癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

函館レトロ建築探訪(その12)~船見町界隈の「景観形成指定建築物」

2020年07月04日 | レトロ建築・古民家カフェ

 西部地区のレトロ建築探訪は、これで最終回です。お付き合いありがとうございました。

伴田米穀店(弁天町6-11)<大正5年(1915年)築>

 大正期に建てられた病院兼住宅で、現在は米穀店兼住宅として利用されている。外観は,下見板張りにペンキの塗装が施され、屋根下に胴蛇腹を廻し、窓はペディメント付きの窓枠で上げ下げ窓、正面玄関には洋風の切妻屋根を設けるなど、洋風で統一されている。

 

山内家住宅(船見町9-9)<大正11年(1922年)築>

 常盤坂を上った角地に建つ住宅で,当初は網元の居宅として建てられたもの。

 外壁は下見板張りで、1階部分は出窓、2階部分は縦長の上げ下げ窓で、建物全体は洋風でまとめられているが、正面の1階部分だけは和風の出格子窓となっていて、上下和洋折衷様式を取り入れています。また門柱や塀にも和風の要素が見られる。2階の上げ下げ窓や1階の出窓には井型の桟割が見られ、大正期らしい雰囲気をかもし出している。

 

旧ロシア領事館(船見町17-3)<明治41年(1908年)築>

 幸坂の幅員が狭くなり、上り坂の勾配がさらに急になるところの右手に建つ。1964年に函館市が購入、「函館市立道南青年の家」となったが、1996年で廃止。現在は売却が検討されている。

 赤煉瓦の外壁に、2階部分では縦横の太い縁取り、玄関部では隅石風に白漆喰(しっくい)が施され、赤と白のコントラストが印象的な建物となっている。坂側にある玄関には、寺院風の唐破風や組物を見せる柱頭などが取り入れられ、これら和風意匠との組み合わせが独特の雰囲気を持っている。屋根は、当初は瓦葺であったものが、現在は、鉄板葺になっている。

 日本とロシアの国交は、安政元年(1854年)に始まり、安政5年には初代領事のゴスケヴィッチが着任している。この建物は、昭和20年までは領事館として使われていた。

◎過去記事~「旧ロシア領事館内部見学会」(2013,9,28)※一階部分だけですが、内部の様子が見られます。

 

山上大神宮(船見町15-1)<昭和5年(1930年)築>

 幸坂を上り詰めたところにある神社で、景観形成指定建築物等の中では唯一の神社建築である。銅板葺きの神社建築で、棟梁只木実條によって昭和5年に竣工。

 神社の草創は、函館の街が形成され始めた17世紀末までさかのぼるといわれ、当時は神明宮と称した。その後,当時の境内があった山之上町にちなみ、山上大神宮と名称を変更し、さらに1882年現在地に移転している。

 

東本願寺函館別院船見支院(船見町18-20)<大正15年(1926年)築>

 船見町の一角の同じ通りに3つの寺院が建ち並ぶが、その東側の寺院。木造平屋建て。境内には、木造の水盤舎、石造の預骨堂がある。

 この辺りは、寺域が接する高龍寺と共に、立ち並ぶ寺院群で、寺町とも呼ばれている。3寺の本堂の屋根が重なり合う姿は、弥生坂の途中から望見できるが、異国情緒豊かなこの地域のなかで、趣の異なる風景となっている。

 

実行寺(船見町18-18)<大正7年(1918年)築>  

 3つの真ん中に建つ寺院。入母屋瓦葺の土蔵造の寺院。正面に唐破風の向背を見せている。

 

称名寺(船見町18-14)<昭和4年(1929年)築>   

 3つの寺院の西端に建つ寺院。市内では、東本願寺函館別院に次ぐ鉄筋コンクリート造の寺院。

 これらの3つの寺は富岡町(現弥生町)にあったものだが、明治12年の大火後の街区改正に伴い、現在地に移転されたもので、その後、明治40年の大火にも見舞われ、現存しているのはその後に建てられたものである。

 

