できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

マスメディア「からの」批判・マスメディア「への」批判

2009-02-05 19:33:15 | ニュース

タレント弁護士・橋下徹氏が大阪府知事になって、そろそろ1年。大阪の新聞各紙は、この1年をふりかえる記事をこのところ、連載等の形で書いています。

たとえば朝日新聞は下記のとおり、「橋下発言は「ゲリラ豪雨」 関心事連呼、冷めたら次へ」という記事を2月3日付けで配信しています。この記事で朝日新聞は、「メディアを前に集中型で言葉を並べる手法は1年が経過する今も変わらない」とか、「一方で「医療」は年間39回、「福祉」は28回と頻度が少なく、ほかのテーマに比べ関心の薄さが明白だ」「1年間の記者会見の発言をたどると「財政」「教育」など、その時々の関心事がゲリラ豪雨的に登場する一方、興味が薄れ、賞味期限が切れると消え去る言葉も多い」と述べています。

http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200902030032.html

あるいは、毎日新聞もこのところ、連日、橋下府政の1年間を振り返る記事を掲載しています。たとえば「評・橋下府政1年:過激発言、分かれる評価-毎日新聞調査」と題のついた1月29日付けの毎日新聞配信記事では、「メディアを引きつける派手な発言で課題の突破を図る橋下知事の手法。「関心を引きつける効果がある」と前向きに受け止める声が多かった府民に対し、府の課長たちの間では「混乱や摩擦の原因になる」とのマイナス評価が多数派だった」というコメントも出ています。そして、「敵を設定して短いフレーズで「攻撃」するパターンは、メディアを意識しての手法との見方が強い」とか、識者コメントとして、「メディアを通じて見ていると問題が解決すると思って喝采(かっさい)を送るが、単純化だけでは真の解決はない」という批判も出ていますね。

http://mainichi.jp/kansai/hashimoto/archive/news/2009/01/20090129ddn041010009000c.html

このように、ここ1年間の橋下府政を冷静にマスメディアが振り返り始めたこと、特に新聞という活字メディアがテレビの論調から離れて、冷静に文字にしてこの間の自らの報道のあり方まで振り返り始めたことは、私は「いい傾向だ」と思っています。

要するに、マスメディアを通じて、自らを府政に対する「改革者」として印象付け、自らに批判的な府職員層などを「抵抗勢力」として切って捨てる「スペクタクル」を見せることで、自らに対する府民の支持を動員し、府政改革を推進しようとする・・・・。上記1月29日付けの毎日新聞配信記事で、「橋下知事の発言は、複雑な問題を単純化し、仮想の敵を設定して選挙に大勝した小泉純一郎元首相と似たパターン」というコメントが出ていましたが、まさに、そういう政治手法のいかがわしさに、徐々に気づきはじめたことの現われではないかと思います。

そして、こうやってマスメディアが大阪府政改革に関するこの間の自らの報道姿勢をふりかえりつつ、同時に、大阪府政改革の動きに対する地道な検証作業を始めることは、とてもいいことです。なにしろ、この1年間は、「騒ぐだけ騒いでみた」というだけであまり何も支障はでなかったかもしれませんが、2009年度予算の編成を通じて数々の事業等が打ち切られ、本格的に府政改革による府民生活へのダメージ等々が今後、出てくることになるでしょうから。

なにしろ、あの小泉政権期の構造改革ですら、最近の急激な景気低迷や格差(不平等)拡大を前にして、「あの熱狂はなんだったのか?」ということが冷静に問い直されようとしている昨今。橋下知事の府政改革にその小泉政権期の改革手法が使われているとするならば、なおさら冷静な検証作業がマスメディアには必要ではないでしょうか。

と同時に、今後もマスメディアがこうした地道な府政改革に対する検証作業を続けてくれるかどうか、そこを府民も関心を持って「監視」し続ける必要もあります。府民サイドからマスメディアに対して、府知事サイドから流れる情報にマスメディアがふりまわされず、逆にマスメディアが府政改革のプラス面・マイナス面を冷静に伝える仕事をするよう、常に要望等を出しておくことが重要ではないでしょうか。

なお、このように見ていけばわかるかと思いますが、今の政治の動きを冷静にふりかえる作業には、テレビや新聞などのマスメディアを通じた世論誘導の手法が使われているために、「メディア・リテラシー」論的な観点が必要になってきています。今後、学校における市民性育成の教育や人権教育等々においても、こうした「メディア・リテラシー」論的観点に立った取り組みが必要不可欠ではないかと思います。それも、子どもにケータイを持たせたら云々のような「メディア・リテラシー」論ではなく、きちんと政治的な話題をとりあげ、それに関する新聞やテレビ等々の論調を検証するような、そんな「メディア・リテラシー」論の学習が必要でしょう。そして、それがもしも学校内で行うことが情勢的に難しいのであれば、社会教育・生涯学習領域こそ、こうした学習を引き受けていく必要があります。

それから、次のような記事にも注目です。大阪府議会がどれだけ、橋下知事の打ち出す施策に対して「ちがう」視点でものが言えるかどうか。そこを今後、見守る必要があります。

http://www.asahi.com/special/08002/OSK200901150061.html

(橋下知事に「言動慎むよう」 大阪府議会が申し入れ 2009年1月15日付け朝日新聞配信記事)

あと、今の時点では詳しく書けないのですが、例えば各種委員会などでの「外部委員」とか、あるいは府知事の「特別顧問」といった形で、今および今後、大阪府政改革の方針づくりなどに民間から登用されている人々が、どういう考え方の持ち主なのか。その人たちの考え方の検証作業や、その人たちの言動などへの批判、監視の作業も重要です。

一見すると役所の業務の閉塞性を打破するような雰囲気があって、外部からの意見や民間からの人材登用はいいことのように見えます。しかし、「民間もいろいろ、外部もいろいろ」です。下手をすると、例えば病気や障害のある人たちや高齢者の方たち、外国籍の人たちなどへのさまざまな支援施策、あるいは、子育てや教育に関するさまざまな施策を、単に「行政のコスト」「役所の経費の負担」としかとらえないような、そういう感性や人間観の持ち主たちが、まさに「コスト・カッター」役として、府政改革における「外部人材の登用」の名の下に登場しかねない(もしかしたら、もう登場しているのかも?)。しかも、この人たちが参加・参画した形でつくられた施策が失敗したとき、この人たちの責任というのは、どこまで問えるのかわかりません。

だから、府知事サイドから「外部人材の登用」というときには、「どんな人物が登用されているのか?」とか、「その人物が何をやろうとしているのか?」ということに対する「監視」や「批判」は、今後、ますます重要になってくると思いますね。

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