できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

大阪市の小学校長から松井市長への「提言」に関して(その1) そもそも大阪市教育行政基本条例に立ち返って検証を

2021-05-30 13:50:16 | 受験・学校

先日から話題になっている久保校長の松井市長への「提言」に関する朝日新聞の次の記事を、あらためて先ほど読み直しました。すると、ある一文にひっかかりました。まだだれも他の研究者たちもひっかかってないようなので、指摘しておきます。

「学校は混乱極めた」 現職校長、実名で大阪市長を批判
https://digital.asahi.com/articles/ASP5N6HGBP5NPTIL00F.html
(2021年5月20日付け朝日新聞デジタル記事、ネット会員限定記事)

この朝日新聞の記事のなかに、次の一文があります。

「自身が大阪府知事だった時代に府教育基本条例を成立させ、教委でなく首長が教育目標を決められる形を作ったことも説明した。」

いま、松井さんは大阪市長であって、府知事ではありません。
政令市としての大阪市の教育行政は、基本的には府の教育行政から別建てのはずです。別自治体の大阪府の条例など「関係ない」としかいいようがないです。
松井市長はどうもまだ気分は「大阪府知事」のようで、「大阪市長」ではない感じですね。
そこからして、何か勘違いしていますね、松井市長。

また、「大阪市教育行政基本条例」第4条では、次のように定められています。
この条例上、市長が勝手に教育振興基本計画を決められるのではなくて、「市教委との協議」「市議会(市会の議決)」が必要です。また、「学識経験者の意見聴取」「市民の意見の反映のための措置」も必要です。
こういう条文、松井市長は読んだのかしら? 公用車でのスパ通いで忙しくされていても、月に数日しか市役所に出勤できないほど多忙であっても、このくらいは読めるでしょう。

※なお、予想される市長や市教委側の反論として、「総合教育会議で(自分たち好みの学識経験者である)特別顧問の意見と、市教委の意見(市長の気に入るような提案をするような話)を聴いた」「(あんまり誰にも気づかれないうちに)パブリックコメントを求めて市民の意見を聴いた(その上で、都合のいい意見だけ振興計画に反映させた)」「市議会(市会)の意見も聴いている(市長支持の維新が多数派ですけど)」があると思います。この点は別途、検証します

(教育振興基本計画の策定手続)
第4条 市長は、教育委員会と協議して、教育振興基本計画の案を作成するものとする。
2 教育振興基本計画は、市会の議決を経て定めなければならない。
3 市長は、第1項の規定による協議が調わなかったときは、教育委員会の意見を付して教育振興基本計画の案を市会に提出しなければならない。
4 教育振興基本計画には、次に掲げる事項を定めるものとする。
(1) 本市における教育の振興のための基本的な目標及び施策の大綱
(2) 前号に掲げるもののほか、本市における教育の振興のための施策を総合的かつ計画的に推進するために必要な事項
5 市長及び教育委員会は、教育振興基本計画の案を作成するに当たっては、その基本的な事項についてあらかじめ学識経験を有する者の意見を聴くとともに、市民の意見を反映するための適切な措置を講ずるものとする。
6 市長は、第2項の議決があったときは、遅滞なく、教育振興基本計画を公表しなければならない。
7 前各項(第4項を除く。)の規定は、教育振興基本計画を変更する場合について準用する。

さらにこの「大阪市教育行政基本条例」第5条では、次のように定められています。
たとえば「オンライン学習」実施にあたって、市民に向けてどのような説明をしたのか。また、その施策がどのような意味で「子どもの最善の利益」に合致すると考えていたのか。その市教委及び市長は、自分たちの責任が問われますね。
それこそ、一度でも緊急事態宣言発出時の「オンライン学習」導入にあたって、市長や市教委は住民向けの説明とかしたのかしら? あと、まだ調べていないのですが、その緊急事態宣言発出時の「オンライン学習実施」は、いまの大阪市の教育振興基本計画に出ていることなのかしら? 「大阪市教育行政基本条例」を読むと、なぞは深まるばかりです。

(開かれた教育行政)
第5条 本市は、市民に対し、本市における教育の振興のための施策について説明する責任を果たし、保護者及び地域住民その他の関係者(以下「保護者等」という。)との連携及び協力を図り、並びに子ども及び保護者の判断及び選択を支援する等により、教育の振興に資するため、子どもの最善の利益に反しない限りにおいて、本市における教育の状況に関する情報を積極的に提供するものとする。
2 本市は、子どもの最善の利益を実現するために、市民の意向を的確に把握し、教育行政に適切に反映させるよう努めなければならない。

あわせて、先ほどの「大阪市教育行政基本条例第5条第2項」を読む限り、「子どもの最善の利益」実現のために、市長や市教委は常に子どもも含めた「市民の意向」を的確に把握し、教育行政に反映させなければなりません。
たとえば「教育振興基本計画」つくるときに、大阪市では子どもを含めた「市民の意向」の把握、それをどこまで今までやってきたのか? それこそ「オンライン学習」を緊急事態宣言発出時に実施するという方針を決める際、そういう手続き踏んだのかしら? この条例の一文がある限り、市長や市教委のあり方が問われます。
また、この一文が大阪市教育行政基本条例あるかぎり、常に大阪市の教育振興基本計画を含め、大阪市教委や市長の実施する教育施策は本当に「子どもの最善の利益」実現に即したものなのかが問われます。

これにくわえて、このたびの新型コロナ禍における各国政府の対応に関して去年4月、「国連・子どもの権利委員会:新型コロナ感染症(COVID-19)に関する声明」がでています。
その「声明」のなかには、次のような内容が含まれています。

・今回のパンデミックが子どもの権利に及ぼす健康面、社会面、情緒面、経済面およびレクリエーション面の影響を考慮すること。
・子どもたちが休息、余暇、レクリエーションおよび文化的・芸術的活動に対する権利を享受できるようにするための、オルタナティブかつ創造的な解決策を模索すること。
・オンライン学習が、すでに存在する不平等を悪化させ、または生徒・教員間の相互交流に置き換わることがないようにすること。
・今回のパンデミックに関する意思決定プロセスにおいて子どもたちの意見が聴かれかつ考慮される機会を提供すること。

このたびの緊急事態宣言下での市長「要請」による「オンライン学習」実施や、それで授業時数が足りなくなって急遽「50時間やれ」という指示を市教委が出すことが、はたしてこの上記の国連子どもの権利委員会の声明や「子どもの最善の利益」に即して適切なのかどうか。「大阪市教育行政基本条例」第4条の趣旨に則って、あらためて市議会は検証すべきだと思います。

と同時に、そういう問題提起だと久保校長の「提言」を受け止めた場合、責任を問われるべきは本来、松井市長と市教委上層部、さらには総合教育会議に関わってオンライン学習導入を提案した特別顧問らの側であって、久保校長ではありません。

したがって、維新の市議で久保校長の「処分」の件を大阪市会の方でちらつかせた人がいますが、その人の見識も疑われてしかるべきです。そもそもその市議も、「大阪市教育行政基本条例を読んだことがあるのか? 自分の都合のいいところしか読んでないのではないか?」と、私などは見識を疑います。

<追記>この件は今後も先ほどの「検証」等の作業が進み次第、折にふれてブログやフェイスブック等で情報発信を行います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神戸の学校で「管理職のなり手がいない」という記事に関して(みんなであれこれ言いすぎて「なり手を減らしてしまった」という視点が必要)

2020-09-12 20:45:24 | 受験・学校

今度は下記の「教育新聞」の購読者限定配信記事へのコメントですが、やはりフェイスブックに昨日書き込んだことに手を加えて、こちらに転載しておきます。神戸の学校で管理職のなり手が減っていて、今後「教頭職への昇任」に際して「筆記試験」をやめることにした・・・という記事へのコメントです。

教頭への昇任で筆記試験廃止 なり手不足解消狙い、神戸(教育新聞2020年9月10日、購読会員限定)

https://www.kyobun.co.jp/news/20200910_06/?fbclid=IwAR1ViIfxozMT5wm9fBS8bohDzWq-wbZioSxMPWYKh5fWV2MucIHvoP0YtbU

