癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

函館レトロ建築探訪(その10)~十字街から弁天までの市電通りのレトロ建築物

2020年06月11日 | レトロ建築・古民家カフェ

<お知らせ>

夕方に、HTB北海道テレビから連絡があり、先日の捜索の様子が、下記予定で放映されるそうです。
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■放送予定番組
「イチオシ!!」(月ー金・午後3時45分~午後7時※道内ローカル)
※その他HTB・テレビ朝日系列の番組・各種媒体で発信する場合がございます。
■放送予定日
2020年6月12日金曜日
※午後6時15分~午後7時の道内ニュース枠
※事件事故などニュースの状況により変更となる可能性あり
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あらかじめ、録画されておいた方が良いかと・・・?

 今日は久しぶりに雨模様の1日だったので、恵山捜索の件でしばらく中断していたこのシリーズを再開・・・写真はだいぶ前に撮ったものだが、いろいろ調べるのに時間が掛かるので、このような天候の日はありがたい。

 今回は、十字街から弁天までの市電通りの末広町・大町・弁天町のレトロな建築物を紹介したい。 

北斗ビル(旧目貫商店)(末広町17-15)<大正10年(1921年)築>

 明治12年(1879年)に起きた大火を教訓に防火帯として設置された二十間坂下に建つピンク色が特徴のビル。銀座通りに多く見られる鉄筋コンクリートブロック工法。

 もとは外米、砂糖、麦粉を取り扱う目貫商店の自社ビルとして大正10(1921)年に建てられたものである。この年の4月には函館の中心部で大火が発生し、それを機に建てられたのが旧目貫商店のビルだった。(建築物の指定なし)

 一時ホテルとして営業していたこともあるが、現在は1階にはアパレル雑貨ショップが入居しているようだ?

 大正11年の絵葉書に竣工当時の姿が写っている旧目貫商店~屋上にペレットが付いている。

SEC電算センタービル(旧百十三銀行本店)(末広町18-15)<昭和元年(1926年)築>

 八幡坂下の角地に建つ。古い建物には見えないが、明治11年北海道で最初の地場銀行として函館に創設された第百十三国立銀行が、明治20年に改称され、第百十三銀行となった後の、昭和元年に本店として建てられたもの。

 当時のドイツ建築様式を巧みに取り入れたもので、中央に出入り口を取った左右対称の外観で、両側に半円柱が並ぶ古典様式の形式を踏襲しているが,パラペット部を連続する三角形で飾り、入口両側の柱装飾や入口上部に並ぶ半円形の小窓などドイツ表現派風の意匠も取り入れられ、古典建築と近代建築の様式が洗練されたデザインで組み合わされている。 

  設計者は、函館に数々の名建築を残した建築士・関根要太郎、施工は日本初のコンクリート寺院・東本願寺函館別院や東京銀座の松屋を造った木田保造(木田組)が担当。(景観形成指定建築物)

HakoBA函館(旧安田銀行函館支)(末広町23-9)<昭和7年(1932年)築>

 安田銀行は、大正末期から昭和10年代中頃にかけて、全国各地に同じ形態の支店を建設しており、外観は中央に円形の付け柱を4本建て、その間に縦長の窓を開け、両隅の壁にも小さな縦長窓を設けていた。その一つが函館支店で、昭和7年に大林組の施工で竣功している。

 函館支店は,昭和43年に函館どつくの外人専用ホテルとして転用されたが、銀行建築のみならず近代建築の再利用としては全国的にも比較的早い事例のものらしい。   

 小樽市にも昭和5年に建設されたものが現存(現日刊北海道経済新聞社)しているが、外観に類似性が認められるとのこと。(景観形成指定建築物)

 

市立函館博物館郷土資料館(旧金森洋物館)(末広町19-15)<明治13年(1881年)築>

 明治11、12年の大火後に豪商渡辺熊四郎が洋品小間物店として建てたもので、年代が確実に判明するものとしては地域内の商家建築の中で最古。

 函館近郊の茂辺地煉化石製造所(北斗市)で造られた煉瓦を使用して建てられており、建物側面の一部に明治7、8年の刻印が入った煉瓦を見ることができる。

 開口部は正面と裏側の出入り口、2階部分の窓だけで、側面には開口部が無く、耐火を意識した開口部の少ない造りとなっている。また,伝統的な土蔵造りの技法を用いて、1階入口部、2階窓内側には分厚い塗り込め戸が取り付けられ、屋根には野地板の上に煉瓦を敷き詰めその上に瓦をのせるという耐火に対する意識が徹底した造りとなっている。

 外観意匠では、煉瓦の表面を漆喰で仕上げてあり、建物隅部や入口・窓周り等には隅石が型どられるなど、明治初期に全国的に建築された擬洋風建築の意匠要素が見られるという。また、1階正面の鋳鉄製の柱で支えられた3連アーチや鋳鉄製ブラケット等は、その後函館に建築される商家建築にも共通して見られる手法とのこと。(北海道有形文化財・景観形成指定建築物)

