さきたま自然日記(別館)

埼玉中心になんでもありの写真日記です。
花鳥風月、自然を中心に撮ってます。

岩槻「まちかど雛めぐり」

2015年03月03日 | 日記
2月21日~3月15日まで、岩槻で「まちかど雛めぐり」が開かれてるので、初めて、ぶらりと出かけてみる事にしました。

2月27日(金)、風が少し強い日でしたが、日差しは柔らかくて、歩くと少し汗ばんでくるくらいです。

大宮駅から、東武野田線で「岩槻駅」へ・・・・・岩槻まで11分程の電車旅

今年で12回目という「まちかど雛めぐり」のイベントは、この岩槻駅西口周辺の街中を巡りながら楽しめます。

参加しててるのは、地元の人形店や食事処など73カ所。

ひな人形の生産地は、どういう訳か、関東地方に集中しているようで、特に、このさいたま市岩槻区(旧岩槻市)が有名なんです。

のんびり見学しながら歩くと、半日以上かかりそうですが、今回は時間が限られていたため、その中の3か所を巡ってみました。

まず立ち寄ったのは、「東玉大正館」

国の有形文化財に登録されてる建物で、明治初期、いち早く埼玉に進出した両替商・中井新左衛門商店が、明治16年に中井銀行に改組し、この地に岩槻出張所を開設した時の建物だそうです。

その後、昭和銀行、安田銀行、そして昭和27年には富士銀行に移り、昭和35年人形の東玉に引き継がれて、現在に至っているそうです。

この「まちかど雛めぐり」の期間だけ、展示会場として開放されています。(残念ながら、建物の写真を撮り忘れました!

中に入ると、ひな人形やつるし雛が綺麗に飾られています。



そもそも、「雛祭り」はいつ頃から始まったのしょうか?

その起源説はいろいろあるようですが、平安時代の京都で既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた記録が現存しているそうです。

初めは「遊びごと」で、儀式的なものではなかったようです。

しかし平安時代には川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になった・・・・・とのこと。

江戸時代になり女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになったようです。

この遊びである「雛あそび」が節句としての「雛祭り」へと変わったのは天正年間以降のことであり、この時代から三月の節句の祓に雛祭りを行うようになったと推測されているようです。(ウィキペディアより抜粋)

内裏雛(だいりびな)あるいは親王(男雛、女雛)は、それぞれ天皇、皇后をあらわし、正しくは親王と親王妃です。天皇にのみ許されている立纓の冠を戴いている雛が多いのですが、次の写真の男雛は冠を戴いていませんね。



お雛様と言えばお内裏様、男女一対の内裏雛は、はじめは、立ち姿だったそうで、座雛は立雛よりおくれて江戸中期の終わり頃から盛んになり、様々なタイプのものがつくられるようになったそうです。

古いものから順に、室町雛、寛永雛、元禄雛、享保雛(きょうほびな)、有職雛(ゆうそくびな)、次郎左衛門雛、古今雛(こきんびな)と発展し、この中でも特に、享保期に流行した享保雛が、現在の雛人形の原型になったようです。(「人形の始まりとその歴史」より)



三人官女の一人も撮ってみます。

三人官女は、お姫様のおつきの女官でした。しかも、楽器を奏で、歌を詠み、家庭教師もこなすというスーパーウーマンだそうですよ。



こちらの雛段には、五人囃子や仕丁(してい)も飾られています。

五人囃子は、楽団ですが、元服前の貴族の師弟だそうで、仕丁(してい)は宮中の雑用係だとか・・・・・



こちらの女雛は扇子を持っています。



上述した「古今雛」も飾ってありました。





つるし雛も館内いっぱいに飾られています。

雛のつるし飾り(ひなのつるしかざり)とは、江戸時代後期から伝わる伊豆稲取地方の風習、吊るし飾りのことで、長女の初節句に、無病息災、良縁を祈願して、雛壇の両脇に細工を吊すものだそうです。

過去においては庶民の雛壇代りの役目も果たしてたんですね。



つるし飾りにはここの由来があるそうで、頂いたリーフフレットによると・・・・

犬:安産の守り神  亀:長寿の象徴  兎:神様の使い  桃の実:延命長寿  羽子板:厄を飛ばす・・・などなど・・・・・  



こんな可愛いお雛様もありました。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く
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