今夜も本をまくらに。

山歩きが好き、落語が好き、おいしい物が好き、中島みゆきが好き、
でもやっぱり活字がなければ生きていけない私。

雪に生きる

2024年10月31日 | 「本」のひきだし

ブクログより


猪谷六合雄と書いて「いがやくにお」と読む。
私はこんな人は今までに知らない、周りにもいないし、見たことも聞いたこともない。

どんな人かというと、一言でいうなら「スキーに人生をささげた人」とでもいえばいいのか・・・
明治23年に赤城山のふもとで生まれる、家は宿屋をしていて、父は赤城神社の神主をしていた。
大正3年ごろ、山にスキーの2本のシュプールを見つけ、自分もやってみたくなり、木を削って板を作り、トタン板と針金でビンディングを作り見よう見まねでスキー板らしきものをこしらえ滑ってみたのが始まり。
以来生涯を通してスキー第一人生が始まったのだ。

雪のある季節はとにかく滑りまくる、途中からはジャンプに目覚めて、シャンツェ(ジャンプ台)作りから手掛ける。
雪のない季節は、ゲレンデの整備、藪を刈り払い木の株を掘り起こし、整地。
後各地を回って、スキーにより適した場所を探す。
一年中、毎日スキーのことばかりだ。

そして適した場所を見つけると、その場に家を建てて住んでしまう。設計から建築の大半はすべて自分や家族でやってしまう。
地権や移住に関しての細かいこともいろいろあるだろうに、昔のことだからあいまいな部分もあるのか・・・
赤城から千島列島の古丹消、それから赤城に戻り最後は乗鞍へ落ち着く。
すべてスキーをするためである。

家族構成は?と思っていると、途中から奥さんが出てくる、千島時代に2人の男の子が生まれるが引き上げてすぐ、下の子供を肺炎で亡くす。
とまぁ、家族も巻き込んでのスキー行脚である。
良くついていくものだなぁと感心していると、奥さんは二人目で、やはり初めての奥さんはつき合いきれなかったのだろう、書かれてはいないが。

息子さんのあとがきで、小さいころから、スキーを滑らされて、ゲレンデ整備などにも駆り出され、自分には楽しい記憶は少しもない、でもオリンピック選手にまでなれたのは間違いなく父親のおかげだと、最後は感謝しておられた。

私が猪谷さんにたどり着いたのは、冬の靴下の編み方、なのです。猪谷さんが考案された編み方が紹介されていて・・・何でもされる人なのです。
読み終わったので、これから挑戦しようと思います。

私が読んだのは、1980年発行の 岩波少年文庫です。


雪に生きる / 猪谷六合雄

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