とまりぎ
とまりぎ
とまりぎ
とまりぎ
特徴のある絵画だから、誰の作だか一目でわかるだろう。
メキシコで描いた。木場の東京都現代美術館で展示していたが、渋谷の井の頭線とJR山手線の間に壁画として定住した。
乗り換え客が通るすぐ上にある。
岡本太郎の作品「明日の神話」だ。
車検に行く
とまりぎ
最近の不況は、特に製造業を直撃している観あり、自動車屋さんにも元気になってもらいたいものだ。
店内風景。
景気全般はデフレ傾向のようだが、デフレスパイラルに入ると抜け出すのに苦労することになる。政権交代で新しい体制になったが、早い行動が望まれる。
王陽明の「知行合一」を肝に銘じて。
とまりぎ
南こうせつとかぐや姫の「神田川」は喜多条忠作詞とのことだが、風呂屋が近くにあって、三畳一間だから高田馬場に近いあたりのことだろう。
前回は井の頭から途中までだったので、さらに下流域へ行こう。
環七のすぐ近くには「神田川・環状七号線地下調節池」と書いてあって、ここから入った水は環七の地下にある巨大な貯水施設へ溜る。
方南町の通りを越えたところに地下鉄丸の内線の車両基地があり、川の向こう側に見覚えの車両が見える。
神田川と善福寺川の合流地点。(手前が善福寺川)
雰囲気からして、歌の神田川はもう少し下流になりそうだ。
パシフィコ横浜
とまりぎ
展示会場として、横浜みなとみらいのパシフィコ横浜が時には使われることがある。
お台場のビッグサイトより遠く、幕張メッセより近い。むかしは池袋のサンシャインも会場として使っていたが、あまり広くないからか最近の案内にはない。
こう不景気が続くと、各社の宣伝広告費が削減されて出展社が減り、ブースのコマ数が減ってきている。展示会の主催者側も参加企業集めがたいへんだ。
東急東横線が横浜から元町・中華街駅まで地下鉄みなとみらい線乗り入れになっているので、みなとみらい駅で降りる。
会場一階の外の風景
桜木町にはJR根岸線と横浜市営地下鉄の駅があるから、会場から桜木町駅へ行く人も多い。たしかに便利になった。
横浜には船のドックがあったのを残している。
帆船の日本丸がすぐそばにある
JRの桜木町駅
地下鉄を越えて先へ行くと、野毛の商店街が続き、京浜急行線の日ノ出町駅がある。
横浜の地形は海の近くまで丘がせり出しているので、そう高くはないのだが見通すことができない。
地理に詳しくないと案外近いところなのにバスがどこを通っているかよくわからないので、電車で遠回りするようなことにもなる。
神奈川県に住む人たちには、横浜パシフィコは便利な会場だ。
とまりぎ
哲学堂公園から妙正寺川をさかのぼる。
西武新宿線を北から南へ。
工事現場を覗かせてもらう。川底を深く掘っているとのこと。この川は時にあふれることがあったから。
川沿いの道はジョギングやウォーキングの人が行き来する。鷺ノ宮駅を過ぎると、川幅はだんだん狭くなって、流れも細くなってきた。
葉の落ちた枝垂桜の向うに杉並区科学館が見える。
妙正寺川出発地点の妙正寺池。
妙正寺川の名前の由来になった、妙正寺。桜が咲いているのが見える。
妙正寺について書いてある
山門の外側の塀。JR荻窪駅の真北にある。
下流では高田馬場の近くで神田川と合流する。落合という地名があるが、昔の合流地点であったようだ。
23区内の代表的な川は、北から石神井川が単独に、妙正寺川、善福寺川、神田川が一緒になって隅田川へ入る。
仙川、野川は多摩川へ入る。矢沢川は等々力渓谷となって、多摩川へ。呑川は蒲田あたりで東京湾へ。
間に渋谷川があり、芝公園から浜松町近くで東京湾へ、北沢川、蛇崩川は目黒川となって品川の南で東京湾へ注ぐ。
大都会のオアシスとなるべく、少しづつ水質は良くはなってきているが、国木田独歩が「武蔵野」で書いている時代にもどるにはまだまだ時間が必要なのだろう。
