できることを、できる人が、できるかたちで

京都精華大学教員・住友剛のブログ。
関西圏中心に、教育や子ども・若者に関する情報発信を主に行います。

最近読んだ本をまとめて紹介(2378冊目~2389冊目)

2016-11-30 17:40:50 | 本と雑誌

この1カ月くらいは出張が多く、あまりじっくりと本を読む時間がとれませんでした。

それでも以下の本はなんとか読めたので、タイトルや著者名程度だけですが、紹介しておきます。

2378冊目:中野晃一『つながり、変える私たちの立憲政治』大月書店、2016年

2379冊目:岡田健治『デモクラシーは、仁義である』角川新書、2016年

2380冊目:姜尚中『逆境からの仕事学』NHK出版新書、2016年

2381冊目:佐和隆光『経済学のすすめ―人文知と批判精神の復権』岩波新書、2016年

2382冊目:原田正純『水俣病』岩波新書、1972年

2383冊目:太田省一『芸人最強社会ニッポン』朝日新書、2016年

2384冊目:山本順一編『新しい時代の図書館情報学』有斐閣アルマ、2013年

2385冊目:岡本裕一朗『ポストモダンの思想的根拠 9.11と管理社会』ナカニシヤ出版、2005年

2386冊目:マーサ・C・ヌスバウム(小沢自然・小野正嗣訳)『経済成長がすべてか? デモクラシーが人文学を必要とする理由』岩波書店、2013年

2387冊目:田端健人『学校を災害が襲うとき 教師たちの3.11』春秋社、2012年

2388冊目:鈴木宣弘・天笠啓祐・山岡淳一郎・色平哲郎『TPPで暮らしはどうなる?』岩波ブックレット、2013年

2389冊目:片岡洋子・久冨善之・教育科学研究会編『教育をつくる 民主主義の可能性』旬報社、2015年


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今後、どういう対応をして、どういう調査・検証をするのかしら?

2016-11-30 11:52:09 | 受験・学校

学芸大付高 いじめで骨折報告怠る 元校長ら5人処分 (東京新聞2016年11月30日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201611/CK2016113002000116.html

昨日から気になっているこの件なのですが。

まず、「このいじめられてケガをした子」に東京学芸大附属高校は今後、どういう対応をするんでしょうか?

そこが一番気になります。

次に、加害生徒に対しても、この東京学芸大学附属高校としてはどういう対応をするんでしょうか?

「退学させて終わり」という、よくある高校(特に私学)のようなやり方をするんでしょうか?

そして、再発防止についてはこの東京学芸大学附属高校、どういう対応をとるつもりなんですかね?

ちなみに、先日の福島大学の講演でも、私はこんな話をしました。

「いま、私がいじめの重大案件の調査をするなら、次の観点で行う」という話です。

(1)いじめ防止対策推進法あるいはいじめ防止基本方針の趣旨がよく理解できていないから防げなかった、あるいは不適切な対応しかできなかったケースかどうか。

(2)いじめ防止対策推進法やいじめ防止基本方針の趣旨は理解できていても、それを実現するための条件整備(人員配置、教員の勤務環境等々)ができていないから防げなかった、あるいは不適切な対応しかできなかったケースなのか。

(3)いじめ防止対策推進法やいじめ防止基本方針の趣旨は理解できていても、具体的に現場教職員の間で「どう動けばいいか?」がわからなくて防げなかった、あるいは不適切な対応に至ったケースなのか。

(4)そもそもいじめ防止対策推進法や、これにもとづくいじめ防止基本方針に何か無理があったり、矛盾があったりしたために防げなかったり、不適切な対応しかできなかったケースなのかどうか。

とかく今、このケースについては、マスメディアやSNSなどでは(1)からの議論が多いような気がします。

ですが、実は(2)~(4)までのパターンである可能性も否定できません。

なので、このケースだと(1)~(4)までのあらゆる可能性を想定した調査・検証しなければいけないのでは・・・と思ったりします。

なにしろ一応「国立大附属」ですからねえ。

何か重大事態が起きたら、この高校から東京学芸大学を経由して、文科省に報告することになる。

「文科省に出てこられたらまずい・・・」とか「文科省に迷惑かけたらいけない」「そこまで大事になったらやばいぞ・・・」なんて意識がもしも東京学芸大学附属高校の現場サイドにあったとしたら・・・。

むしろいじめ防止対策推進法にもとづく重大事態への対処規定そのものが、かえって「事実を隠そう」とする方向に動いたとも読めるわけで。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

送り込まれる「公募」校長も困るのでは?

2016-11-30 10:54:14 | 受験・学校

学力低迷校に公募校長を投入、人事・予算・カリキュラムに大きな権限…低迷10校を〝特例校〟に指定 大阪市教委(産経WEST 2016年11月28日)

http://www.sankei.com/west/news/161128/wst1611280064-n1.html

 

