※下記の文章は、この新聞記事に対応する形で、フェイスブックに書き込んだものです。こちらも方にも転載しておきます。
ちなみに私は4月から、この京都市内の公立小学校プール事故でお子さんを亡くされた遺族の方とかかわりはじめ、その後、遺族を支援するみなさんともおつきあいがはじまりました。そして、調査委員会のあり方に関する講演会を遺族・支援者のみなさんと行ったあとは、京都市教委や当該の学校、そして調査委員会の方々とも接点ができました。以下の文章は、そういう立場で書いている文章でもあります。
児童30人参加、異例の再現検証へ 京都市立小プール死亡事故で市教委の第三者委(産経新聞2013年8月15日配信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130815-00000504-san-soci
○以下、フェイスブックからの転送。
過去の学校での死亡事故事例では、こうした事故原因の究明のために、実際に当日の様子の再現など、検証作業を行うこと自体がきわめて異例のこと。
それこそ、学校関係者や他の保護者などがいろんな懸念を示すために、当日の様子の再現などを躊躇し、結局、やらないまま終わることのほうが多いように思います。実際、遺族側が「子どもを交えた形での事故当日の様子の再現を」と求めても、他の保護者や学校側に断られたケースもあります。その場合、たとえば「参加した子どもの心理的ケアをどうするのか・・・」とか「もしもなにか、当日のつらいこと・悲しいことを思い出したらどうするのか・・・」とか、事故原因の再現作業については、こうした懸念がよく表明されます。
その一方で、こういうコメントを学校関係者や他の保護者から聞くたびに、遺族側は「まわりの子どもは再現作業でつらいことを思い出しても、その後のケアができるかもしれない。でも、亡くなったうちの子どもは、いくら再現作業をしてももどってこない。そして、せめて事実関係を究明して再発防止をしてくれないと、また似たような事故が起きるのではないか。それでいいのか・・・」と、またそこでつらい思いをすることも出てくるではないかと思います。
ただ、よくよく考えてみると、事故経過の再現作業だけでなく、死亡事故・事件発生後の聴き取り調査でだって、よく考えたら、子どもたちにつらい出来事を思い起こさせる「再現」のリスクを抱えています。でも実際には、たとえば聴き取り調査の場面などにおいては「あのとき言えなかったことを、思い切りここで言えてよかった」「ほんとうは言いたかったこと、いっぱいあるんだ」というような子どももいます。
あるいは、再現作業の前後の子どもや保護者の様子をよく確認し、必要なケアを行うことで、「再現」に伴うリスクをある程度まで抑えていくこともできるのではないかと思います。
そして、いろんな課題やリスクはありながらも、それを解消したり緩和したりする手立てを編み出して、この再現作業の実施というハードルをクリアしていくこと。それができなければ、学校事故・事件に関する原因究明作業というのは、今のレベルを越えることはなかなかできないのではないか・・・とも思います。
そこから考えると、私としては、上記のようなリスクをかかえたり、準備が不十分な面を抱えながらも、現場での検証作業を「やってみよう」とふみきった第三者委と、これに協力しようという他の保護者たち、子どもたちの意志に、まずは敬意を示したいと思います。
その上で、このような再現作業の結果、もしも何かつらいこと・悲しいことを思い出した子どもや保護者が出てきたら、そのつらさ・悲しみなどを、あらためてこの作業に参加したみんなで共有すること。それがまずは、大事なことなのではないかという風にも思います。それこそまさに、こうした検証作業を通じて、死亡事故という起きてしまった悲しい出来事にみんなで向き合っていく、ということですから。
このような次第で、私としては今後も、他の保護者や子どもが学校・市教委とともに第三者委の調査に協力していくための支援は惜しまないつもりですし、その準備作業として、市教委の担当者とともに保護者説明会にも、第1回の第三者委にも出ました。第三者委からの協力の要請があれば、私はいつでも出ていくつもりでいます。
ちなみに私は4月から、この京都市内の公立小学校プール事故でお子さんを亡くされた遺族の方とかかわりはじめ、その後、遺族を支援するみなさんともおつきあいがはじまりました。そして、調査委員会のあり方に関する講演会を遺族・支援者のみなさんと行ったあとは、京都市教委や当該の学校、そして調査委員会の方々とも接点ができました。以下の文章は、そういう立場で書いている文章でもあります。
児童30人参加、異例の再現検証へ 京都市立小プール死亡事故で市教委の第三者委(産経新聞2013年8月15日配信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130815-00000504-san-soci
○以下、フェイスブックからの転送。
過去の学校での死亡事故事例では、こうした事故原因の究明のために、実際に当日の様子の再現など、検証作業を行うこと自体がきわめて異例のこと。
それこそ、学校関係者や他の保護者などがいろんな懸念を示すために、当日の様子の再現などを躊躇し、結局、やらないまま終わることのほうが多いように思います。実際、遺族側が「子どもを交えた形での事故当日の様子の再現を」と求めても、他の保護者や学校側に断られたケースもあります。その場合、たとえば「参加した子どもの心理的ケアをどうするのか・・・」とか「もしもなにか、当日のつらいこと・悲しいことを思い出したらどうするのか・・・」とか、事故原因の再現作業については、こうした懸念がよく表明されます。
その一方で、こういうコメントを学校関係者や他の保護者から聞くたびに、遺族側は「まわりの子どもは再現作業でつらいことを思い出しても、その後のケアができるかもしれない。でも、亡くなったうちの子どもは、いくら再現作業をしてももどってこない。そして、せめて事実関係を究明して再発防止をしてくれないと、また似たような事故が起きるのではないか。それでいいのか・・・」と、またそこでつらい思いをすることも出てくるではないかと思います。
ただ、よくよく考えてみると、事故経過の再現作業だけでなく、死亡事故・事件発生後の聴き取り調査でだって、よく考えたら、子どもたちにつらい出来事を思い起こさせる「再現」のリスクを抱えています。でも実際には、たとえば聴き取り調査の場面などにおいては「あのとき言えなかったことを、思い切りここで言えてよかった」「ほんとうは言いたかったこと、いっぱいあるんだ」というような子どももいます。
あるいは、再現作業の前後の子どもや保護者の様子をよく確認し、必要なケアを行うことで、「再現」に伴うリスクをある程度まで抑えていくこともできるのではないかと思います。
そして、いろんな課題やリスクはありながらも、それを解消したり緩和したりする手立てを編み出して、この再現作業の実施というハードルをクリアしていくこと。それができなければ、学校事故・事件に関する原因究明作業というのは、今のレベルを越えることはなかなかできないのではないか・・・とも思います。
そこから考えると、私としては、上記のようなリスクをかかえたり、準備が不十分な面を抱えながらも、現場での検証作業を「やってみよう」とふみきった第三者委と、これに協力しようという他の保護者たち、子どもたちの意志に、まずは敬意を示したいと思います。
その上で、このような再現作業の結果、もしも何かつらいこと・悲しいことを思い出した子どもや保護者が出てきたら、そのつらさ・悲しみなどを、あらためてこの作業に参加したみんなで共有すること。それがまずは、大事なことなのではないかという風にも思います。それこそまさに、こうした検証作業を通じて、死亡事故という起きてしまった悲しい出来事にみんなで向き合っていく、ということですから。
このような次第で、私としては今後も、他の保護者や子どもが学校・市教委とともに第三者委の調査に協力していくための支援は惜しまないつもりですし、その準備作業として、市教委の担当者とともに保護者説明会にも、第1回の第三者委にも出ました。第三者委からの協力の要請があれば、私はいつでも出ていくつもりでいます。