高龍寺・本堂(船見町21-1~3)<明治33年(1900年)築>

 国登録有形文化財(平成24年登録)で、本堂をはじめ諸堂がコの字型に配置された伽藍が整い、船見町寺町を代表する寺院となっている。

 開基は、寛永10年(1633年)とされ、現在地には明治12年に移転している。寺院内には、明治後半から昭和初期の建物が数多く残され、本堂をはじめ9件が景観形成指定建築物等に指定されている。

 本堂は,入母屋瓦葺屋根とその下に裳階(もこし:庇状の部分)が正面から側面にかけてまわされている。総ケヤキ造りで、越後衆の工人達によって竣工。

 

高龍寺・山門(船見町21-1)<明治43年(1910年)築>   

 国登録有形文化財(平成24年登録)で、山門は、前後に4本の柱を立てる八脚門で、入母屋瓦葺の屋根をかけ、装飾性が豊かで非常に複雑な飾り彫刻が随所に施されている。

 

高龍寺(そのほかの国登録有形文化財・景観形成指定建築物)

(左上)金比羅堂<大正4年>、(右上)水盤舎<大正4年>、(左下)位牌堂<昭和8年>、(右下)開山堂<明治32年>

(左上)宝蔵<大正5年>、(右上)鐘楼<大正11年>、(下)袖垣・防火壁<明治43年>

 

ティーショップ夕日(旧函館検疫所台町措置場)(船見町25-18)<明治18年(1885年))築>

 外人墓地の奥に、函館港の北側を向いて建っている。明治18年(1885年)内務省の決定により、当時の主要6港(函館、横浜、神戸、下関、長崎、新潟)に常設の消毒所が建設されたが、この建物は消毒所の事務所として建設されたものである。

 

 9間×6間の木造平屋建ての建物で、軒先に蛇腹を廻し、妻面や背面の上げ下げ窓は両開きの鎧戸を付け、笠木のみで窓台を持たない単純な額縁形式で、初期洋風建築の様式を伝えている。

 正面入口両側には廊下を下屋として付設し、両端に戸袋を付けたガラス戸を建て込んで、在来の縁側的な処理が見られる。建物の性格上、装飾性の少ない建物だが、全国的に数少ない初期港湾施設の遺構といえる。

 過去記事~古民家カフェ「ティーショップ夕日」(2019,9,20)※内部のようすをどうぞ!

 西部地区の「レトロ建築探訪シリーズ」はこれで終了しますが、下記過去記事もどうぞ! 

 過去記事~「青柳町建物探訪」(2017,10,17)

 過去記事~「古い建物ウォーキング」2013,5,7)


4 コメント

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お疲れ様でした (koen)
2020-07-05 17:19:15
楽しみにしていたシリーズ終わってしまい残念です。
前半の民家は散歩の途中のお馴染みの民家であ~あそこのね~と楽しく拝見しました。

ティーショップ夕日は行こうと思っていましたがとうとう行けずじまい。
平成18年4月14日に床下から妙な物が発見されていて少し行くのを躊躇っていたというのも少しありますが .....

エクストレイルとうとうダメですか。
外見は全然まだ走れそうでしたがやはり30万キロのダメージは凄いのですね。
何代か前のCR-Vも喜茂別かどこかでダメになったのと同じようにならない前に交換も仕方がないですね。
山中なら命取りですものね。
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koenさんへ (sakag)
2020-07-05 18:02:55
このシリーズも終わりました。お付き合いありがとうございました。
まだ探せば西部地区以外にもあるかもしれません。また探してみます。

平成18年と言えば、10月にティーショップ夕日が開店していますが、その改修時にでも何か出たのでしょうか?

前のCRVは喜茂別の国道で前輪の車軸のようなものが折れて走行不可能となりました。今回もブレーキ関係がヤバそうので、早めに分かって良かったです。
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Unknown (koen)
2020-07-06 08:20:00
あまりお勧めしませんが.....
どうしても気になるようなら
「旧函館検疫所 床下」で検索してみて下さい。
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koenさんへ (sakag)
2020-07-06 08:39:45
ありがとうございました。
やっぱり!多分そんなことだろうと思っていました。
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