 

函館市文学館(旧ジャックス社屋・旧第一銀行函館支店)(末広町22-5)<大正10年(1921年)築>

 第一銀行の函館支店として建てられたもので、近傍にある銀行建築と同様に、中央に出入り口を設け、左右対称となっている。

 花崗岩とタイルの茶色が調和し、石に刻まれた装飾も美しい建物である。基本構造は鉄筋コンクリートと煉瓦の部分が分けられて使われており、鉄筋コンクリート構造が取り入れられていく過程での中間的な構造と考えられている。

 ジャックス社屋としての再利用を経て、平成5年、函館市文学館として生まれ変わっている。(景観形成指定建築物)

 

函館市北方民族資料館(旧日本銀行函館支店)(末広町21-7)<大正15年(1926年)築>

 基坂通と市電通りの角に建つ大型ビル。大正末期に建てられた日本銀行函館支店だったもので、今は改修されて函館市北方民族資料館になっている。アイヌ・ウイルタ民族などの北方民族資料を展示している。

 改修されているので、重厚ながら銀行らしさが薄い建物だが、石貼り風の外壁に、玄関周りの柱は当時の姿を留めている。鉄筋コンクリート造り、3階建て。(建築物の指定なし)

 

橋谷家住宅・旧店舗(大町6-12)<大正10年(1921年)ころ築>

 目に付く建物だが、大町電停のすぐ西側にある古い洋館。左側に住宅、右に蔵のような旧店舗が並んでいる。歴史的建造物の指定もなく、情報が少ない。

 横へ回ったら、現在も居住しているような?感じで「橋谷巳之吉」の表札も下がっている。市内のあちこちに広大な土地や倉庫を持つ「橋谷株式会社」(本社神戸市)の住宅と旧店舗であろう。橋谷株式会社は、明治28年に橋谷巳之吉が函館で創業し、第二次世界大戦前までは現在の食品卸売業、倉庫業、不動産業の他、本社登記のある神戸を拠点として海運業も行なっており旧満州の拠点を含む当時の日本国内の物流を自社の航路で担っていた。当社の屋号である(ダイボシ)は、所有していた船舶の名前(大星丸)でもあり、昔から『ダイボシさん』として地域に親しまれてきた。

 住宅は木造に石貼り風の外観。2階には縦長の上げ下げ窓のある洋風建築だが、屋根は方形屋根、玄関庇の破風も和風になっていて、いわゆる和洋折衷といえる。石貼り風に見えるが、モルタル塗りに目地を切りこんだものかもしれない。玄関上部や、2階の窓の上部には洋風のレリーフがあしらわれ、建物両側と玄関両脇の柱には白いタイルが貼ってあるなど、かなり凝った意匠です。木造2階建て。

 一方、隣の旧店舗と思われる、蔵造りの重厚な建物。函館で多く見かける形状ですが、少し色褪せた白い外壁が存在感を主張している。こちらは土蔵造り2階建て。(建築物の指定なし)

 

ワインショップ・丸又和田商店(弁天町14-11)<明治13年(1881年)前後築?>

 1階が和風、2階には洋風のアーチ型の両開き窓を設けた角に面した和洋折衷土蔵店舗。和田商店は後に建物を引き継ぎ、明治40年から平成10年までこの地で商いを行っていた。明治11年末にこの地域が大火で焼失しており明治12年から14年の間に建てられたもので、明治中期の遺構として数少ない貴重なもの。

 『丸又 和田商店』土蔵店舗はその後、住宅と車庫へとリフォームされていた。現在の4代目当主は、この家に住みながら建物を守り現在の中心部本町へと「ワインショップワダ」を 出店していたが、ここをリノベーションしてここへ店を移した。(建築物の指定なし)

 現在の店長の和田一明氏は、日本ソムリエ協会1999年ワインアドバイザー選手権で準優勝した方のようだ。

 

 明治18年に発行された『北海道独案内商工函館の魁』に描かれた「和田商店」の絵。

 軒下に残っている商標を見ると、店名は丸又和田商店となっているが、もともとは醤油店だったようだ。

杉野三次郎商店(弁天町16-3)<明治18年(1885年)前築>

 函館でも古い部類に入る現存する蔵造り風商家建物の一つ。以前は建物両脇に防火目的の〔うだつ〕が付いていたそうだが、昭和43年の十勝沖地震で損壊したという。それでも貫禄十分の函館の古建築である。最近リノベーションされたようできれいになっている。

由緒不明の古い建物

 大町や弁天町の市電通りには、特に指定を受けていない、歴史を感じさせる由緒不明なレトロな建築物が多く見られる。

 弥生坂下の角のこの建物は、取材時には外装のリノベーション工事の最中だった。今日撮り直しに行ってきたが、内装工事中のようで、まだ何に使われるかは不明な感じだった。



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