忘れられる過去(荒川洋治 みすず書房)
かなり昔、日経新聞の日曜日の文化面に著者のエッセイが掲載されていてとても面白かったおぼえがあり、図書館でこの本をみかけて読んでみた。書評を中心としたエッセイ集。
著者は詩人として知られていると思うが、本書によると、むしろ詩集の編纂や出版・流通が一番の好みのようらしい。
昔はターミナル駅などで「私の詩集」を売っている人がいたが、今ではみかけないし、詩集が置いてある本屋をさがすことも難しくなった。短歌や俳句は今でも隆盛だが、ちょっと長めの韻文は衰えてきているような気がする。
本書で紹介されるような、ちょっと昔の日本文学(高見順、田宮虎彦、梅崎春生、武田泰淳、小島信夫、等々)も忘れ去られつつあるだ。
これだけ娯楽が多様化・低廉化すると、こむずかしい文章を我慢して読もうという人も少なくなっているのだろう。
でも、私は、そういう消滅しかかっている文学を時間を忘れて読みふけっている人、にあこがれを感じてしまう。それは私が老人になりつつあることの証左なのだろうか。
本書を読んで特に読んでみたくなったのは色川武大の「百」で、早速文庫本を探したが、かなり大きな書店でも置いてなかった。「麻雀放浪記」は全刊あるんだけどね。
かなり昔、日経新聞の日曜日の文化面に著者のエッセイが掲載されていてとても面白かったおぼえがあり、図書館でこの本をみかけて読んでみた。書評を中心としたエッセイ集。
著者は詩人として知られていると思うが、本書によると、むしろ詩集の編纂や出版・流通が一番の好みのようらしい。
昔はターミナル駅などで「私の詩集」を売っている人がいたが、今ではみかけないし、詩集が置いてある本屋をさがすことも難しくなった。短歌や俳句は今でも隆盛だが、ちょっと長めの韻文は衰えてきているような気がする。
本書で紹介されるような、ちょっと昔の日本文学(高見順、田宮虎彦、梅崎春生、武田泰淳、小島信夫、等々)も忘れ去られつつあるだ。
これだけ娯楽が多様化・低廉化すると、こむずかしい文章を我慢して読もうという人も少なくなっているのだろう。
でも、私は、そういう消滅しかかっている文学を時間を忘れて読みふけっている人、にあこがれを感じてしまう。それは私が老人になりつつあることの証左なのだろうか。
本書を読んで特に読んでみたくなったのは色川武大の「百」で、早速文庫本を探したが、かなり大きな書店でも置いてなかった。「麻雀放浪記」は全刊あるんだけどね。
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