<以下、昨日フェイスブックに書きこんだこと=転載にあたって、文面を少し変えています>

ただでさえ校長も教頭や副校長も、仕事大変だし、なり手減ってるのに…。(もっといえば、教職全体の仕事が大変な状況でもあるのに…)

去年の今頃、あれだけ「教員間いじめ」問題で、市長も市教委も政治家(市議を含む)も世論も(マスコミも、SNS上の議論も含む)、よってたかって神戸の学校の管理職いじめまくっていたら、そりゃ「管理職のなり手、おらんようになる」んじゃないですかねぇ。

その結果だと思うんですが、こんな事態を招いているのは。

そろそろ、「みんなでこういう状況をつくってしまった」ことを反省して、教育や学校に対する議論の立て方、課題の解決の仕方を、一から組み直していかないといけないと思うんでしょね。

特に、たとえば何か学校や教委で問題がおこるたびに、「けしからん!」「担当者や責任者やめさせろ、くびにしてまえ!」と言うばかりだった人びとについては、もうそろそろ一線を画して、私は「それが今度は別の問題を生み出しているんやで」「もう少し、今後は議論の仕方を考えたほうがいいで」と考え、今後のおつきあいを「考えさせていただく」ことにしたいと思っています。

<以上で転載終了>


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全国的に実態調査したほうがいいのでは?(「神戸市教委と学校現場間のメールが多い」という記事に関連して)

2020-09-12 20:07:52 | 受験・学校

毎日新聞が流した下記の記事に関して、ツイッターやフェイスブックですでに書いたことに手を加えて、こちらに転載しておきます。

神戸市教委の大量メールが教員を多忙に 調査官3人、内容分析し事務軽減提案へ(毎日新聞2020年9月11日付け配信記事) 

https://mainichi.jp/articles/20200911/k00/00m/040/276000c

要は「この話は全国的に実態調査したほうがいいのでは?」「神戸市教委と学校現場の間だけのことにとどまらない、全国的な傾向なのでは?」「文科省が都道府県教委・政令市教委に送っている問い合わせや調査のメールはどうなるの? あれも中身次第では多々、学校現場に降りてきているはずだと思うけど…」と思ったもので・・・。

あと、電子メールを積極的に活用するような「テレワーク」は「便利」かもしれないが、「働く人を楽にするものではない」ということ。そのことも、この記事からはわかりますね。

<以下、ツイッターやフェイスブックに書いたこと(若干、言葉遣いを修正しています)>

これ、市議会で議員がくだらない質問をしたり、マスコミがなにかの件で記事書いて、それ読んだ市民がなにか怒りに満ちた苦情電話入れたり、市長が思いつきでなにか改革やりたがるたびに、市教委から学校への問い合わせメールが増えてないか。そこも合わせて調べないと意味ないかと。

同様に、文科省からなにかあるたび政令市・都道府県教委に問い合わせや通知送って、現場に周知しておくよう言う。そのたびに神戸市教委から学校現場に流すメール増えてないかも要チェックかと。

そして神戸市長に伝えておきたいのは、視聴が選んだ教育長と教育委員に、総合教育会議を通じていろいろ注文だし続けた結果が、この市教委から学校への大量のメール発信という結果になってる面もあるということ。学校や市教委の対応のあり方を問う前に、ご自身の対応も問う必要があるということ。

そうそう、学校現場に神戸市教委から届く大量のメールの中身等を調査・分析する担当者の力量や観点、そして具体的な改善提案の中身も、今後、いろんな切り口から注意して見ておく必要がありますね。改善提案がかえって仕事増やすとか、業務分析が間違ってることも、しばしば起こりがちですから。

あと、この記事によると、神戸市教委が学校現場に送ったメールの数の調査の対象時期って、例の新型コロナ対応の「臨時休校」の時期でもあったってこと。これ、忘れちゃならないことかと。通常なら校長会や教頭会、担当教員会等々で連絡できたことも対面が無理、メール連絡しか方法取れなかったかもしれませんね。

ちなみに、この「行政どうし、あるいは行政から学校へ大量の電子メールが送られて、みな多忙化してる」問題。たぶん程度の差はあると思うけど、全国各地の市区町村教委と学校現場の間で起きていると思うし、都道府県・政令市教委と文科省の間でも起きていると思います。この件、神戸だけの話で終わったらダメだと思いますね。

もう一つ言っておくと、メール対応等々の「テレワーク」が、必ずしも「実際に働く人を楽にするか、負担軽減・時短を招くか」といえば「そうとは限らんぞ」という問題としても、この「行政どうし、あるいは行政から学校へ大量の電子メールが送られ多忙化してる」問題は捉える必要があると思います。

<以上、転載終了>


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教職員や子どものメンタルヘルスが気になるなら「もっと休ませるべき」なのでは?

2020-07-05 22:02:33 | 受験・学校

下記の内容は、昨日(7月4日)にフェイスブックに書きこんだ内容に手を加えたものです。

知人の小学校教員が見つけてくださった文科省の教職員のメンタルヘルスに関する通知文を読んで、「これ、そんなに教職員の過剰な心身の負担が気になるなら、夏休みを長くするとか、授業時数確保にこだわるなと言うべき」と思ったし、「教職員だけでなく、子どもの心理的な負担も軽くするべきでしょ? そっちの通知はしたの、文科省?」とも思いましたので・・・。

<以下、フェイスブックに書きこんだ内容の転載部分です>

○○さん(知り合いの小学校教員の名前=住友注。伏字にしますね)のところからシェアします。

「新型コロナ対応」にかかわる教職員のメンタルヘルスについて、配慮を求める文科省の文書です。

まずは教組関係者、教委関係者、学校の管理職、そして現職教職員のみなさんに読んでいただきたい文科省の文書ですね。

あわせて、これ、子どもだっていま、めちゃくちゃ疲れている子どもや、心理的にパンパンにはりつめた状態になっている子どもが多くなっているはず。

だから子どものメンタルヘルスについても、教職員と同じように「配慮」が必要なはずです。

もっというと・・・。だから私は5月の頃から、「教科書も学習指導要領も捨ててしまえ」「授業時間数確保とか学力向上なんかにこだわるな」といい、「学校に来ることができた子どもと教職員で、とにかく充実した日々をつくることを最優先しろ」って言うてきたわけで・・・。

「そういう大きな勘違いをしてる教育施策を全部やめたら、少しは子どもも教職員も、メンタルヘルス面でいい状態になるんじゃないか?」と思ったりもします。

そして「7月末まで1学期をやるのはしかたないとしても、夏休みは8月の3週間程度では短いと思う。以前と同じで、せめて約1か月、8月31日までにしろ」と言いたくなります。

本気で子どもと教職員の「メンタルヘルス」が大事というなら、「しょうもない学力向上策も授業時数確保策も、ICTの充実も全部ストップさせて、とにかく休ませろ。早く、それをやれ」ですよ。私、そういいたくなりますね。

※○○さんが紹介してくださった文科省の文書のリンク先は、以下のとおりです(下記の文書名をクリックすれば、文科省のPDFファイルに行けると思うのですが・・・)。

「新型コロナウイルス感染症への対応に伴う教職員のメンタルヘルス対策等について(通知)」

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪市の学校での「フェースシールド」着用に思うこと ~首長以上に「専門家たち」と「現場」がもっと積極的に発信してほしい~

2020-06-16 19:56:37 | 受験・学校

子どものフェースシールド注意を (NHK関西NEWSWEB 06月16日 18時01分)

このNHKのニュース記事なんですが、「やっぱりねぇ。そこまでの感染症対策は、いまのところ必要ないよね。たしか文科省のつくった学校再開に向けての文書(「学校の新しい生活様式」の文書)にも、マスク着用はさておき、フェースシールドをするところまでの対策は、確か入ってなかったように思うし…」っていう感じです。

まあ、それでも、おそらく大阪市の松井市長は「100%感染防止ができるって方法が無い限り、飛沫を防ぐためにフェースシールドはやり続ける」みたいなこと言い続けて、小児科医会の言うことを無視しようとするでしょう。(言い出したら聴かないというのか、絶対に自らの誤りを認めないというのか…。ツイッターなんかではよく「現職首長は結果がすべて」とかおっしゃることもあるようですが…)

でも、学校現場レベルでは今後、小児科医会からの提言を尊重し、「ここではもう、無理してフェースシールドする必要はないよね」と思う場面があれば、そこから徐々にフェースシールドをはずしていく。そうやって、市長の「要請」という名の「強要」を、学校現場レベルでの「無効化」していくことが大事になると思います。

また、その学校現場レベルでの「無効化」作業を、市教委(合議体の市教委と、事務局全体及び4ブロックに分かれた事務局含む)は「追認」することが大事だと思います。少なくともそういう現場レベルでの「無効化」作業を市教委は「じゃましない」でいただきたい。それが市教委の「見識」だと私は思います。

ただ、私がそのこと以上に気にしているのは…。

市長が「フェースシールド、学校でやるぞ!」といったときに、大阪市の専門家会議ではどんな意見が出たのでしょうか?