とまりぎ
東急池上線の洗足池駅から通りを越えたところに洗足池がある。また来た。
海からは離れているのだが、カモメがいる。
秋というより冬の色が濃くなりつつある。
池の縁に建つ図書館のそばには孟宗竹が。
かなり立派な竹だ。
勝海舟がこの地を気に入っていたようだ。
洗足池の水は、昔は農業用水として使われたようだが、洗足池駅の先で姿を現し、呑川へ注ぐ。
東京湾観音 とまりぎ
岩井ではなにかと伏姫の名前が出てきたが、東京湾を通る船からよく見える大きな観音がある。
岩井へ行く途中の電車内からも大きな観音がチラッチラッと見えたから、こんなところにこんなに大きなと、話題にはなった。
いつも方向が、中央線で山梨方面へ出かけていたものだから、皆始めてのことだったようだ。
内房線に乗る人は、大きいから良く知っているのだろう。
館山道は房総半島の中の方を通っているから車中でみることはない。
完成したのが昭和36年のことだったようだ。
富山(とみさん)の頂上からも晴れていれば顔ぐらいは見えるはずだったのだが、残念なことに雲がたれこめていた。
とまりぎ
宿でもらった地図と、駅でもらった地図を見ながらはじめての山へ登る。道沿いには水仙の花が咲いていて、時折菜の花が咲いていたりする。
これは彼岸花の葉だというので見ると水仙に良く似ているが、ちょっと短く色が濃い。田圃には刈入れの終った株から稲が伸びて実がついている。
まだ柿の実が生っていたり、瞬間季節を間違えそうだ。
登山口の標識に従い、上ると福満寺があり門のところに真言宗智山派とある。
宿の女将が「布袋竹の杖が置いてあるからそれを持っていくと良い」と言ってた杖がたくさんある。
ちょっとの登りかと思ったら、案外急坂だ。女将が「きつい」と言っていたが、どうも本当のようだ。
まだ三合目か
急なところは階段を整備していて、登りやすいようだが無い方がいいところもある。雅子様が登られたとのことで、総出で整備したのだろう。
岩井海岸が見える
大きなふたつの船の向うには城ヶ島
予想外に時間がかかって、ちょうど昼頃頂上に着いて、階段で上がり展望台から見る。昨日の岩井海岸方面がなんとか見える。
晴れていれば富士山も見えるようだが、曇りで視界はあまりよくない。案内板にある東京湾観音も見えない。
風もあるのでちょっと寒い。
宿で作ってくれたにぎりめしを喰う。
山頂には皇太子と雅子様が登った碑があった。
碑の裏側には1999年(平成11年)2月とあった。浜茄子などを植樹されたとも別の看板に書かれていた。
寒いので、早めの下山は別のルートで行く。急坂で階段が造られているのがかえって歩きづらい。段差のあるところでは膝を痛めそうだ。
長く長く続く階段がなくなって歩きやすくなってしばらくしたら、伏姫籠穴に着いた。
降りは登りよりもさらに急傾斜だったので、時間短縮にはなった。
ずいぶん立派なものを造ったものだ。まるで御殿の入口かと錯覚するほどだ。
穴を掘った記録はないようで、昔からあったらしい。
富山(とみさん)は関東100名山のひとつで、千葉県にはもうひとつあるとのことだ。
籠穴の中には八犬伝の八つの玉が
案内の地図をもらっているので、そのコースに従い館山道の下を通って富楽里とみやまへ行き、みやげを買うことにする。
中華の駅前武平館(二度お世話にナリマシタ)
駅まではそう遠くないが、駅に着いてみると電車の発車時間が迫っていて、乗車を断念し昨日の中華屋へまた入り、ビールと紹興酒で野菜炒め、かたやきそば、チャーハン。
暗くなった、2本あとの電車5:16に乗る。
”とまりぎ”では昔は山へ登ることが多かったのだが、温泉へ方向を変えてからは久しぶりの登山だった。
宿(伏姫荘)にて
とまりぎ
”とまりぎ”の旅は中央線で山梨へ行くことが多いのだが、初めての千葉の宿には期待感があった。
