(現存する青谿書院の建物)
豊岡市の隣町、養父市の市長選挙が行われています。
新聞記事の中、立候補者の一人が、「尊敬する人物は郷土の偉人・国学者の池田草庵だ」と発言しています。
本日、養父市八鹿町宿南のKさん宅を訪ねた帰り、近くの青谿書院(せいけいしょいん)に寄りました。
青谿書院は池田草庵35歳のとき、故郷八鹿村に乞われて開いた私塾です。
弘化4年(1847年)に開塾ですから今から161年前、幕末から開国がせまる時代といえます。
池田草庵の家系を継ぐ池田さんの家も、当店創業の頃取引があり、その頃住まいだった当時の青谿書院にもお伺いしたことがあります。
池田草庵は、京で学んだ極めて聡明な儒学者(中国の古典を研究する人)で、但馬聖人とも崇められた偉大な学者です。
青山川の渓流のそばに立つところから名付けられた青谿書院には、草庵の名声をたよりに全国から700名を越す塾生が身を寄せ、寝食をともにして学んだと記されています。
第2代東大総長・浜尾新(はまおあらた)「豊岡藩出身、ちなみに初代総長は出石藩出身の加藤弘之で、明治の官界学界は但馬出身者が要職を占めていたようです」をはじめ、そうそうたる人物をこの塾から輩出しています。
草庵の講義を塾生が漢文で書き取った書物に、「肄業餘稿(いぎょうよこう)」があります。
その中に、『綱常倫理、國之元気』と云う項があり、そこに次のように書き記されています。
「綱常倫理は、國の元気なり。元気盛んなれば則ち支體に傷害ありといえども、身は未だ死するに至らず。倫理明らかなれば則ち邊境に虞れありといえども、國は お保つべし。」です。
要約しますと、「人の生き方やあり方(綱常倫理)が、国のあり方の根本をなしています。そのため、その根本がしっかりしておれば、体に少々の傷があったり辺境(地方)で問題があっても、国はしっかり存続する」と、説かれています。
今の日本を取り巻く状況は、ほんとに多事多難です。
でも、草庵は説いてます。
人の生き方やあり方(綱常倫理)がしっかりしておれば国は滅びない、存続すると。
ただし、綱常倫理が崩れるとそれは危ういと云うことですね。
豊岡市の隣町、養父市の市長選挙が行われています。
新聞記事の中、立候補者の一人が、「尊敬する人物は郷土の偉人・国学者の池田草庵だ」と発言しています。
本日、養父市八鹿町宿南のKさん宅を訪ねた帰り、近くの青谿書院(せいけいしょいん)に寄りました。
青谿書院は池田草庵35歳のとき、故郷八鹿村に乞われて開いた私塾です。
弘化4年(1847年)に開塾ですから今から161年前、幕末から開国がせまる時代といえます。
池田草庵の家系を継ぐ池田さんの家も、当店創業の頃取引があり、その頃住まいだった当時の青谿書院にもお伺いしたことがあります。
池田草庵は、京で学んだ極めて聡明な儒学者(中国の古典を研究する人)で、但馬聖人とも崇められた偉大な学者です。
青山川の渓流のそばに立つところから名付けられた青谿書院には、草庵の名声をたよりに全国から700名を越す塾生が身を寄せ、寝食をともにして学んだと記されています。
第2代東大総長・浜尾新(はまおあらた)「豊岡藩出身、ちなみに初代総長は出石藩出身の加藤弘之で、明治の官界学界は但馬出身者が要職を占めていたようです」をはじめ、そうそうたる人物をこの塾から輩出しています。
草庵の講義を塾生が漢文で書き取った書物に、「肄業餘稿(いぎょうよこう)」があります。
その中に、『綱常倫理、國之元気』と云う項があり、そこに次のように書き記されています。
「綱常倫理は、國の元気なり。元気盛んなれば則ち支體に傷害ありといえども、身は未だ死するに至らず。倫理明らかなれば則ち邊境に虞れありといえども、國は お保つべし。」です。
要約しますと、「人の生き方やあり方(綱常倫理)が、国のあり方の根本をなしています。そのため、その根本がしっかりしておれば、体に少々の傷があったり辺境(地方)で問題があっても、国はしっかり存続する」と、説かれています。
今の日本を取り巻く状況は、ほんとに多事多難です。
でも、草庵は説いてます。
人の生き方やあり方(綱常倫理)がしっかりしておれば国は滅びない、存続すると。
ただし、綱常倫理が崩れるとそれは危ういと云うことですね。