いま、こうやって小児科医会から批判・異論が出ている以上、大阪市の専門家会議に出ている感染症対策の専門家たちは、自らの見識に照らして、「それもそうだな」と小児科医会側の提案を受け入れてそれを支持するのもアリだし、「いや、やはりこの場面にだけは限定して使ってくれ」と言うのもアリです。

どっちにしても、感染症対策に関する医学的な見地から、自らの意見を、松井市長の言うことなんか脇に置いて、大阪市の専門家会議として、小児科医会側に示すべきでしょうね、いますぐ。それができないようなら…。

「あんたら専門家会議って、ただ、松井市長の言うたことを追認する役割するだけの集団か? それやったら、専門家会議の役割り果たしたとは言われへんのとちがうか? ど素人の首長(いや、議員も大臣も、およそ政治家といううものはすべて)は思いつきで(もっというと、そのときの気分と自分に批判が来るかどうかの風向き次第で)、好き勝手なこと言うもんやで。「そんなことを求められては困る」時はそう言わないと、専門家としての見識示したとは言われへんよ」と、この際、ひと言っておきます。

あともう一つだけ追加して言っておきますと…。

「この際、学校現場からも、子どもも迷惑してるし、保護者も困惑しているし、教職員も使い勝手悪くて困ってる。こんなもんいらんわ!」と、フェースガードについて思う子どもや保護者、教職員がいるなら、どんどん大阪市内から声をあげていって、小児科医会と連携してほしいと思います。

なにしろ「現職の首長は結果がすべて」だとおっしゃる方のようでもありますので、間違った提案、間違った施策については、きちんと今の大阪市の「現職の首長」である方に「後始末」まで「すべて、やっていただく」のがスジだと思いますから。

<追記> この内容は先ほどこのNHKのニュースについて、フェイスブックで書いたことにいろいろと追記して、ブログ記事化したものです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まずは医療関係者の間で「子どもへのCOVID-19感染防止策」に関する議論を詰めてほしい

2020-05-23 20:16:15 | 受験・学校

今から書くことは昨日あたりにツイッターでつぶやいたことですし、今日もフェイスブックで書きこみました。それをこちらに転載して、一部、手直しするかたちで書きますね。

まあ、こういうことを書くきっかけになったのは、うちの大学の教職課程科目でいま「学校安全論」という科目を担当していて、その授業準備のなかでのこと。

昨日から授業準備をするなかで「今年はやっぱり、学校での感染症対策の話をしておかなきゃな~」と思って、いろんな資料に目を通してみて、「あれ?」と気付いたことがありました。

そのことを、以下のとおり書き記しておきます。ちょっと「関西弁(というか、神戸・阪神間で暮らしてる人のことばづかい)まるだし」ですけど、お許しください。

<以下、先ほどフェイスブックに書きこんだこと(一部手を加えてます>

う~ん。「まずは医療関係者のあいだで、子どものCOVID-19の感染拡大傾向に関する知見を整理してくれ~。医療関係者どうしでしっかり議論して、見解を整理してくれ~」と、いまは声を大にして言いたい。

でないと「限りなくゼロリスクを」という路線(=「よそから『対策』とってないとツッコまれないための自己防衛も含めて)で首長や教育行政が突っ走りかねない。そうすると、どこかの首長の提案みたいに、たとえば子どもと教職員の全員に「フェイスシールドつけさせる」みたいな話がどんどんすすみ、結果的に学校現場の子どもも教職員も、それとつきあっている保護者や地域の人々も疲弊するように思うんですよ。

それこそ、たとえば「COVID-19 患者の中で小児が占める割合は少なく、その殆どは家族内感染である」という一文が、日本小児科学会予防接種・感染症対策委員会「小児の新型コロナウイルス感染症に関する医学的知見の現状」(2020年5月20日)という文書の最初に出てきます。

※なお、この日本小児科学会予防接種・感染症対策委員会「小児の新型コロナウイルス感染症に関する医学的知見の現状」(2020年5月20日)という文書は、次のページで閲覧できます(PDFファイルでダウンロード可能です)。

http://www.jpeds.or.jp/modules/activity/index.php?content_id=342

この小児科学会の文書を前提にしたら、「ほな、学校での対策よりも、家族内感染への対策のほうが重要やんか」とか、「いま、文科省がマニュアルつくって各地の学校にすすめているレベルの感染拡大防止策まで、ほんまにいるんやろうか?」という疑問もわいてきますよね。

しかし例の「3密を避ける」ことを前提とした政府の感染症対策の会議などの方向性からすると、やっぱり一定、文科省のマニュアルの求めている内容にも「一理あり」という側面もあったりするんですよねぇ。

※文部科学省が現在「学校再開」に向けて、各地の学校や教育行政当局にすすめている「マニュアル」は、こちらで閲覧可能です。

文部科学省「学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアル~「学校の新しい生活様式」~」 https://www.mext.go.jp/a_menu/coronavirus/mext_00029.htm

まあ「未知のウイルス」で、わからないことだらけでしかたがない部分もあるし、また、「限りなくゼロリスクを」という路線もわからなくもないんですが…。

でも「やらなくてもいいような過剰な対策で、子どもも教職員も、保護者も地域の人々も、みんなが疲弊する」ということは、やっぱり「回避できるなら、それに越したことはない」とも思うんですよね。

ということで、まずは「子どものCOVID-19の感染拡大防止策について、医療関係者の間での一致点というか、合意形成をまずははかってくれ~」と、私としては声を大きくして言いたくなっております。

<以上で、フェイスブックに書きこんだ内容の転載と加筆修正は終了>

その上で、こちらの画像を見てください。こちらの画像は、先ほどの日本小児科学会の「小児の新型コロナウイルス感染症に関する医学的知見の現状」という文書の6ページにある画像を、このブログに合うサイズに加工して転載したものです。

この文書自体を読めばわかりますが、日本小児科学会の委員会としてこれまでにわかっている情報を整理したところ、「学校や保育施設の閉鎖には流行阻止効果に乏しい」ことや、「教育・保育・療育・医療福祉施設等の閉鎖が子どもの心身を脅かしている」恐れが高いそうです。また、下記の図表は、そのことをふまえて作成したものです。こちらの図表については、今後、学校や保育、福祉その他の学校外の子どもの活動の関係者(現場の人や研究者、行政関係者なども含む)は、よく意識しておいたほうがいいように思いました。ということで、下記の図表を、私のブログでも紹介しておきます。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「この困難な状況にある子どもや若者たちとともに生きること」こそ、教員である我々の仕事では? 教科書や学習指導要領がそれを見えなくさせるなら、この際、捨ててしまえ。

2020-05-13 20:43:33 | 受験・学校

「この困難な状況にある子どもや若者たちとともに生きること」こそ、教員である我々の仕事では? 教科書や学習指導要領がそれを見えなくさせるなら、この際、捨ててしまえ。

以下に書いたことは、先ほどフェイスブックに書きこんだことです。結論は上記の赤字部分の内容なんですが、どうしてそういうことを思いついたのかは、この下記の内容を読んでいただければわかるかと思います。

もうこの際、学習指導要領も教科書も、全部捨ててしまえ。そんなもんがあるから、見なければいけないものが見えなくなるなら、破いて火つけて燃やしてしまえ。

今、大事なのは、目の前の子どもたちの「生きよう」という気持ち、「こんなたいへんな世の中だけど、それでも暮らして行かなきゃ」という思いに、おとなとしてどう向き合うかということ。ただ、それだけでしょ?

