11月21日に
伝馬船に乗りました恵比寿様と大黒様です。
日本画家 南 正文(まさのり)先生とは:
昭和26年(1951年)9月大阪府堺市で生まれました。
小学校3年生の春休みに製材業を営む父の仕事を手伝って
機械のベルトに巻き込まれて両腕を失いました。
その後2年遅れて、養護学校へ4年生から編入。
そこで、口・足・肩を使って勉強と生活訓練に励みました。
その後、南先生と同じよう両腕を失いながらも立派に僧侶になられ
多くの人々を救った大石順教尼の元を訪ねて、
口で絵を描くことと生き方を学びました。
その後公募展で入賞・受賞を繰り返し、
個展を中心に活躍されています日本画家です。
四季の花 散華から
☆他のものに やさしく・・・春・花ショウブ
☆出来ないと しないとはちがう・・・春・笹ゆり
☆ありがとう すみません ご苦労さま・・・夏・アサガオ
☆我以外 皆師匠なり・・・夏・ハス
☆喜びの種を蒔こう・・・秋コスモス
☆人の見ていない所に心遣いを・・・秋・キキョウ
☆形ある財産より 心の財産を・・・冬・南天
☆人の出来ない生き方を・・・冬・椿
南先生は
こうした言葉と共に、
自分のハンディを克服されてきました。
私達も
もう一度かみしめたい言葉でした。
恵比寿講のうた・・・山名隆弘先生
その中のアクアマリン安部義孝館長先生が
「みんなで祝おう恵比寿講」の祝辞で話された言葉から書かれたうた。
シーラカンスを訪ねる仕事での
インドネシア・ピアク島の入江の光景です。
安部先生は、
今回ようかん・線香などを持参され慰霊されたそうです。
シーラカンスまたの名はゴンベッサ(インドネシア語で。)
ピアク島、深き海底(うなぞこ)
大き戦(いくさ)の 兵の亡骸(なきがら)
武器の残骸。
弔(とむら)うごとく
シーラカンスは棲(す)む。
よみがえれ、生きた化石。
億萬年の命を守れ。
戦(たたか)いに傷つきし人々を。
こうしたことがまだまだあります。
それを踏まえ
今があることを私たちは考えるべきです。
恵比寿講のうた・・・山名先生
伝馬よ この川口をのぼれ
うなぎのようにのぼれ
海友丸の思いを乗せて
伝馬船を漕げよ
浜の男のくろがねの腕(かいな)が
舟霊(ふなだま)の女(をみな)の黒き髪も
めざせ赤井嶽を
ピチピチと跳(は)ねよ
こどもたちよ
えびすさまになれ
鯛を釣って遊べよ
だいこくさまになれ
人の苦労を背負う男になれよ
こうしてえびすこうはよみがえりました。
よみがえったからには、
らいねんもいきなければいけないでしょう!!