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<毛無山から噴き出す今朝の日の出>
日の出の瞬間をカメラに収めて、今日も気持ちのよい朝を迎える。朝一番、輸血のための検査に必要な採血を受ける。昨日に5日と言わていた外科病棟への転棟は、今日の間違いだったとのことで、急遽10:00に引っ越して、第2章の始まり・・・・。
3年前と同じ病棟の北側の部屋で、窓側のベッドだったので、座ったままで五稜郭公園や横津連峰の山並みが目の前に広がるのがうれしい。
午後、明日以降の治療計画書を渡され、明日の手術前日から明後日の手術までの予定の説明を受けた。いよいよ明日から絶食になり、点滴に繋がれ、下剤を飲むことになる。明日から最低5日は絶食になり、その後も治療食が続くので、今日は、お菓子を食べたり、夕食は妻の作ってきてくれたおかずにも箸を伸ばした。
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さて、私に「癌春」の造語を提供してくれた元祖癌春マン・大沼在住のAさんが、同じ病院に入院していることが判明。鼠頸ヘルニアで手術入院することは、今回の癌が判る数日前に知っていたが、入院先を知らないままだった。向こうでこちらの情報をキャッチしたらしく、早朝に病室を訪ねて来てくれたが、早すぎて看護師に止められたらしい。そこで、こちらから朝食前に病室を訪ねた。
もう手術も終えて、私の手術日が退院日となっているAさんは、97年に大腸癌で手術したが、翌年肝臓へ転移して、もう一度大手術を受けたのにも関わらず、もう13年間も癌春人生を謳歌している大先輩である。もう80歳近いのに、豊かなバイタリティを大いに発揮され、パワフルな文化活動を展開している女性にモテモテのスーパー爺である。元気の源は多くのガフレ(彼の表現でガールフレンドのこと)の存在のようだ。特に人並み外れた酒の強さは半端ではない。真夜中を過ぎても飲み続け、付き合っている若い者の方が先に逃げ出す有様には、肝臓癌の大手術を受けた人の面影はまったくない・・・もう、伏して脱帽ものである。
氏と笑いながら話した結論は、2回癌を経験しないと癌春マンにはなれないこと。癌春人生は、2度の癌を克服する人生のことだと・・・。「こうなったら、図太く長く生きることにしましょう!」と、大先輩から、また大きな元気とパワーといただいた・・・感謝!
午後には、Aさんの連載記事を数年にわたって掲載していた『メディカルはこだて』の編集長Tuさんがお見舞いに来てくださった。3人でおしゃべりできると思って来たらしいが、Aさんの外出とすれ違いだった・・・。
最低5日間絶食とは辛いですね。ガンバって
絶食とはいえ、術後は、痛みとの戦いで、空腹感もなくとても食欲など湧かないはずです。
手を折っても足を折ってもメシは食えたからねぇー・・・(笑)・・・あ、でも、右手の時は左手で食べなきゃならなくって、奥様にラブラブで食べさせてもらったなぁー・・・(遠い目)・・・
ワンゲル時代には「停滞食」というジャンルがありまして、山行中の「停滞」(内地では「沈殿」とも言うらしいですが)、悪天でテントから動けない時には一日二食になるんですねー。
朝昼兼用の「まるチャンのインスタントラーメン」を分け合ったりして、・・・ま、ホンマモンの飢餓を知っている人には幼児のオママゴトですな。
その時、「絶体に、負けるものか」と、決意しました。
食べ物の、恨みは怖い。
絶食で辛いのは、今日だけです。術後は苦痛とガスでそれどころではないはずです。
私も食べ物の楽しみエネルギーに、チバラせていただきます。
今回は経験があるぶん、少し楽に経過するのではないかと思います。
春山(新緑?の山)をまた一緒に登りましょう。
経験は生きるとは思いますが、開腹手術の術後の苦痛の度合いがちょっと気がかりです。
日ごとに雪線の上がっていく横津連峰を眺めながら頑張り、新緑の山への復帰を目指します。