看板に硫黄泉とある、 硫黄のにおいのする温泉へ入る。5人入るとちょうどいっぱいだ。
食事時間になって”ろばたやき”の部屋へ案内される。
食材が一人分づつ皿にのっていて、囲炉裏には炭が真っ赤になっている。 早速ビールを頼んで、焼きにかかる。
ビールだけでいいですか、というので焼酎を頼むと芋焼酎のもらい物があるのでそれでよければサービスだという。ありがたい。
食材がさらに一皿サービスされて、それも食べ終わって、秋刀魚とにぎりめしを焼く。
食後にあまい”ふせひめみかん”を食べて腹いっぱい。
翌朝、窓から外を見ると岩婦湖の水が少ない。農業用水として使うらしい。鴨がおよいでいる。
ひとりは海まで小一時間のジョギングで往復してきたと言うので全員唖然。三人はラジオ体操をやっていた。
それでは、硫黄の温泉へひとりで入ろう。
泉質分析表が見当たらないので、どんな成分がどのくらいかわからないが。
宿で外で飼っている猫が窓の外から鳴く。
山頂で食べるにぎりめしを各自受け取って、計画では鋸山へ登るはずだったが、宿の女将さんの話を聞いて、富山(とみさん)へ行くことに変更して9:30に出発した。
海から山へ
とまりぎ
岩井海岸で陽が西に傾いてきたので、宿へ向うことにした。 途中の寺に入ると、境内には六地蔵がある。 暖かいところなので、アロエが花をつけ大きい。
枇杷が花をつけている。実が生るのは来年暖かくなってからだ。
そういえば、枇杷の産地でもあった。
千年以上ここにあるとの大蘇鉄(そてつ)
岩井海岸
とまりぎ
遠いむかし、夏の海へ来たことがあった。なぜかそのときは、竹芝桟橋から館山へ東海汽船に乗って、バスで岩井まで来た。
木造の建物は古く、畳の部屋の奥の押入れを開けた途端に、中から大きなガガンボ集団がふわりと飛び出してきたのにはびっくり。
真っ黒に日焼けした小学校5年生30人の3泊4日だった。 駅前に里見八犬伝の伏姫像
その海へ一度来てみたいと思いつつ、寄る機会がなかったのだが、“とまりぎ”会で松っあんが来られなくて、5人の旅。飲みながらの電車を岩井駅で降り、昼食に中華の店へ入った。
店の人に渋谷区の宿泊施設はまだあるのか聞いたところ、店からそう遠くないところにあるというので、もらった地図を頼りに歩いた。 もう冬を目前にした季節のことで、入口は閉じられていたが、あった。いつ建て替えたのか立派な白いコンクリートになっていた。
東京湾内だから、波は穏やかだ。
湾になっていて、右側には見覚えのある山の形をした半島が突き出ていて、向い側にはぼんやりと三浦半島の先の辺りが見える。ここだ、やっと来たぞと思った。
三浦半島の先には城ヶ島が見える。
ラブリコ・シャンソン愛好会
とまりぎ
新橋駅前のSL前に集まったのは、6人だった。
ワイン&創作料理の”ラブリコ”という店が地下鉄永田町駅の近くにあって、この店から誕生した愛好会が「ラブリコ・シャンソン愛好会設立20周年記念」を内幸町ホールで開催するというので、集まった。
開場になったころふたりが後から来て、入口でプログラムをもらった。
開園時間になると満席になり、舞台では次々にシャンソンを唄ってくれる。
第1部
あの日あの時、黒い瞳ナタリー、君を愛す、フルフル、再会、ある日恋の終わりが、群衆、ろくでなし、ブルージーンと皮ジャンパー、アデュー、タラッサ/海、アムステルダム、ホテル・ノルマンディ、人生は過ぎて行く
(休憩)
第2部
メケ・メケ、青色のパジャマ、難船、二つのギター、新カルメン、半ダースのバラ、ミロール、パリはシャンソン、私のパリ祭、私の心はヴァイオリン、もしも貴方に逢えずにいたら、リヨン駅、枯葉、私は後悔していない、母にバラを
ラブリコは砂防会館本館の地下一階にある。電話03-3230-8580