ロシアのウクライナ侵攻に抗議し、即時停戦を求めます。
先ほども「その1」というかたちで、今日フェイスブックに書きこんだ内容を加筆修正して転載しました。今度は「その2」で、やはり今日の午前中、フェイスブックに書いたことを加筆修正して転載します。以下がその転載内容です。
<以下、転載内容>
もうひとつ、思い出したこと。昭和維新とか、日中戦争や近衛新体制とか言っていたあの時代に…。そもそも「革新官僚」といって、積極的に国民総動員体制の建設に加担した役人がいる。あるいは、アジア各地の植民地の傀儡国家や「自治政権」に送り込まれ、現地で「影の支配者」的にふるまった官僚もいる。いまの厚生労働省の前身、「厚生省」も、こういう歴史的な経過のなかで生まれたのでは?
あるいは、弾圧を避けるための世を忍ぶ仮の姿かもしれないけど、「転向した左翼」の人々のなかから、その新体制に協力せざるをえなかった人びともいる。
他方で、「このたびの戦争が国家を改造してくれる。我々の地位や待遇を向上させてくれる」と期待して、その国民総動員体制の建設に積極的に協力した人びともいる。そのなかから「産業報国」みたいな発想も生まれてきたのではなかったかと。
そして「○○占領ばんざい!」とかいって提灯行列やった人々もいるし、そういう風潮をあおるような新聞・雑誌記事書いたり、ラジオ報道やった人々もいる。戦場に赴いて現地取材して、文章書いた作家もいる。戦意高揚の歌曲つくった音楽家もいる。(そういえば、最初の東京オリンピックをやろうとしたのも、この時期では?)
さっきある方のフェイスブック記事読んだとき、このたびのウクライナとロシアの戦争になんか変な期待をしているような、ある著名なソーシャルワーカーのSNS上での発言が話題になっていたけど…。そういうのを見るたびに、1930年代~40年代の日本の思想的な風潮を思い出すのは、私だけなんだろうか?
どの分野の人でもそうだけど…。過去の歴史に照らして我が身をふりかえっておかないと、いまは道を間違えそうな気がする。他の人の批判も必要だけど、まずは私自身が過去の歴史に学ぶ必要があるな~と。あらためてそのことを痛感する次第です。