だから学校のとりくみも、とりあえずいま、登校できて、目の前にいる子どもたちの様子を見ながら、その子どもが教職員という名のおとなとともに「やりたい」と思うことだけできたら、それでよし。

当分の間、学習指導要領も教科書も全部無視して、小・中学校も高校も、支援学校も幼稚園も、子どもとともに教職員が毎日、その日その日を精一杯、いっしょに生きようという取り組みをやれば、それでよし。

逆に、そういう学校運営やって困るのは「決められたことを、決められたとおりに教えなければならない」という固定観念にとらわれた「おとな」だけ。別に子どもは何も困らないんじゃないかな?

大学だって同じ。次年度入学予定の学生たちに何かたりないものがあれば、大学として責任もってリメディアル教育やればいい。

別に文科省に限らず、地方教育行政でも、学校現場でも、ひとりひとりの教育関係者がこういう「覚悟」をさっさと決めたら、9月入学がどうのとか、ネット配信授業がどうとか、そんなこと「ど~でもええ」としか思わなくなるんじゃないですか?

すでに私はその「覚悟」決めて、これから先のことを考えていきたいと思っています。(といっても、気力体力の続く範囲だけですけどね)

ついでにいうと、私、中3の約1年間、不登校ですよ。学校に行って、まともに勉強してない。もちろん、基礎的な学力形成の差っていうものもあるとは思う。

ただ、それでもその不登校の1年のあと、4年間、公立の通信制高校に行き、大学、大学院に行き、今があるわけですよ、私。

だから「たかが1年間くらい学校が休みになって、じたばたすんなよ、ほんまに。その学習の遅れを取り戻す方法くらい、どうとでもなるわ!」と言いたいです、ほんまに。

<参考> このフェイスブックの記事やブログの記事を書く前に、下記のテレビ局の配信ニュースを見ました。「しょ~もな~文科省。そこまで言うんやったら、一日も早く、教科書も学習指導要領も捨ててしまえよ。そうしたら学校現場はもっと楽に学校再開、やれるぞ」としかいいようがありません。

小中教育課程“数年かけ学習遅れ取り戻す” (日テレNEWS24 2020年5月13日10時58分配信)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「9月入学」や「ICT教育」の話の前に、いま学校の「新型コロナ」対応について考えてほしいこと

2020-05-07 09:30:06 | 受験・学校

下記に書いていることは、5月1日(金)にツイッターでつぶやいたことを、いったんフェイスブックにまとめて手を加えたものです。こちらにも転載しておきます。

個人的には昨今はやりの「9月入学」移行の議論と、インターネットでの授業動画の配信を中心とした代替授業の話は、ほんと「ばかばかしい」としか思っていません。その理由がわかると思うので、あえてこちらに転載しておきます。

<以下、転載内容>

○あれかなあ。ICT普及と9月入学移行を柱に「惨事便乗」型の教育改革やりたがってる連中がいるような気配だなあ。まあ、コロナ対応には別に急いでやる必要ないだろうし、いまはそんなことしてる場合じゃないだろうから、無視するに限るけどね。

○そもそも生涯学習社会への移行とか言うてこの三十数年、若いうちに学べなかったことも年取ってから学べばいいと考えてきたわけじゃん。だったら9月入学の制度改革の前に、子どもや若者がこの機会にしか経験できないこと、いま考えるべき大事なことを最優先でやろうよ。

○自分が高校教員なら、各教科のワークブックやネット教材やらせていくよりも、毎月1テーマで「あなたは家にいるあいだに、人間や社会、文化、自然について何を見つめたか?」を問うていくようなレポート書かせたいなあ。もちろん体験的な活動のレポートもありで。

○その毎月1テーマで書かせたレポートの束というか、ポートフォリオの質や量、課題意識のありようで、今年は高校生の進級や卒業を判定するなあ、自分なら。また、大学入試に際しても面接時にそのポートフォリオを出させて判定資料に使ってもらうなあ。

○で、個々の生徒と3密をさけたかかわりやICT活用での接触を教員として定期的に行うなかで、高校生のポートフォリオ作成を支援して、この機会に本当にその子その子が本気で学びたいことを見つめる作業と教員として向き合いたいなあ。私が高校教員なら、そうする。

○コロナ流行で休校が続く状況は悲しい。でもその悲しみのなかで何か課題意識が子どもや若者に芽生えているなら、それを大事に育てたい。また、それは9月入学とか制度をいじらなくても、いますぐ、子どもや若者にかかわる人のアタマと心さえ変えたら始められること多数ありですよ。

○逆にいうと、従来通りの教科書や学習指導要領の中身をきっちりその学年単位で終えて、テストで学力測定して…なんていう学習観や教育観にはまればはまるほど、「9月入学で~」みたいな発想が強まるんじゃないかなあ。私みたいにそんな学習観や教育観自体を捨てちゃえば発想も変わるだろうけどね。

○そういえば3月の時点で私、全国一斉休校のどさくさにまぎれて、教職員と集まれる子どもとでフリースクールみたいなことやってしまえと言っていたかと。目の前の子どもに必要なことさえやっていれば「横並び」なんて無視。それさえ容認してくれたら、別に「9月入学」移行なんて制度改革は必要ない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

休校中の子どもたちの声に耳を傾けてください ~セーブ・ザ・チルドレンの報告書公表に寄せて~

2020-05-05 20:59:04 | 受験・学校

セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが5月3日付けで、次のタイトルの報告書を出しました。

「子どもたちの声、気持ちをきかせてください! 2020年春緊急子どもアンケート 全体版報告書」

この報告書は、今年3月の一斉休校時に、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの呼びかけに応じて寄せられた子どもたちのアンケートの結果をまとめたもの。1422件の有効回答をまとめて、識者コメントなどもつけたかたちで全体版報告書をまとめました。私もコメントを求められたので、短いですが、ひとこと書かせていただきます。

もちろん、一民間団体の呼びかけで集められる範囲には限界がありますが…。それでも、3月の一斉休校時に子どもたちが何を感じ、何を悩み、何に困っていたのか。その一端は、この報告書のなかから浮かび上がってくると思います。

詳しいことは上記の報告書及びセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンのホームページ(ブログ)の紹介記事で確認してください。

それにしても、3月の全国一斉休校のときもそうですし、この4月以降のあらためての緊急事態宣言以後の休校もそうですが・・・。

おとなたちは、この約3ヶ月近く、常に自分たちの都合と不安感ばかりが先走って、子どものことを無視するかたちで施策を動かそうとしてきてはいなかったか。

たとえば、今もなお「学校に一日も早く学校に通えるようになって、友だちに会いたい、教職員と話をしたいと思っているような、そんな子どもたちの声を聴くことはこの間、各地でしてきたのだろうか? 「どうして家にずっといなくちゃいけないの?」という疑問を持っている子どもたちに対して、なぜ休校措置が必要なのか、外出自粛が大事なのか、そういう説明をていねいにしたおとながどれだけいるのだろうか? 入学式や卒業式を延期したり、取りやめにしたところでは、子どもたちになぜそうするのか、ていねいに学校側や行政側から説明したのだろうか?

あるいは、政治家や行政施策を考える人たちは、自分たちのやりたいことに都合のいい子どもの声ばかりを聴いて、自分たちに都合のいい施策ばかりを考えていないのか?

