これまでは何度かに分けて、父の死後いろいろと考えていることについて、このブログでまとめてみました。いよいよ今日あたりから、そろそろ本来の子ども施策・青少年(若者)施策、あるいは子どもの人権を守る取り組み、人権教育等々について、私からの情報発信を本格的に再開したいと思います。なにしろ、あしたで父が息を引き取ってから、ちょうど1ヶ月になりますので。
さて、父の死からこの間、私が書き綴っていたことを端的にまとめると、<不登校・ひきこもりや非行、あるいは経済的困難や両親の不和・離婚など、何らかの形で生活上の「課題」がある子ども・若者の「自立」支援の現場実践と、その現場実践を支える行政施策や制度のあり方、さらには、実践や施策・制度を支える理論・理念・思想といったものについて、これからの自分は考えていきたいということ>にまとめることができるでしょうか。
また、このことは、いま、こうした諸課題に直面している子ども・若者本人やその家庭、さらには、本人や家庭を支える活動を続けている現場教員や保育士、社会教育や児童福祉関係の職員、民間団体のスタッフなどに、ひとりの研究者としての私がどう向き合うのか、という課題でもあります。と同時に、私自身がこれまでどう生きてきて、これからどう生きていきたいのかという課題でもあります。
一方、こうした諸課題に取り組むには、従来の教育学の中の細分化された諸領域(たとえば学校教育や社会教育・生涯学習だとか、学校教育のなかでも生徒指導や進路指導、各教科の学習など)での成果を、もう一度「目の前にいる子ども・若者の示す課題」に即して、「子ども・若者の『自立』支援」という観点から再統合していく必要があるでしょう。もちろん、ここには人権保障や反差別に向けての取り組みの充実、階層間格差をより縮小していく取り組みの充実といった観点からの議論も必要になってきます。
また、教育学以外にも、たとえば心理学や精神医学、児童福祉学や社会保障、就労問題や子ども・若者文化に関する社会学の研究など、多様な子ども・若者に関する研究領域の成果についても、「目の前にいる子ども・若者の示す課題」に即して、同じように「自立」支援という観点からつないでいく必要があるでしょう。特に、子どもや若者の文化、たとえばファッションや音楽、アニメ、テレビゲーム、ケータイの利用等々といった、いわゆる「サブカルチャー」や「若者文化」の領域の課題への対応も、子ども・若者の友だち関係の問題とのかかわりやおとなによる保護・規制の問題とも深くかかわることから、子ども・若者の「自立」支援という観点から見て、いろんな議論を必要としているように思います。
そして、これから先の日本社会において求められる子どもや若者の「自立」とはなんなのか。このことについては、哲学的・思想的な問いかけを「目の前にいる子ども・若者の示す課題」に即して行っていく必要があるでしょう。また、「今までの日本社会では、子どもや若者の『自立』をどのようにとらえてきたのか?」という観点から、歴史的な検証作業も必要になってくるかもしれません。
今、ほんとうに子ども・若者の人権保障だとか、「自立」支援に関する施策の充実ということをすすめたいと思うのであれば、少なくとも「教育学」という枠組み、それも「人権教育」という狭い枠組みのなかで物事を検討し、新たな取り組みを構想するのではなくて、従来の学問領域の枠を相対化するようなまなざしで検討しなければいけないのではないか。そんなことをこのごろ、日々、実感するようになってきました。
また、そのためにこそ「絶えずくりかえし、目の前の困難な状況にある子ども・若者と、その周辺にいるおとなたちの生活の場面に立ち戻り、何がまだ検討されていない課題かを確認するということ」が重要なのではないかとも思い始めています。
これからも、時間の許す範囲での更新ということになるかもしれませんが、引き続き、「課題」のある今後の子ども・若者の「自立」支援という主題に関連して、このブログで情報発信を続けていこうと思います。今後とも、どうぞよろしくお願いします。
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