3月末、カニのシーズンぎりぎりラストで城崎温泉へ行ってきました。
城崎行く途中で寄るといえば、出石そばランチ。

先月の鹿児島で昼ごはん食べ過ぎて、夕食のご馳走が食べきれなかった後悔から、
お蕎麦は6皿だけにしときました。
その後、余部鉄橋「空の駅」へ。
あ、橋の上を列車が走ってる!


余部橋梁の下にある、日本海に繋がる川にアオサギさん。

現在使われている余部橋梁の隣に、かつて使われていた余部鉄橋の一部と土台が残されてます。

残されたかつての鉄橋部分が、余部鉄橋「空の駅」になってるんです。

早速登って行きましたが、坂道が結構キツくて汗だくに・・・


途中、ジョウビタキのオスがいました。

到着。これがかつての余部鉄橋。その上に敷かれた線路。
隣は今も普通に汽車が到着する現役餘部駅。

かつての線路上を歩いて行くと、途中から整備された遊歩道に切り替わるけど、
枕木や敷石はなくっても、線路はそのまま遊歩道上にも残されています。


途中、真下を覗ける窓も・・・
写真では下の景色まで写ってないから伝わらへんけど、高さがあるのでかなり怖い。

眺望抜群。列車の中から見るときっと一瞬なんやろうけど、最高やろな・・・

余部鉄橋は一部しか残されてないので、ここから先はありません。
このまま空へ走り出せそう。銀河鉄道みたい。

餘部駅のホーム。

餘部駅ホーム端から見た現役の線路。向かって左側がかつての鉄橋で現「空の駅」。

反対側のホームの端っこから。

余部鉄橋と餘部駅の開設が地元の方々にとって、いかに切望されていたかよくわかる。


余部橋梁の下には、1986年に起きた余部鉄橋からの列車転落事故の慰霊の観音様が。
悲惨な事故は被害に遭われた方はもちろん、
この鉄橋に長く親しみを抱いてきた地元の方々にも衝撃と深い悲しみをもたらしたことでしょう・・・
私も手を合わせさせていただきました。

また橋の上を列車が!
上り下りで各1時間に1本、時間帯によっては2時間に1本しか来ない列車ですが、
1時間ちょっとの滞在中、
上り下り合わせて餘部駅13時31分、59分、14時34分発の3本も列車見れてラッキーでした。
城崎行く途中で寄るといえば、出石そばランチ。

先月の鹿児島で昼ごはん食べ過ぎて、夕食のご馳走が食べきれなかった後悔から、
お蕎麦は6皿だけにしときました。
その後、余部鉄橋「空の駅」へ。
あ、橋の上を列車が走ってる!


余部橋梁の下にある、日本海に繋がる川にアオサギさん。

現在使われている余部橋梁の隣に、かつて使われていた余部鉄橋の一部と土台が残されてます。

残されたかつての鉄橋部分が、余部鉄橋「空の駅」になってるんです。

早速登って行きましたが、坂道が結構キツくて汗だくに・・・


途中、ジョウビタキのオスがいました。

到着。これがかつての余部鉄橋。その上に敷かれた線路。
隣は今も普通に汽車が到着する現役餘部駅。

かつての線路上を歩いて行くと、途中から整備された遊歩道に切り替わるけど、
枕木や敷石はなくっても、線路はそのまま遊歩道上にも残されています。


途中、真下を覗ける窓も・・・
写真では下の景色まで写ってないから伝わらへんけど、高さがあるのでかなり怖い。

眺望抜群。列車の中から見るときっと一瞬なんやろうけど、最高やろな・・・

余部鉄橋は一部しか残されてないので、ここから先はありません。
このまま空へ走り出せそう。銀河鉄道みたい。

餘部駅のホーム。

餘部駅ホーム端から見た現役の線路。向かって左側がかつての鉄橋で現「空の駅」。

反対側のホームの端っこから。

余部鉄橋と餘部駅の開設が地元の方々にとって、いかに切望されていたかよくわかる。


余部橋梁の下には、1986年に起きた余部鉄橋からの列車転落事故の慰霊の観音様が。
悲惨な事故は被害に遭われた方はもちろん、
この鉄橋に長く親しみを抱いてきた地元の方々にも衝撃と深い悲しみをもたらしたことでしょう・・・
私も手を合わせさせていただきました。

また橋の上を列車が!
上り下りで各1時間に1本、時間帯によっては2時間に1本しか来ない列車ですが、
1時間ちょっとの滞在中、
上り下り合わせて餘部駅13時31分、59分、14時34分発の3本も列車見れてラッキーでした。