たとえばネット配信のでの授業実施も、そういう方法をとっても「別に困らない」子どもの側ばかりを向いて実施しようとしているのではないのか? 今の時点でもなお、まだ新年度の教科書が届いていないとか、自分の学級担任が誰なのか、顔も見たことがないとか、クラスのなかまが誰なのかわからないとか、そういう子どもたちのことには、学校として、あるいは教育行政としてどこまでの対応をしようとしているのか?

学校給食がなくなって食事に困っている子どもと家庭もすでに各地に増えているのかもしれないし、また、学童保育はすでに長期にわたる子どもと家庭への支援で、相当にスタッフたちが疲弊しているのではないかと思ったりもします。家庭内での子どもの虐待の発生についても、さまざまな懸念があるところです。そういう生活困難な状況にある子どもと家庭に対して、いったい政治家や行政施策を考える人々は、どこまでの支援を準備できたのだろうか?

さらに、たとえ学校が再開されたとしても、分散登校などのかたちでいわゆる「三密を避ける」かたちで当面、運営せざるをえないでしょうし…。また、たとえ学校が再開されたとしても、また感染拡大が起きそうになったら、しばらく休校再開とせざるをえなくなる。

そんな状況にもかかわらず、「9月入学」の是非とか、学習指導要領の内容や時間数の消化にこだわって夏休みや土日を無くそうとか、「あさって」の方向ばかりむいた施策を考えようとしている首長ほか一部の政治家と、それに追従する人々もいる。

私としては「そんなことよりも、今年学べなかったことは来年以降、さまざまな学習機会で学べるようにすればいいだけでしょ? 高校・大学や社会教育・生涯学習の場など、あらゆる機会を通じて、学び直しニーズ、学び足りないニーズを全面的に支えられるような体制を整えましょうよ」としか言いようがない。

「いったい、あなたがたはどっちに向いて施策を考えているのか? それこそ15歳や18歳で人生が決まらずに、生涯にわたって学習機会を整備していこうと考えて『生涯学習体系への移行』といってきた、この約30年の教育改革はなんだったのか? あなたがたはいまだに15歳や18歳で人間の学びのすべてが決まる社会をつくろうとしているのか?」と、「9月入学制」等々にこだわっている政治家等には一言、この際、言っておきたいです。

そして、これだけ困難な現状のなかでも、目の前の子どもに何ができるかを真剣に考え、模索し続けている現場教職員がいる。ストレスとジレンマを抱えながらも、日々、子どもの暮らしを支えている学童保育や保育所などのスタッフもいる。市区町村や都道府県レベルで、何か子どもと家庭に対して有効な施策は打てないかと悩み続けている行政職員もいる。そういった人々に協力したい研究者や専門職、地域の人々もいる。なぜ、こうしたおとなたちの力を、いま、目の前の子どもたちの抱えている悩みの前に結集していこうとしないのか。

ここで本来、政治家のするべきことは、テレビを通じての「対策やってます」アピールでもなく、ましてや「9月入学制」とか「学習指導要領の内容や時間数の消化」とかにこだわることではなくて、いま、おとなたちのもっている力を結集して、子どもたちの抱えている諸課題をひとつひとつ、ていねいに解決すべきことなのではないかと思う。

その力を結集するヒントは、全部、あのセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが集めてくれた報告書のなかにあるし、また、日々、目の前の子どもたちとのかかわりのなかにある。私はそう信じています。

今の時点で、私の立場から言えることは、これだけです。でも、これが今の正直な気持ちです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校の休校・再開のどちらについても、時間を急ぎながらも、必要な「手順と手間」をかけること。

2020-04-07 19:31:57 | 受験・学校

以下の青い太字部分で書いたことは、4月5日(日)にツイッターで連続してつぶやいたことです。また、その日のうちに文章を整理して、フェイスブックにも転載しました。それを今日(4月7日)に、あらためて自分のブログにも掲載しておきます。

今日は政府から「緊急事態宣言」がでて、私の暮らす兵庫県も、この「緊急事態宣言」の対象地域になってしまいました。また、昨日も書いたように、うちの娘の入学予定の県立高校を含めて、この兵庫県内の公立学校も、あす始業式・入学式というところが多いかと思います。でも、この始業式・入学式以降は、この「緊急事態宣言」が出たあと、授業が開始できるかどうかわからない状況になりました。たぶん、5月6日(水)まで、つまりゴールデンウィークの連休明けまで再び休校という学校も、同じ兵庫県内ではいくつかでてくると思います。

ただ、兵庫県内は地域によって、新型コロナウイルス感染者の確認状況が大きく異なります。北部の但馬地域のようにまだひとりもいないエリアもあれば、阪神間・神戸や播磨のように感染者が増え、さらには亡くなった方もでている地域もあります。同じ兵庫県といっても、「ヒョーゴスラビア」なんてことばもあるくらい、5つか6つくらいの異なる特色をもった地域に分かれているのが実情です。

そう考えると、たとえば学校の休校・再開についても「兵庫県で一律に」と考えるのが本当に妥当なのかどうか。昨日の時点でも県立学校について、兵庫県知事は「但馬を除く」かたちで、「入学式・始業式後4月19日までの休校(ただし登校日あり)」という方針を示していたところです。私はこの対応方針「妥当だな」と思ったりもします。

また、3月の休校と4月の休校は、学校側にとっても子ども・家庭側にとっても、持っている意味がちがいます。もうほとんどその年度の教育活動が終わっていて、子どもと家庭、学校の関係も一定できあがっている3月ならできたことが、4月の新年度開始当初だと難しいことも多々あります。それこそ人事異動で来たばかりの管理職や教職員もいれば、この4月に入学予定の子どもと家庭もあるわけです。学校側も混乱しているさなかに、休校→再開準備→また休校という対応を求められると、教職員側も疲弊しますし、子ども・家庭も混乱します。

これに加えて、小学生のお子さんや障害のあるお子さんの場合は、学童保育や放課後デイサービスでの受け入れ体制をどう考えるのか。昼間、子どもだけが家に残る家庭の場合、昼食等はどうするのか、何かあったときの子どもの見守りはどうするのか。こういった課題はすべて、3月の全国一斉の休校時にも起きた課題です。また、それをなんとかこの約1か月間、学童保育や放課後デイサービスの関係者、各家庭や子ども自身のがんばりで乗り切りました。それをもう1か月続けろといわれても、「もう無理」と思う子どもや家庭、学童保育等の関係者もいると思います。そこへの支援、ケアが十分に行われなければ、感染拡大から子どもを守るための休校(継続)によって、かえって別の問題を生じさせ、子どもを守れないなんてことにもなるでしょう。

そして、子どもたちにはさまざまな願い、ニーズがあります。たとえば「学び」のニーズについても、子どもたちには、いわゆる「遠隔授業」でネット配信された教材に取り組むことで満足できることもあるでしょう。でも、それだけでは充たされた感じがしない。「仲間と直接出会って話がしたい」「仲間といっしょに歌いたい、スポーツしたい」「教室で勉強したい」等々、そういう思いを持つ子どもも居ます。特に入学式を前にした子どもたちのなかには、新しい学校での勉強や仲間とのかかわりに期待を持っていた子どもも多々いると思います。そういう子どもたちに、さらにあと1か月辛抱させることをどう考えて、どのような支援・ケアを行っていくのかも大事な課題です。

昨日も書いたように、私としては、感染拡大防止策として休校(継続)をする必要性があることは、一定「やむをえない」とは思います。しかし、休校(継続)に伴ってさまざまな矛盾や別の問題が生じる恐れもある以上、そちらへの備えもきちんと社会的に整備していかなければ、子どもたちにさまざまな不利益も生じると思っています。休校(継続)をするならするで、きちんと行政や関係諸団体には「やるべきことがある」と思います。現場任せ、あるいは子どもや家庭のがんばりに期待で、首長や行政当局は休校(継続)だけ決めてあとは「丸投げ」というのでは、ダメだと思います。

