函館近郊には台場山や台場と称される地名があちこちに残されている。もちろん、すべて箱館戦争の史跡である。それらは、榎本武揚率いる旧幕府軍が、新政府軍の侵攻に備えて築いた砲台跡だ。
今日は、その中の二股口古戦場跡となっている二股口の台場山(旧大野町)と峠下台場山(七飯町)を歩いてきた。

二股口の台場山は地図にも載っているが、激戦の戦場となり、塹壕跡は残っているが台場跡は残っていないようだ。標識に従って、古戦場跡まで登山道状態のところを往復で30分ほどであった。
しかし、大沼方面と函館方面が望める峠下の台場山は戦場にならなかったので、今でも山頂部にはっきりと多稜形土塁や砲台スロープ跡などの痕跡が残っている。こちらは、林道と刈り分け道を繋いでの循環縦走で1時間ほどであった。

また、今回の探訪で、箱館戦争の火蓋が切られたのは、峠下であることが初めて判った・・・・明治元年に、鷲ノ木に上陸した旧幕府軍のうち「大鳥圭介隊」は大沼を経由して、「峠下」に下ったが、ここで待ち伏せていた新政府軍と戦ったのが初めてだったとのことである。七飯発電所の東側にその戦いの戦死者の墓碑群があるが、その中に「戊辰之役勃発之地」の石碑もある。
詳しい記録と写真は、本サイトの下記ページにアップしてあるので、興味のある方はどうぞ!
http://sakag.web.infoseek.co.jp/siseki-daiba.htm
今日は、その中の二股口古戦場跡となっている二股口の台場山(旧大野町)と峠下台場山(七飯町)を歩いてきた。

二股口の台場山は地図にも載っているが、激戦の戦場となり、塹壕跡は残っているが台場跡は残っていないようだ。標識に従って、古戦場跡まで登山道状態のところを往復で30分ほどであった。

しかし、大沼方面と函館方面が望める峠下の台場山は戦場にならなかったので、今でも山頂部にはっきりと多稜形土塁や砲台スロープ跡などの痕跡が残っている。こちらは、林道と刈り分け道を繋いでの循環縦走で1時間ほどであった。

また、今回の探訪で、箱館戦争の火蓋が切られたのは、峠下であることが初めて判った・・・・明治元年に、鷲ノ木に上陸した旧幕府軍のうち「大鳥圭介隊」は大沼を経由して、「峠下」に下ったが、ここで待ち伏せていた新政府軍と戦ったのが初めてだったとのことである。七飯発電所の東側にその戦いの戦死者の墓碑群があるが、その中に「戊辰之役勃発之地」の石碑もある。
詳しい記録と写真は、本サイトの下記ページにアップしてあるので、興味のある方はどうぞ!
http://sakag.web.infoseek.co.jp/siseki-daiba.htm