40年経ってもロシアはソ連

2008年08月21日 | 世相雑感
                 (国府駅に停車の、ピカピカ新型車両)

久しぶりです、車窓の風がひんやりと涼しい、秋の気配をちょっぴり肌に感じる一日でした。

もうすぐ北京五輪も終了です。平和の祭典を謳って世界の牛耳を集めている間に、歴史は繰り返すを実感する憂鬱なニュースです。
黒海を望むワインの国といえば、ハンサムな力士「黒海」の故郷「グルジア」です。
そのグルジアに、ロシアの軍隊が侵攻したというニュース、それも北京五輪の開会式当日というタイミングです。
大国が小国に軍事侵攻する理由は、洋の東西を問わず、昔も今も同じこと、
勝手にロシア査証を南オセチアに与え、その偽居留民保護が名目と言う白々しさです。

グルジアは、北海道の8万平方キロより狭い7万平方キロ、470万人というとても小さな国です。
東欧も北欧も、ヨーロッパ全土に云えることですが、ものすごく多くの民族の集合体の宿命、
そのため、民族間の軋轢に大国が介入すると云う歴史が繰り返されています。
そのほとんどが悲劇の歴史です。
グルジアからの分離独立を求めている、ロシアに接する「南オセチア自治州」を支援すると言う名目で、ロシアの軍事介入です。
各国の非難でやっと、「22日に撤兵完了」とロシアのメドベージェフ大統領は、サルコジ仏大統領に電話で表明、
そう云いながら、グルジア中心部を射程のSS21ミサイルを、南オセチアに配備するずるさです。
兵庫県から名古屋を狙うようなもの、もう無茶苦茶です。
「南オセチア」といっても、我が兵庫県の半分の面積に7万人の人口、大国は小国のスキを狙って、自国の勢力拡大に血眼になるものです。

40年前の昭和43年4月、「プラハの春」と云われる、ドプチェク第一書記率いるチェコスロバキアの、
「人間の顔をした社会主義」をスローガンの民主化を、6300台の戦車と30万の軍隊で押しつぶしたチェコの悲劇、それもロシアの前身、ソ連の仕業です。
その日が8月20日、ちょうど40年前です。
40年経っても、ロシアはやっぱりソ連時代と全く一緒、大国のエゴってどうしようもありませんね。

それに比べ、多民族国家でなく、周りを海で守られている日本、本当に恵まれています。
せめていつまでも、心はひとつ、世界に胸張る「単一民族」でありたいものですね。