そこであらためて、私なりの学校の休校・再開についての考え方を示したいと思って、下記の文章をブログにも転載しておきたいと思います。

○以下、ツイッターやフェイスブックからの転載部分

一般の方は感染拡大の恐れ大、早く休校をと思うかもしれませんが…。学校や教委は休校なら休校で、再開なら再開で、それ相応に子ども・家庭への連絡等々のさまざまな業務が発生します。場合によればその業務量や質次第では「今日決めて、あしたからすぐやれ」なんて形では動けないこともあるでしょう。

たとえば再開時の子どもの学びと生活のケア、休校時の家庭での子どもの過ごし方等々にきめ細やかな対応をしたい学校のなかには、休校・再開どちらにしても「準備に手間かかるから、急には方向転換できない」というケースも出てくるでしょうね。念入りに準備するがゆえの悩みですけど…。

そういう念入りに準備するがゆえに手間かかっているところが「遅い!」と非難されて、逆に「どうとでもなれ」と安直に家庭に(あるいは学校に)その後の対応を丸投げしているところが拍手喝采されるようなことがないように。3月の対応を反省して、このたびの4月の休校措置については特に思います。

いま、気をつけないといけないのは、感染拡大の恐れや不安の強い人ほど、休校措置について、この「どうとでもなれ」と安直にその後の対応を丸投げしているところに拍手喝采してしまう危険性があることです。それはそれで、休校後の子どもと家庭の生活にいろんな不都合を生むリスクを高めます。

なので休校にしても再開にしても、たとえ短期間であっても、首長と教委・校長会等の関係者がていねいに協議し、学校現場で具体的な対応を詰めて考える手続きを踏んでいるかどうか。そこをよく一般の人も見極めてください。それなしにいきなりマスコミやSNSで休校・再開を発表する自治体は危ないです。

また、学校の休校・再開のどちらにしても、たとえば行政サイドで学童保育や放課後デイサービス、児童館等の他の子ども施策との関係をきちんと調整できているかどうかについても、注意を払ってください。休校中の子どもの見守りを担う機関等の負担と、それへの備えにも目を向ける必要がありますので。

そして休校時の子どもと家庭の状態にも、さまざまな目配りが必要になります。経済的困難に限らず、子どもと家庭にもいろんな事情がありますから。また、ある家庭にとっては当たり前のように休校中にできることが、他の家庭ではそうではないってことも多々ありますので。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月という時期の「休校」措置(継続)の「重み」を受け止めてください。

2020-04-06 13:32:11 | 受験・学校

先ほどお昼どきにNHKラジオ第一を聴いていて、兵庫の県立学校の「休校」継続の方針を知事が示したというニュースを聴きました。私は「いつか、来るだろう・・・」と思っていましたが、「入学式・始業式が済むまで待つかな?」というかすかな期待も持っていました。

今の新型コロナウイルスの感染拡大状況において、当然ながら学校に行くことに不安を覚える子どもや家庭も多いかと思います。でも他方で、それでもなお入学式を迎え、学校に通うことを楽しみにしてきた子どもや家庭もいます。我が家もそういう家庭です。兵庫県立学校の「休校」継続を、私は手放しで喜ぶわけにはいきません。

この状況下での「休校」継続は必要な面もあるので納得します。でも、春から学校に通いたい・通わせたい。そういう思いの子どもと家庭に辛抱させているんだ、それで失われることもあるんだ…という認識も、どこかで持ってください。

同様に、各校の管理職や教職員のなかにも、この新年度、意欲をもって何かに取り組もうとした人もいるはずです。そういう人にも辛抱をさせたり、何かを失うことでもあるんですよね、「休校」継続って。その重みも受け止めてください。

そして「休校」中の子どもと家庭の負担。家庭で過ごすことが難しい子どもへの公的支援の弱さ。こういうことについても、「休校」継続を求めた人は、しっかりと目を向けてください。必要な公的な支援を行うように求めてください。なお、こちらは教委だけでなく首長部局の仕事もありますので、念のため。

なお、たまたま我が家が県立高校に入学予定の子がいるから、兵庫県の「休校」措置継続について、このようなコメントをしました。でも、同じことは他の自治体にも言えること。これしか感染拡大を防ぐ手立てがないからと一応納得しますが、でもこの新学期早々の「休校」って本来とても重いことですよ。

なので「休校」継続を求めた人々に対しては、ぜひともその措置の重みを受け止めてほしい。そのことでかえって苦しんだり、困惑している人々のことにも想像力を及ぼしてほしい。そういう人があなたの身近にもいることを考えて、そういう困っている人々と共に生きる覚悟をしてほし。そう私は願います。

要するにいま、「休校」継続措置がでて「やったぞ!」みたいなことを言う人が居たら、私、そんな人たちとのつきあい方を今後考えることにする。お望みどおり「休校」が決まったら、今度は学校に行きたかった・授業やりたかったと思う人のことも想像してほしい。ただそれだけです。

※先ほどツイッターに連続で投稿した内容に手を加えて、転載しました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校で起きる問題への法的対応にも、できることには限界がある(神戸・教員間いじめ問題関連)

2020-03-28 20:27:17 | 受験・学校

神戸市総合教育会議が10月17日付けで出した「今後の方向性」に「対案」を出してみる

上記は去年の10月に、神戸の教員間いじめ問題が発覚して間もない頃にブログに書いた記事です。この記事もあわせて読んでいただいた上で、これから今日のブログに書くことを参考にしてください。

いまは、新型コロナウイルス感染症への対応が何かと気になってしかたがない状況ですね。この神戸の教員間いじめの問題についても、先月末に弁護士主体の調査チームの報告書が出て、加害教員らへの懲戒処分が行われましたが…。でも、私もなんだかコロナのことが気になったので、こちらの神戸の教員間いじめ問題については、ひとまず「落ち着いてからコメントを」ということにしていました。そのことは、このブログにも書いたとおりです。

ですが昨日、加害教員らへの刑事処分に関して、重要な動きがありました。本来は兵庫県警の捜査がひと段落ついて、加害教員らが書類送検された段階からコメントしないといけないわけですが・・・。ちょうど昨日、神戸地検が「起訴猶予」という判断を示したので、そのタイミングで一度、コメントをしておきます。

以下、まずは、この事件を続けて追っている神戸新聞の記事から、この「起訴猶予」に関する記事を紹介しておきます。

東須磨小・教員間暴行 加害教諭の起訴猶予、保護者「疑問拭いきれず」(神戸新聞NEXT 2020年3月28日)

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202003/0013228346.shtml

東須磨小・教員間暴行 加害元教諭ら4人起訴猶予 (神戸新聞NEXT 2020年3月27日)

https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/eastsuma-kyoin/202003/0013228336.shtml

教員間暴行の加害教員4人、起訴されない? 兵庫県警内でも意見割れる (神戸新聞NEXT 2028年3月12日)

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202003/0013186515.shtml

これらの記事を読みまして、私の方でいま、コメントできることは、以下のとおりです。これらの記事については、昨日~今日にかけてツイッターでつぶやいたことを整理して、以下の内容をフェイスブックに転載しました。それをこちらのブログにも転載して、あらためて加筆しておきます。

○以下、フェイスブックに書いたことからの転載

ほんと、事件発覚直後から私が言い続けてきたことにやっと気づいたか、神戸新聞の記者とそこに出てくる識者たち…みたいな記事ですね。だから法的対応はその限りでしか課題を解決しない、最初から弁護士だけでなく、教育や心理の専門家入れて調査しろと言ってきたんです、私…。

それにしても、やはり、起訴猶予でしたね。こうなりそうな予感は当初からしていました。警察・検察は懲戒処分等の「社会的制裁」を見て刑事事件の方の対応を決めることがありますので。

神戸の教員間いじめの問題については、行政は懲戒処分を行ったし、警察・検察は「起訴猶予」という判断を示したので、残るは民事での賠償等の問題になるでしょうか。法的には着々と問題解決が進んでいるようですが、でも再発防止や学校再建の課題は今後、どうなるの? そこが全然進んでいないような…。

法的な問題解決ばかりが着々とすすんでいるけど、肝心の神戸の学校や教委の「組織風土」の改善や再発防止策の実施、さらには当該の小学校の「再建」といった諸課題は、いよいよこれから本格的な取り組みの時期を迎えるわけですよ。でも、誰が何をするんでしょうかね?

