saarweineのワインなどに関してあれこれ

このブログはドイツはモーゼル河の支流であるザール地域のワインを愛する男がワイン等に関して色々適当に書き込みします。

Riversideについてです。(その6)

2009-08-31 14:16:51 | 日記
引き続き後でですが61年のBill Evansについて語ってみます。この年の名演こそまさしくワインバーなどで(一人飲みの時もそうですが)流してみたいサウンドと思います。次はこの年明けの「エクスプロレイション」から書いてみます。まさしく「黄金期」と呼ばれるべき名演揃いです。(続く)
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Riversideについてです(その5)

2009-08-28 23:25:24 | 日記
60年という年はなんともBill Evansにとっては微妙な年だったようです。件のトリオは僕が確認出来た限りですがエアチェックのライブ盤があるくらいでサイドマンとしての録音をこなしています。当然ワイングラスを傾けながら聴くのは僕的にはOKなのですが彼はヘビースモーカーであるだけではなくヘロインにどっぷりハマっていた事を考えるともし僕が業界の関係者であったとしても彼とは個人的な付き合いはしなかっただろうと思います。何せ楽屋には取り立てに売人がしょっちゅう来ていたといいますし。

La FaroもLa FaroでオーネットコールマンやEric Dolphyと実験的な「Free Jazz」のような実験的なサウンドに取り組んでいます。彼も記録に残っている限りとはEvansと完璧なインタープレイをこなしていますが麻薬中毒でよくEvansとは喧嘩が絶えなかったそうです。うーん、個人的には付き合いはしたくないですね(笑)。次回は61年をメインに取り上げてみるつもりです。(続く)
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Riversideについてです。(その4)

2009-08-27 00:08:58 | 日記
翌59年はBill Evansにとってかなりエポックメイキングな出来事が続いた年でした。3~4月にはMiles Davisに呼び戻されて「Kind of Blue」を録音しています。この作品については評価は言わずもがなですが前にも書きましたがお酒との相性で言うとやはりワインよりはハードリカーで渋く決めたくなるようなクールなサウンドです。確か50周年でコンプリート盤が去年出たのでお金に余裕がある時にでも是非買ってみたいと思います。

年末には念願のScott La Faroとトリオを結成し「Portrait in Jazz」を録音します。この録音はこのレーベルの所謂四部作の中でも昼過ぎ辺りでも喫茶店でコーヒーか紅茶を飲みながら聴いてみたいサウンドで録音はあまり良くありませんがバランスが取れた傑作と思います。(続く)
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Riversideについてです(その3)

2009-08-26 00:59:38 | 日記
この58年という年はEvansにとってはエポックメイキングな年になったのは前回も言いましたが「1958 Miles」や「Jazz At The Plaza」等Miles Davisの元で録音された作品は当たり前かもしれませんがあたかもニューヨークか都心の夜中を思わせるようなサウンドでワイン以外のお酒が合うような感じです。

この年の年末に録音された「Everybody digs Bill Evans」ではジャケットにジョージシアリング、キャノンボールアダレイ、アーマドジャマル、そしてMilesの推薦文を載せて今迄のバドパウエルスタイルから脱却しようとする姿が捉えられます。「ピースピース」(61年6月のパンガードライヴでも演奏されたサムアザータイムがベースになっています)のピアノソロは格調高くクラシックのピアノ独奏曲をお好きな方にも是が非でも聴いて頂きたい名演です。

次は59年辺りを述べようと思います。(続く)
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Riversideについてです。(その2)

2009-08-24 23:56:19 | 日記
それでは引き続きこのレーベル時代のBill Evansについて語ってみます。56年にギタリストのマンデルロウの推薦によりこのレーベルと契約を交わし初リーダー作の「New Jazz Conceptions」を発表します。彼はこの当時既にニューヨークのシーンではかなり注目されていたとはいえファーストリリース盤が全米でたったの800枚くらいしか売れなかったという事実を考えると如何に現実が厳しいかという事でしょうか。このアルバムでの彼のスタイルはまだバドパウエルの影響下にあり後年のインタープレイはあまり聞かれません。このアルバムはニューヨークで録音されましたがある意味都会的なサウンドでハードリカーが合いそうです。更に翌57年はフリーランスとして様々な録音をこなし58年はJohn ColtraneやPaul Chambersと同様にMiles Davisに大抜擢されて一躍シーンに踊り出る事になります。(続く)
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