明日はできれば、栗駒山に登りたかった。登山口までカーナビを入れたら、330km。途中何ヵ所か寄り、栗駒山への入口となる、一関市の「道の駅厳美渓」まで走った。すぐ近くのかんぽの宿の温泉に入り、ブログを打った。
⭕那須トラピスト修道院
国道4号を走っていたら、看板が目についたので寄ってみた。湯の川や当別のような厳格な建物を期待したが、そうでもなかった。
1954年に兵庫県西宮の聖母修道院(女子)から創立されたようだ。日本におけるトラピストは、すでに1896年北海道の当別に灯台の聖母修道院(男子)が、1898年には函館に天使の聖母修道院(女子)がそれぞれフランスから創立されている。
西宮の聖母修道院は1935年に函館の天使の聖母修道院から創立されているのて、言うなれば、湯の川のトラピスチヌ修道院の孫みたいなもの?
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ここも自給自足の生活をしているようで、水田まであった。「トラピストガレット」というお菓子も製造して販売しているようだ。
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高い車道から建物全体を見下ろす。
⭕白河の関
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鼠ヶ関(ねずがせき)・勿来関(なこそのせき)とともに、奈良時代から平安時代にかけて機能していた奥州三古関の一つに数えられる関所である。都から陸奥国に通じる東山道の要衝に設けられた関門として史上名高い。
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関所の建物はなく、白河神社が祀られている。
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土塁や空堀などの遺構は昔のまま残っている。
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芭蕉と曽良の銅像が建っている。白河は奥州街道の終点て、奥の細道のみちのくの入口でもあったようだが、その頃はすでに関所はなかったようだ。
⭕小峰城址(白河)
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東北では石垣が多い城として有名らしい。ここも、戊辰戦争で戦場になり、旧幕府軍が破れて、城は焼失しているが、三重櫓だけは復元されている。
⭕白河だるま
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今から約300年前、時の白河城主、松平定信楽翁公が、城下の繁栄をはかつて「だるま」の技術を習得させ、旧正月14日を縁日として、大手門前に「だるま市」を張らせたのが始まりと言い伝えられている。
⭕二本松城址(二本松市)
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日本100名城に選ばれている。ここも戊辰戦争で焼失しているが、「霞ヶ城公園」として整備され、箕輪門と附櫓だけは再建されている。
前に立つ群像は、会津若松の「白虎隊」と同じように、戊辰戦争で敗れた13歳から17歳までの「二本松少年隊」。
このときに自害した殿様は丹羽氏だった。旧北檜山町丹羽地区を開拓したのは会津藩なので、地名はこの殿様に由来はするのではないだろうか?
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典型的な山城で、本丸があったところまでは20分も登り、汗をたっぷり掻かされた。
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本丸があった頂上から二本松市街地を見下ろす。安達太良山は雲の中だった。
⭕智恵子の生家(二本松市)
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高村光太郎の「智恵子抄」で有名な妻の智恵子の生家。
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裏には智恵子記念館が建てられている。
ここを見終わったら、昼になったので、あとは、どこにも寄らないで走った。しかし、福島市や仙台市を抜けるときには渋滞になり、予想以上に時間が掛かった。
⭕那須トラピスト修道院
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国道4号を走っていたら、看板が目についたので寄ってみた。湯の川や当別のような厳格な建物を期待したが、そうでもなかった。
1954年に兵庫県西宮の聖母修道院(女子)から創立されたようだ。日本におけるトラピストは、すでに1896年北海道の当別に灯台の聖母修道院(男子)が、1898年には函館に天使の聖母修道院(女子)がそれぞれフランスから創立されている。
西宮の聖母修道院は1935年に函館の天使の聖母修道院から創立されているのて、言うなれば、湯の川のトラピスチヌ修道院の孫みたいなもの?
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ここも自給自足の生活をしているようで、水田まであった。「トラピストガレット」というお菓子も製造して販売しているようだ。
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高い車道から建物全体を見下ろす。
⭕白河の関
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鼠ヶ関(ねずがせき)・勿来関(なこそのせき)とともに、奈良時代から平安時代にかけて機能していた奥州三古関の一つに数えられる関所である。都から陸奥国に通じる東山道の要衝に設けられた関門として史上名高い。
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関所の建物はなく、白河神社が祀られている。
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土塁や空堀などの遺構は昔のまま残っている。
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芭蕉と曽良の銅像が建っている。白河は奥州街道の終点て、奥の細道のみちのくの入口でもあったようだが、その頃はすでに関所はなかったようだ。
⭕小峰城址(白河)
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東北では石垣が多い城として有名らしい。ここも、戊辰戦争で戦場になり、旧幕府軍が破れて、城は焼失しているが、三重櫓だけは復元されている。
⭕白河だるま
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今から約300年前、時の白河城主、松平定信楽翁公が、城下の繁栄をはかつて「だるま」の技術を習得させ、旧正月14日を縁日として、大手門前に「だるま市」を張らせたのが始まりと言い伝えられている。
⭕二本松城址(二本松市)
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日本100名城に選ばれている。ここも戊辰戦争で焼失しているが、「霞ヶ城公園」として整備され、箕輪門と附櫓だけは再建されている。
前に立つ群像は、会津若松の「白虎隊」と同じように、戊辰戦争で敗れた13歳から17歳までの「二本松少年隊」。
このときに自害した殿様は丹羽氏だった。旧北檜山町丹羽地区を開拓したのは会津藩なので、地名はこの殿様に由来はするのではないだろうか?
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典型的な山城で、本丸があったところまでは20分も登り、汗をたっぷり掻かされた。
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本丸があった頂上から二本松市街地を見下ろす。安達太良山は雲の中だった。
⭕智恵子の生家(二本松市)
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高村光太郎の「智恵子抄」で有名な妻の智恵子の生家。
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裏には智恵子記念館が建てられている。
ここを見終わったら、昼になったので、あとは、どこにも寄らないで走った。しかし、福島市や仙台市を抜けるときには渋滞になり、予想以上に時間が掛かった。
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