「一日も早く処分しろ、懲戒免職だ」「警察につき出せ」等の声が高まり、学校や教委バッシングも起こったのがこの神戸の教員間いじめ問題。なおかつそれへの対応を優先するかのように、弁護士らの調査が行われるなど、法的な問題解決ばかりが先行してきました。でも、それでほんとうによかったのかな?

※ここから先は、ブログ記事にするにあたっての「追記」部分です。

上記の転載部分にも書きましたが、この神戸の教員間いじめの問題では、去年10月の事件発覚以来、「一日も早く処分しろ、懲戒免職だ」「警察につき出せ」等の声が高まりました。また、その流れの中で「加害教員らを教壇に立たすな、給料も払いたくない」という声も高まり、神戸市長や市教委は市議会に大急ぎで分限処分に関する条例改正を行い、去年10月末、加害教員の分限休職と給与差し止めの処分も行われました。

ですが、その際の分限処分実施に関する外部有識者らによる審議会でも、この件が刑事事件になったときには、それほど大きな処分はでないのではないか・・・という声がでていたように記憶しています(不確かな記憶で申し訳ありません)。

刑事事件としてみた場合のこの「教員間いじめ」の問題は、実は「それほど重大な問題としては扱われない」ということ。それは早い段階から、わかる方にはわかっていた話のように思うのです。なので、去年の秋ごろ頃から、マスコミは、ほんとうはそのことを指摘しておかないといけなかったように思うのですが。

それから、この「教員間いじめ」問題に限らず、子どもに関することでも、なにかと学校での事件が起きると「日本は法治国家だ」「法に基づいて厳罰を」という声がよくあがります。

でも「法治国家」である以上、この日本社会である人に刑罰を科すにあたっては「推定無罪」の原則に立っての対応が必要になりますし、また、被疑者にはそれ相応の法的な弁護権(防御権)が保障されてしかるべきだということになります。だからこそ、警察や検察は捜査のプロセスで確実に「有罪」に持ち込めるような証拠等々を入手し、起訴できるかどうか、起訴後は「有罪」まで持ち込めるかどうかまで慎重に考えて対応するわけです。なので、この点は、たとえ「こんな人たち、許すまじ。厳罰を」と求める立場の人々でも、私としては、その「法治国家」としてのルールは理解していただきたいところです。

さらに、「子どもにいじめをしてはいけないと教えるのが教師で、その教師としてあるまじき行為をしたのだから、厳罰を」というような主張をされる方も、この件ではいらっしゃるかと思います。

「教師としての面(つら)汚し」という意味で、「体面汚辱」といえばいいのでしょうか。もしそういう意識だとすると、明治期の小学校令にあったことばと意識の復活、つまり、私としては、明治時代に日本に近代学校が成立して以来の「教師聖職論」や「師表」としての教師像が、この件では復活しているような印象を受けますね。(参考までに、1900年(明治33年)の小学校令第48条の条文を書いておきます。「第四十八条 市町村立小学校長及教員職務上ノ義務ニ違背シ若ハ職務ヲ怠リタルトキ又ハ職務ノ内外ヲ問ハス体面ヲ汚辱スルノ所為アリタルトキハ府県知事ニ於テ懲戒処分ヲ行フ其ノ処分ハ譴責、減俸及免職トス」)

もう少しついでにいうと、私はこの「教師聖職論」や「師表」としての教師像については、先ほど「小学校令」ということばを出しましたが、「いったい、いつの時代の教職に対する価値意識? 教職観なの?」と思ってしまいます。

なにしろ、この「教師聖職論」や「師表」としての教師像は、日本の近代公教育における教員処分の歴史を研究した岡村達雄編著『日本近代公教育の支配装置(改訂版)』(社会評論社、2003年)で、ちょうど明治期あたりで、私たちの研究グループが論じたこととも重なります。そのくらい「古い」教職に対する価値観なんですよね。まあ、教育史的に言えば、その価値観は強まったり、弱まったりしてきたのですが・・・(教員の労働組合運動などが一定の勢力を持っている時期は、この「教師聖職論」や「師表」としての教師像は弱まります)。

私は当初から、この神戸の教員間いじめの問題に関する法的な対応については、「地方公務員法などの現行法の枠組みのもとで、加害教員らの処分は適切に行えばそれでいい」と思ってきましたが…。それは、実は「加害教員許すまじ」という声のなかに現れた人々の意識が「師表」としての教師像にもとづいているなど、「いったい、いつの時代の意識なの?」と思うくらい「古すぎる」と思ってきたからです。

まあ、そういう「師表」としての教師像を、この21世紀に復活させたいと思うような勢力がいま、日本国内でうごめいているのかもしれませんが…。

でも、かつて教員に滅私奉公を強いたり、あるいは「御真影」と「教育勅語」を守るために、火事になった校舎に飛びこませたような、そういう価値観でもありますからね。この「師表」としての教師像って…。扱い方を間違えると、これはかなり危ない教育に対する価値観、教師像でもあるわけですよ。

ちなみに一応、いまは公立学校教職員の懲戒処分について、たとえば地方公務員法上の服務や懲戒の規定(たとえば「信用失墜行為」など)や、関連する人事院規則や各自治体の職員人事に関するルール・慣例があります。なので、まずは教職員の起こした数々の不祥事とこれに関する懲戒処分等々については、「そういう現行の公務員法制に照らしてどうなのか?」を論じてほしいところですね。その点は、この「教員間いじめ」の問題についても同様です。ほんと、いつまで「師表」としての教師像にこだわっているのか、今は21世紀だぞ…と言いたくなってしまいます。

ちなみに、この「教師聖職論」や「師表」としての教師像に基づいて、教員が行った「暴行」等の事件については重罰を科すというのは、今度は「法の下の平等」という点に照らして、加害教員を弁護する側から「他の一般市民の刑事処分と比較して、重すぎやしないか?」という話がでてくるでしょうね。

あくまでもこの神戸の教員間いじめの問題も、加害教員らは「暴行」等の事件の「被告」として、しかも「初犯」のケースとして警察・検察、そして起訴された場合は裁判所も、刑事事件として裁判をすすめて、処分の中身を考えることになると思います。もちろん一定の世論の動向等は加味した判断を示すでしょうけど…。でも、たとえば「一般市民なら懲戒処分等の事情を考慮して、社会的制裁を受けたとして起訴猶予にする」ケースであれば、やはり「教員の場合も起訴猶予」と言うケースは当然でてくるでしょう。

そして、これはくり返しこのブログで言ってきたことですが…。

「どれだけ刑事・民事の法的な手続きをとろうが、教育行政による懲戒処分が行われようが、当該の学校の再建や、類似のケースの再発防止策の実施には、直接的なつながりはない。それはそれで、教育学や心理学・精神医学等の近接領域の観点から、きっちりと何が課題でどのような防止策が必要なのかを、法的な観点からの議論とは別に論じなければいけない」ということ。そのことも、もうそろそろ認識していただきたいところです。

なにしろ、もちろん「裁判で訴えられるから」とか「懲戒処分がでるから」という理由で「悪いことはやめておこう」という「善意」の人もいるでしょうけど…。でも「今度は訴えられないようにしよう」とか「処分されない程度にやろう」とか、あるいは「ばれないようにやろう」と姑息な工作を行うケースもありますからね。

なので、類似の問題を起こさないように、あるいは起きても適切な対応を行うように、たとえば実際に現場に居る人々や行政の担当者、さらには行政上層部の意識を変え、具体的なスキルを磨く必要があるのか。また、そのためにどういう条件・環境を整えるのか。そのことについて、法的な観点からの議論とは別に、教育の実践的な議論とそのための条件整備・環境設定的な議論とともにやらなければいけない課題があるわけです。「いくら法的に緻密な議論をしてもなあ、ここができていないとねぇ…」というところでしょうか。