この記事を読み直して思い浮かんだのは・・・。

大阪市の総合教育会議や市教委は「大日本帝国の大本営海軍部」と化した、ということですわ。

今までアジア太平洋戦争中にとってきた数々の海軍の作戦に敗北し、もはや打つ手がなくなってきたときに、現場から志願した人々ではじめたのが特攻作戦。

ただ「志願」というより、誰かが自発的に特攻作戦に「行く」と言わざるをえない雰囲気が海軍航空隊のなかに生まれていた・・・というのは、すぐに察しがつくかと思います。

でも、そうやって多くの人命が特攻作戦によって失われたことの責任は、当時の海軍上層部の誰も取ろうとしない。

いや、特攻作戦に至るまでの敗北の責任すら、誰も取ろうとしないわけで。

しかも上層部は後日、そういう作戦を開始するに至った経過を示す文書類を焼却したり、隠匿したりしかねない・・・。

なんか、その光景と、大阪市の総合教育会議や市教委の動きが重なって見えるんですよね。

たとえば、この10校のうちの何校かは、たとえば学校選択制で「あそこはしんどい学校だから」といって、動ける層の子どもや保護者から忌避された学校かもしれない。

とすれば、明らかに大森氏らこれまで大阪市の教育改革を推進してきた人々の「失敗」や「矛盾」がこの何校かに現れているわけです。

ですが、その「失敗」や「矛盾」の責任を追及したり、あるいはそのおおもとの施策の問題点を是正したりやめたりすることなく、ただ学校現場に「公募」という形で校長を集め、「やりたいようにしていいから」という形で送り出す。

で、送り込まれた公募校長が今度はその学校でやれそうな教員を集めて・・・。

しかも「公募」って言うてますが、誰も手をあげなければ、現職校長のなかから誰かが「行く」ということになるわけで・・・(ちなみに、一応「外部から」というよりは「今いる校長及び校長選考にパスした人のなかから」という「組織内公募」の形をとるようですが)。

これって「特攻作戦」の構造と、何がちがうんですか?

だから、やっぱり徹底的に「こんなもん、おかしいやないか」って言わなければいけないですよね。

<追記>

こちらにおとといの大阪市総合教育会議の資料がアップされていて、このなかに大森氏の配布資料が出ています。

http://www.city.osaka.lg.jp/seisakukikakushitsu/page/0000382907.html



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これまでの大阪市の教育施策の失敗をなぜ問わないの?

2016-11-30 10:25:55 | 受験・学校

学力低迷校に公募校長を投入、人事・予算・カリキュラムに大きな権限…低迷10校を〝特例校〟に指定 大阪市教委(産経WEST 2016年11月28日)

http://www.sankei.com/west/news/161128/wst1611280064-n1.html

昨日、産経がネットに流したこの記事ですが。「これって橋下市長以来の維新の大阪市の教育政策の失敗の尻拭いを、公募校長と現場教職員、そして子どもと保護者に負わせるもの」ですよね。

なにしろこれを提案したという大森氏、彼はついこの前まで大阪市の教育委員長でした。

ですから、彼には「そもそも、あなたはその在任期間中、この10校にどんな支援をしてきたの?」と本来、問わなければいけません。

むしろ、大森氏については、「あなたの行ってきた教育改革、その失敗や矛盾がこの10校に現れているのでは?」とまで言いたくなります。

なにしろこの数年、公立学校の選択制を大阪市内でやり続けてきたわけですが、徐々に「しんどい学校を忌避する」「少しでもましな学校に子どもを通わせる」という動きが現れてはじめているのではないですか。

とすれば、他の学校を選んで、動きようのないくらい生活面でしんどい層の子どもたちが集中的に現れる学校も、こうした選択制のなかで浮上してきているとも考えられるわけです。

それがもしかしたらこの10校だとしたら・・・・。明らかに、「この数年の教育改革の失敗や矛盾がこの10校に現れた」といえるわけですよね。

マスメディア、なぜここはツッコまないのかしら?

それにしても、こういう大森氏へのツッコミを誰もしないのなら、今回も自分が真っ先に言うことになりますね。

こういう誰も教育政策の担い手側にツッコまないという、大阪の教育界(特に研究者)の現状。

これについても正直「ええ加減にしてほしい・・・」と私、思い始めています。

もちろん、この取り組みが現実的に10校に次年度からやってくる以上、それへの対処も考えなければいけないのですが。

でも「そもそも、これっておかしいじゃないか」という原則論的な話、これを誰かが言わなきゃだめだと思うのです。

なにしろ今後、この公募校長が「もっとも手っ取り早く」当該10校の「学力向上」を図る方策を予想しますと・・・・。

それは、その当該10校にいる「学力的にしんどい」層の子どもを「切り捨ててしまうこと」が思い浮かびます。

たとえば、そういう「学力的にしんどい」子どもたちを他校(その場合、支援学校もありうる)に移したり支援学級に移したりする、長期不登校で学校に来ないで適応指導教室にいるような状態をつくる、等々。

その上で、残った子どもたちに対しては、勉強が面白かろうがそうでなかろうが、徹底的にテスト対策の学習をさせる。

そうすることで、ある程度までは「学力」の「向上」が見込めるでしょう。

でも、そんなことをしてしまったときに、何が残るのか。

校長の手柄になるかもしれないし、学校が存続するかもしれませんが、この10校が長年築きあげてきた「しんどい子どもたちを抱えて、じっくりと向き合っていく」という校風は、一気になくなります。

「それでほんまに、ええんですか?」と、私は問いたいのです。

特に大阪で「人権教育」とか「しんどい子どもと向き合う」作風を大事にしてきた教育関係者(研究者、現場実践者)には、そのことが今、問われていると思うのです。

やっぱり「これはおかしい」と一言、二言、大森氏や大阪市の総合教育会議に釘をさすくらいのこと、言ったほうがいいと思います。

そして「大森さん、あなたのすすめてきたこの数年の教育改革の内実、結果がこれなんですよ。もう発言しないほうがいいのではないですか? もう大阪市の教育改革から撤退されてはどうですか?」ということくらいまで、私なら言いたくなってしまいます。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする