あきば
とまりぎ
電気街として知られる秋葉原へ行く。最近ではAKBが有名になって、アキバで十分に通じる。
人形町でお菓子の店を出していたおばさんが、秋葉原(あきはばら)のことを「あきばはら」略して「あきば」と言っていたことを思い出した。
あるいは秋葉神社の「秋葉」を呼んでいたのかもしれない。
新御徒町の佐竹商店街近くにも秋葉神社はある。
東側の昭和通り口は古くは電気街ではなかったのだが、西側がいっぱいになってこちら側へも進出してきている。
改札口のすぐ脇に入口のあるヨドバシカメラの存在は大きい。
ヨドバシカメラの前を抜けると道路があって、向い側には「つくばエクスプレス」の地下駅への入口が見える。
JR中央改札口の前を通り抜ける。
西口へ行くには東西自由通路を通る。これが意外に長く狭いので、混んでいる。
電気街口の改札の先には、並んでアトレがある。
秋葉原デパートだったところだ。
アトレの先に部品市場の看板があって、このあたりの通路には部品屋さんがあったのだが。
特に、真空管をいつまでも並べていた店があったのだが、なくなってしまった。
この一角を抜けて大通りを渡ると、ラジオデパートが見える。
そうか、60年にもなるのか。逆算すると戦後色の強い昭和26年だ。
このラジオデパートの中に、ようやく真空管を見つけた。
まだ残ってくれていたんだ。
真空管が残っていたことで思い出したのが、この近くで取扱商品に真空管も入っていた反面教師の先生が勤務していたことだ。
時々思い出すことはあったのだが、「とまりぎ」の伊豆旅行のときに酒豪氏から亡くなられたことを聞いた。
特別に話をしようと思っていたわけではなかったが、記憶の断片から抜けるような感覚だ。