このような次第で、法的な枠組みでの対応には、もちろん、それ相応の可能性もありますが、同時に今の法的な対応の枠組みが成立してきた歴史的経過や、その枠組みのもとで実際に刑事司法がどのように運用されてきたのかという歴史的経過に伴って、それ相応の限界もあります。同じことは、教育行政による教職員への懲戒処分にも言えることです。

刑事司法や教育行政の外側に居る人々が「あんな教員を許せない」と憤りを感じて、「法的に対応してさっさと処分しろ」とおっしゃるのは、個人の自由です。そのことは誰にも止められません。

でも、その「法的な対応」にも可能性とともに限界があることくらいは、「もうそろそろ、みなさん、認識してくださいよ」というところでしょうか。

そして、その限界を変えていくことには、何年にもわたる時間がかかりますし、また、その「変えていきたい」と思う方向性が「はたして、ほんとうに妥当なのか?」と考えることも大事です。

ちなみに、21世紀の今、19世紀(=明治時代)的な価値観を復活させるような方向に向かうのならば、やっぱり私は「その方向、ほんとうにいいの?」と疑問を出し続けますね。

ということで、長々と書きましたが、ひとまずコメントを終えておきます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もともと目の前の子どもにしなやかに対応してきた学校や地域は、臨時休校中もしなやかな対応なのでは?

2020-03-16 21:19:23 | 受験・学校

「臨時休校」期間中の教員たちへ ~このピンチを私たちの子ども観の転換を図るチャンスにする~

先週から知り合いの教員たちの「陣中見舞い」を兼ねて、近畿圏の臨時休校中の各地域のフィールドワークをはじめました。といっても、自宅のある西宮市内の学校を見たり、滋賀県内の学校に伺ったり・・・という感じで、まだ2校だけなんですけどね。

ただそれでも、やはりツイッターやフェイスブックといったSNSだとか、あるいはネット配信されているニュースやテレビの情報番組などからでは伝わらないことが、「現場」を見るといろいろとわかってきますね。

特に今週は臨時休校期間も3週目に入ってきて、いろんな変化が「現場」に現れ始めているように思います。

ちょっと簡単にまとめておきますと・・・(というか、ツイッターでつぶやいたことの転載ですが)。

(1)この間の「フィールドワーク」から抱いた印象では・・・。このたびの臨時休校で、もともと目の前の子どもにしなやかに対応してきた学校や地域は、やはりしなやかな対応をする傾向。でも「上からの指示」とか「規則を杓子定規に」的な対応してきた学校や地域は、やっぱりその傾向が出るようですね。

(2)あと臨時休校3週目に入って、小学生のなかには宿題も終わったしテレビもゲームも飽きたし、「ひまや~」と思ったり、「そろそろ友だちと遊びたい」「なんかちがうことしたい」という子どもがでてきたように思いました。こういう子どもたちに「しなやかに」対応できる学校や地域が求められているかと。

今の時点で「現場」を見て、私が感じたことは、この2点に絞られますね。

ちなみに、(2)のような「ひまや~」と思う子どもたちに対して、たとえば、おとなが先回りしてデジタル配信の教材を与えたりするのは、やめてほしいなぁって思います。子どもの側が「ネットで面白いもの見たいのだけど、なんか、ない?」とでも言ってくれば別ですが・・・。

「この機会に、子ども自身がまわりの子どもやおとなと相談しながら、一日の自分の過ごし方を、自分で決めてみる」

このたびの臨時休校の期間を、子どもたちがそういう経験のできる機会にしてほしいな、と思います。

でも、実はこの話、私の思いつきではなくて、今日のフィールドワークのときに出会った学童保育の職員さんや小学校の教員が、このことを言っていたんですよね。先ほど(1)で書いた「もともと目の前の子どもに対してしなやかに対応してきた学校や地域」という話は、ここにつながる次第です。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少し落ち着いてから、あらためてコメントします(神戸・教員間いじめ問題関連)

2020-03-05 23:56:11 | 受験・学校

今後必要なのは冷静な検証を通した「遅い」情報発信です(神戸・教員間いじめ問題関連)

今は新型コロナウィルス性肺炎の感染拡大防止のことで、マスメディアも何かと報道がそちらに集中していますよね。

また、子どもたちのことでいえば、例の安倍総理大臣からの全国一斉の臨時休校「要請」があって、この数日、それへの対応で各地の教育行政、そして学校現場がふりまわされている感があります。

もちろん、教職員や教育行政の担当者だけでなく、子どもも保護者も、あるいは学校給食の業者や地域の人々等々、いろんな人々がこの臨時休校「要請」にふりまわされているわけですが・・・。

※なお、この臨時休校「要請」をめぐる全国各地の動向や、政府の動き、各界からの声明や意見書などについては、「教職員のための『一斉休校』要請についての情報サイト」を見てください。私も少しだけ、このサイトの運営のお手伝いをしています。 http://www.227kyukou-yousei.com/

でも、そういうドタバタのさなかに、「とにかくいったん、決着をつけたい」と言わんがばかりに、神戸市教委は例の教員間いじめ問題に関する懲戒処分を行いました。2月28日付けでの実施なので、「予定通り」といえばいいでしょうか。処分内容も、加害教員のなかの特に程度の重い人2名を免職等、事前にマスメディアから流れていた情報とほぼかわらないものだったように思います。

ただ、この教員間いじめ問題に関する処分内容などについて、いろいろと言いたいことはあるのですが・・・。上記のような臨時休校「要請」をめぐる状況や、私の大学での本務等々との関係で、なかなかブログを書く時間がとれません。

ひとまずあと3日くらいは、本業の大学での仕事との関係で、落ち着いてブログを書いたりすることができなさそうです。次の日曜日、いつものプリキュアへのコメントあたりから徐々にブログ更新も再開していきたいと思いますので、今しばらくお待ちください。そのときには神戸の教員間いじめ問題へのコメントなども書くことになると思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「臨時休校」期間中の教員たちへ ~このピンチを私たちの子ども観の転換を図るチャンスにする~

2020-03-03 08:40:01 | 受験・学校

今まで多くの教員が、子どもは学校にいるのが当たり前、授業受けるのは当然、教えることが私らの仕事と考えてきたかと思う。でも今回の臨時休校は、そんな教員にとって当たり前のように思ってきたことが、ある日突然災害ではないかたちで、あっけなく崩れることをつきつけた。

これは大学でも同じだけど、我々教員の仕事は、目の前に子どもや学生が居て、はじめて成り立つ。目の前に今日もこの子たちが居てくれることが、どれだけ尊いか。そこから教員はやりなおそう。実施経過は納得しないが、今回の臨時休校が、いまの教員の子ども観の大事な転換のチャンスになればと思う。

我々教員が「教える」こと「授業」することにばかりこだわっていられたのは、何があってもそこに子どもや学生が居て、その子たちを日々送り出している家庭や代替的養育があるから。その大事さ、尊さを、「教える」「授業」にばかりこだわり続けてきた教員には、この際実感してほしい。

勉強苦手な子、かかわり方にいろんな配慮の必要な子等々。いろんな子がいてもいい。でも「この子たちがひとまず目の前に居る」という事実から、我々教員の仕事は立ち上がるということ。ここにいま、立ち返ってほしい。

ついでに言うと「教える」「授業」にこだわるだけの教員は、そのうちに臨時休校期間中に配信されたデジタルコンテンツに置き換えられるかもしれない。「そっちのほうが面白い」とか言われて…。いまは何よりも、子どもや子育て中の人々と教員のつながりを保たないといけない時期かと思う。

今日からうちの娘も、臨時休校期間。起こさなくていいのは楽。でも本人は昨夜も「授業がいい」と語っていた。教員に会える、仲間がいる。そのことが大事。スマホで見ることができるデジタルコンテンツだけでは満足しない。暇潰しに見ているだけ。そういう子どもがいることを、教員は忘れてはいけない。

※今朝、ふとんのなかからツイッターで連続ツイートしたことに手を加えて、こちらに掲載しておきました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする