノキ」…1mほどの苗木を買ってきて植えたそうですが、もう3m以上にも大きくなっています。咲き終わりの時期でしたが少し花が見られました。

     

     

 

畑ではいろいろ収穫があって、まずはタマネギ、ジャガイモ、ニンジン、それにニンニク、ラッキョウです。ニンニクは炊飯器の保温で作る「黒ニンニク」を作り、しょうゆ漬け、オイル漬けで保存しました、。ラッキョウは甘酢漬けにしました。夏野菜はキャベツにレタス、キュウリ、トマト、ナス、ピーマン、ズッキーニ、オクラ、トウモロコシ、インゲン等々…今年新入りの万願寺唐辛子ではトウガラシ味噌を作っておすそ分けしました。たくさんの収穫物の写真がありませんが、このハート形のジャガイモは注目でした。

     

 

夏休み中の1週間は長女宅で過ごしました。息子のところの孫を連れて行き、後半には息子夫婦も来て賑やかにお寿司の膳を囲みました。富山は海があるので新鮮なお魚が上がり、お寿司もとっても美味しいです。

     

     

 

娘のところで夏の定番、紫蘇ジュースを作りました。暑い時期には元気をもらえる飲み物です。夫の作ったバウンドケーキも好評でした。いただき物のスムージーも好評でした。凍らせてシャーベットのようにしていただくのが美味しかったです。

     

     

     

 

夏らしい涼やかなゼリーもいただきました。好物のきんつば等々…美味しいものをたくさん頂いた日々でした。

     

     

 

娘の所に咲いていたアサガオ…ミックスの種を買ってきて蒔いたそうですが、色とりどりのアサガオが咲いていて注目でした。

     

     

     

     

 

庭には「甘柿(富有柿)」や「イチジク」があって実がたくさん付いていました。実りの秋が楽しみな木です。

     

 

お盆の前に皆で集まって母の100歳の誕生日を祝い、お盆の時は実家へ行ったくらいで静かに過ごしました。迎え盆と送り盆にお墓に行きました。こちらでは迎え火と送り火に「カンバ」を燃やします。我が家のお墓は塩嶺峠の近くの霊園にあるのですが、そこに行った時に「カモシカ」に出会いました!お墓参りの方が行き交う場所でしたので驚きでした。悠々とサクラの葉を食べていました。ここはもう山ですのでこうした出会いがあったもおかしくないのですが、ここでの出会いは初めてでした。今日は公報で市内の某所にクマが出たとの注意がありました。こうした動物が身近に迫っている気がして心配です…

     

     

     

 

夏の日々の出来事を綴ってみました。とっても暑い夏ですが、今年こそ夏バテしないようにと気を付けながら過ごす日々でもあります。

     

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夏の日々に咲いた花たち

2024-08-23 | 植物

7月の記録が残せませんでしたので、7~8月に咲いた花たちを載せておきます。今更ですがまずは「アジサイ」です。ガクアジサイの紅は早々に咲き、その後から白のアジサイやブルーやピンクのアジサイが咲きました。

     

     

     

     

 

蔓を伸ばす植物では「フウセンカズラ」とグリーンカーテンにしている「ルコウソウ」です。

     

     

     

 

足元には夏の定番の花「マツバボタン(松葉牡丹)」が色とりどりに咲いています。「クサハナビ(草花火)」の可愛らしい花も咲きました。

     

     

 

畑花壇では夏の定番「ヒマワリ(向日葵)」が元気に咲きました。我が家ではこの種を収穫して冬の野鳥たちの餌にしています。「ディル」の花も青空に映えて伸び、花を咲かせていました。畑では「ブラックベリー」も収穫できました。黒くなると熟して美味しいです。

     

     

     

     

 

鉢植の花では「エーデルワイス」…小さな株ですが毎年純白の花を咲かせてくれます。

     

 

「ホスタ」や「フウチソウ」はみんな鉢植えにしています。幾つも鉢があるのですが、この鉢は新入りです。

     

 

鉢植のレモンに木に実がついて大きくなりつつあります。今年はいくつも収穫出来そうで楽しみです。

     

 

これは我が家ではないのですが、珍しい鉢植の木に出会いました。「エバーフレッシュ」というのだそうです。ネムノキの仲間のようでこんな実もついていました。そこには鉢植の「ハイビスカス」もありました。

  

     

 

最後に水鉢の「スイレン」と「メダカ」です。「ハス」の苗をいただいたので「メダカ」を買って来て同居させました。元気に育ってほしいものです。

     

     

 

撮り残してしまった花たちもあるのですが、我が家のまわりの夏の花たちでした…

     

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夏の山の家の庭

2024-08-20 | 自然観察

今年は暑い夏…原村でもわが家があるのは標高1100m位の所ですので、7月に訪れた時は30℃近くまで気温が上昇していました。今更ですが、その時に咲いていた花たちです。「ホタルブクロ(蛍袋)」は近所の土手にたくさん咲くので毎年楽しみに見ています。色の濃い花もありました。

     

     

     

 

「ユキノシタ(雪の下)」は我が家に咲いたもの…よく見ると複雑な作りの美しい花です。

     

     

 

夏は白い花が目立ちます。遅れて咲いた「バイカウツギ(梅花空木)」とたくさん咲いた「オカトラノウ(丘虎の尾)」と「ホスタ(ギボウシ)」の花です。

     

     

     

     

 

中には色鮮やかな花もあります。「マツモトセンノウ(松本仙翁)」と「フシグロセンノウ(節黒仙翁)」それに「セキチク(石竹)」です。

     

     

     

 

ブルー系の花では「ハタザオキキョウ(旗竿桔梗)」と「ムラサキツユクサ(紫露草)」です。

     

     

 

今年は「ウバユリ(姥百合)」がたくさん咲きました。咲いた後、たくさんの種をつけます。

     

 

夏の庭は草も木も鬱蒼と茂って(なかなか草刈りや手入れが追い付きません…)こんな感じになっています。

     

 

その中で元気に咲いたのは「ヤマアジサイ(山紫陽花)」です。大きな株が3つあって、どれもたくさんの花を付けました。

     

     

 

こちらは原村へ行く途中で高いのり面から垂れ下がって咲いていた「ノイバラ(野茨)」…真っ白な花がたくさん咲いて見事でした。

     

     

 

やはり原村へ行く途中で見かけた八ヶ岳連峰の阿弥陀岳です。青い空と入道雲と青い峰々…これぞ夏という八ヶ岳が見えました。

     

 

おまけは庭の木の伐採の様子です。枯れてしまった木ですが、蔓が絡みついていたので倒すのが困難で、娘婿さんの手助けを借りて伐採しました。蔓は他の木にも絡みついていたので、まずはその蔓を取り払うところから始めました。

     

     

     

 

高い所まで登って蔓を切ってくれたのは娘婿さん、木の根元の所を切ったのは夫です。

     

     

 

良い方向に木を倒すことが出来ました!庭の手入れもいつまで自分でできるのか、業者さんにお願いしなければならない時期にもなってきています。

     

 

8月になってからは何かと忙しくて、まだ一度も原村へ行けていません。今回載せたのは7月に写した庭の様子でした…

 

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母の青春時代~昭和初期~

2024-08-17 | 日記

母が100歳を迎え百寿のお祝いをした際に、母のアルバムを探し出して皆で見ました。この暑さの中で倉庫から探し出すのが難しく、女学校時代の卒業アルバムと東京での学生時代の写真と結婚前の教師時代の写真だけ出てきました。母の青春時代ともいえるこの頃の写真を記録してみました。80~90年前の写真ですので顔出ししても良いかとそのまま載せています。まずは小学校入学の時の写真です。○で囲ったのが母です。

     

 

女学校の時の卒業アルバムから…東、中、西、南の4クラスです。この北が無くて中というクラス名がちょっと?ですが。○印が母です。

     

 

卒業アルバムにはその時代を映した写真がたくさんあったのでのせてみました。制服(スカート)で下駄スケートを履いてスケートをしている姿や、制服姿で中央アルプスの木曽西駒ヶ岳に登山した様子や、防空演習のために校庭でバケツリレーをする様子などがあります。

     

     

     

 

勤労奉仕にも出かけたようですが、仲の良いお友達と楽しく過ごした時間も多かったようで、高齢になってもその頃の友人との交流がありました。

     

     

 

女学校卒業後は東京の学校へ…太平洋戦争が始まった頃の東京でしたが充実の学生生活ができたようです。学校と階段教室の様子です

     

     

 

こんな名簿も出てきました。当時の世相を反映していると思われるのは、同期生の住所に樺太や朝鮮、台湾の地名があることでしょうか…東京は東京市となっています。

     

 

学校の運動会は神宮外苑競技場で行われたようです。渋谷や明治神宮表通り(今の原宿?)にも出かけたようで母の記載がありました。

     

     

     

 

卒業後は出身地の地元に戻って教員生活をした母です。学校の先生も出征していなくなっていたので採用されたようです。出征される先生方との写真や子どもたちとの写真が残されています。どの写真にも母が写っています。最後の写真は出征された先生のクラスの子供たちで、このクラスを引き継いだようです。

     

     

     

 

この時の教え子の中には戦時中に満州へ満蒙開拓団として行った子もいて、その子が母あてに書いた手紙を見つけた時のことはこのblogに載せました。母の戦後 - ナチュラルな暮らし (goo.ne.jp)

     

 

アルバムには母の生まれた年の新聞が残されていました。この大正13年は当時の皇太子殿下(後の昭和天皇)が結婚された年です。

     

 

母の生まれた頃や小さな頃の写真、それに結婚した頃の写真もあったのですが、この暑さの中で倉庫の中から探し出すことが出来ませんでした。また時期をみて見つけたいと思います。母のことではたくさんの手紙や日記や家計簿も残されています。それに記録しておきたい手仕事の数々…これは以前に少しまとめたものがあるのでこちらを見て下さい。ナチュラルな暮らし (goo.ne.jp)  たくさんの手仕事品は多くの方々に貰われて行きましたし、着物は母の孫が着てくれたりしていますが、またの機会にまとめてみたいと思います。

 

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