今日は朝から雨模様だったので、このシリーズに取り組んだ。あと残りは、今回と次回で終わりとなる。今回は、船見町とこれまで取り上げた以外の弁天町は次回に残して、バス通り付近の元町・弥生町・大町の「景観形成指定建築物」を中心に紹介したい。
◎プレーリーハウス(旧佐田邸)(元町32-10)<昭和3年(1928年)築>
元町の日和坂(ひよりざか)の小路の奥にたたずむ歴史的な洋風建築で、「伝統的建造物保存群地区」からわずかに外れたところにある「国登録有形文化財(平成12年登録)」でもある。函館の海産商だった佐田作郎の住居として建てられたもので、その後、すぐに同じ海産商の小熊家の住宅として長く使われた。
アメリカの著名な建築家F.L.ライトの弟子であり,北海道の自営建築家の先駆けとして知られる田上義也の代表作の一つ。幾何学的モチーフの門扉や窓のサッシ割りなどが斬新で,昭和初期のモダン住宅の雰囲気を伝える逸品となっている。
数年前は、『日和茶房( ひわさぼう)』としてオープンしていて、その頃に訪問したことはあるが、現在は閉鎖されている。
過去記事~日和茶房(プレーリーハウス)(2013,9,13) ※現在は見ることができない内部の様子をどうぞ!
◎日本基督教団函館教会(旧日本メゾシスト函館教会)(元町31-19)<昭和6年(1931年)築>
バス通りに面した昭和初期の教会。明治19年、本教会の前身函館美以教会として、現在地に教会堂が建築されたが、大正10年の大火で焼失し、その後燃えない会堂を目指してコンクリート造りで建設された。
尖頭アーチの窓や塔屋正面の多葉飾りなどヨーロッパ中世のゴシック様式を意識したデザインは、この会堂の建設に携わった建築家萩原惇正が得意としたもので、この建物の他にも北海道大学構内の理学部や農学部など中世スタイルの建築を残している。
◎函館市立弥生小学校(弥生町4-16)<昭和13年(1938年)築/平成23年(2011年)改築>
昭和9年(1934年)の大火後の復興都市計画の一環として耐火構造の小学校が6校建てられたが、その中では最後に建てられたもの。
コの字型に校舎を建て,校舎に囲まれるように中央にグラウンドがある。大火の際、住民の避難所となるよう意図されている。玄関口となっている2カ所の建物角部分を曲面で仕上げているほかは装飾性を排除した,さっぱりとした外観となっている。
平成23年、校舎の老朽化の進行が著しいことから、復原・新築されている。その際、半円状の玄関とその上の部分は当時のまま残されている。
◎岩崎家住宅店舗(弥生町8-16)<大正13年(1938年)築>
小規模な町屋で、当初は、間口3間、奥行き5.5間だったが、昭和10年に向かって右側に1.5間の増築を行っている。
その後、窓廻りに手が加えられ、縦長窓がなくなっていたが、縦長窓を再現するなど平成11年外観改修工事を行い、上下和洋折衷様式に復原を図っている。
岩崎家の隣に建つ、長屋風の和洋折衷住宅。これにも「景観形成建築物」のプレートが貼られていたような気がする?由緒や歴史は不明。
◎大正湯(弥生町14-9)<昭和3年(1928年)築>
船見坂を上ると、左手角地にあるピンク色が目立つ、洋風建築の外観を持つ銭湯。この建物は昭和3年の建物だが、創業は1914年(大正3年)と古い。西部地区に多く見られる洋風建築風の外観が印象的で、古いながらも当時のモダンさが偲ばれる外観だピンク色にしたのは終戦後直ぐだそうだ。
特に間口と高さの均整がとれており、ペディメントをもった屋根などが一体となった、左右対称の正面の姿には美しさが感じられる。左側にある附属棟は、床屋として当初から建てられていたもの。
過去記事~レトロ銭湯「大正湯」入浴(2009,9,5)※内部の様子をどうぞ!
◎中華会館(大町1-12)<明治43年(1910年)築>
国登録有形文化財(平成13年登録)にも指定されている、函館における異国風の建物の中でも、ひときわ異彩を放つ、純中国風の建物。建築当初の姿を伝える関帝廟形式の集会所としては、日本唯一のもの。
函館が開港されて以降、海産物の買い付けのために多くの華僑が函館に渡ってきたが、そうした華僑達の親睦と連帯を図るための施設として建設されたもの。
木骨煉瓦造で、煉瓦は1枚半積み、目地は出目地にしている。煉瓦の外観と、瓦屋根、壁窓にはめ込まれた透かしの飾りが美しい建物。
◎旧小林写真館(大町2-9)<明治40年(1907年)築>
東坂に面した、現存する写真館としては道内最古と言われる洋風の建物。平成20年に空き家となったが、復原改修を経て、平成21年から新たな写真館(タニスギ写真館)として利用されていた。しかし、今年3月に閉館となっている。
竣工当時と比べると、2階バルコニーが撤去されて、建物向かって右側に増築された部分があるが、原形がほぼ残されている。
上げ下げの縦長窓、胴蛇腹、下見板張りなど洋風建築の特徴をもち、また、懸魚風妻飾りがペディメントに付けられ、軒天井と軒蛇腹が一体となってまとめられていることなど、当時の洋館建築に係わった職人達の思いと工夫が感じられ、写真館として栄えた創建当時の函館のハイカラな雰囲気を偲ばせる建物である。
◎函館元町ホテル 蔵の宿(大町4-5)<大正元年(1912年)築>
左側に建つ蔵が「景観形成指定建築物」。度重なる大火の経験もあったためか、地域内では土蔵が数多く残されているが、その中でも比較的良い状態で保存されているもので、漆喰塗りとささら子下見板の組み合わせが美しい建物。現在は「函館元町ホテル 蔵の宿」として利用されている。
◎松原家住宅(大町5-2)<明治43年(1910年)築>
大きな切妻屋根が特徴の京風町家。実際に建築時には京都から大工を呼んだとの話もある。明治時代の建築とは思えないほどの保存状態に、建物の質の高さと、当時の商人(海産商)の隆盛ぶりが垣間見られる。
様々な意匠の建物が町並みを形成する中で、この純和風建築は一服の清涼感を与えてくれる、貴重な建物。
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