癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

函館公園 歴史的建造物巡り

2018年08月27日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ

函館公園開園の1879年(明治12年)5月に開館した「開拓使仮博物場」(旧函館博物館1号)

 函館公園内にある市立博物館で開催されている「北の昆布展」を観に行ったら、休館日だった。仕方ないので、公園内をぶらぶらした。いつもは花見や紅葉などのときにしか来ていないので、歴史的なものをじっくり見て歩いたことがなかったので、新鮮な感じだった。中には、初めて目にしたものもあった。

 この函館公園は、1879(明治12)年、市民によって造成された日本で3番目の市民公園である。(明治8年横浜公園、明治9年の神戸公園に次ぐ)「病人に病院が必要なように、健康な人間には休養する場所が必要」と、当時の函館駐在英国領事リチャード・ユースデンが提言したのを受けて、市内の実業家4人が中心となって寄付金を集め、市民も全面的に協力。着工から1年7カ月を経て開園した。日本で最も早い時期に設置された都市公園のひとつで、国登録文化財の登録記念物(名勝地)に指定されている。

 築山(すりばち山)を造成する際には函館支庁の官吏が休日に土運びの勤労奉仕したのをはじめ、各町内からも競って奉仕活動に繰り出し、各寺院は檀家を動員、消防組や芸娼妓達も参加したという。このような活発な住民参加によって造成されたことが函館公園の特色であり、日本国内でも類まれなことである


1884年(明治17年)に開館した「函館県博物館」(旧函館博物館2号)。手前の赤松も見事。


「上水道開設記念噴水塔」

 1889年(明治22年)に市の上水道が完成した記念として、総工費の半分に相当する水道鉄管を納めた英国のイリス商会がお祝いに贈ってくれたもの。現在のものはレプリカで、本物は水道局で保管しているとのこと。2基贈られ、もう1基は北海池に据えられたが壊れてしまった。


明治末期ごろの「鶴亀の水飲み場」。石は七飯町大川産のものが使用されている。


「国内最古の観覧車」

 1950年(昭和25年)に七飯村(現在の七飯町)の大沼湖畔に設置され、1965年(昭和40年)に現在地へ移設。


「こどものくに」

 1956(昭和31)年5月開園のレトロな遊園地。函館公園全体が国指定文化財、登録記念物として登録され、唯一の「文化財である遊園地」という歴史を持つ。


「白川橋」~北海道で最初の洋式石橋と言われている。

 浅田清次郎が実費でつくり寄付したもので、明治14年、明治天皇が函館に2度目の巡幸された際の侍従、北白川宮能久親王が馬車でこの橋を渡られ、自ら「白川橋」と名付けたといわれている。


博物館の横にある初めて目にした「虫塚」

 五稜郭にあった博物館分館から移設されたもので、昆虫クラブの標本作りで処分された虫を供養するお墓だったそうだ。蓋はダイコクコガネのオブジェとのこと。


これも初めて目にした博物館裏の「レンガ積みマンホール」

 明治43年から昭和57年まで72年間にわたり利用された、電話の地下ケーブルを収容する設備。明治43年に船場町に郵便局を新築する際に、電話線の地下ケーブルが必要となり、豊川町から弁天町にかけて設置された14個の内の1個。
 窓から内部を覗いてみると、レンガ積みということが判る。外側は倒壊防止のため、固めたらしい。


「ハーバー遭難記念碑」

 明治7年、ドイツの函館駐在代理領事ハーバーが、この向かい側でわざわざ外国人のいる函館へやってきた排外思想の旧秋田藩士に斬殺された。大きな外交問題に発展しそうになったが、国の対応が素早く適切だったので、ことなきを得たとのこと。


「石造り滑り台の跡」~これは、子どもの頃滑った記憶がある。


「箱館通寶銭座跡」の碑

 安政3年(1856年)幕府はえぞ地(北海道)に限り通用として銭の鋳造を認め、当地尻澤辺村字谷地頭といわれた、この地に北海道唯一の銭座を建てた。銭文は箱館通寶、円孔の鉄の銭であった。 安政4年(1857年)4月より同5年11月までの鋳造高は、10万650貫文という。


「北海池」~北海道の形をした池。中央には青銅の龍が設置されている。

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