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横浜焼売(シウマイ)物語2025

ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛落語らぶ晴れ時々ランニング、更新随時

ラストクリスマス

2015-12-17 | 日常茶話
ハンドベルというのはひとつ一音のベルを組み合わせて演奏する楽器です。
ひとりでは演奏できないので、チームで演奏することになります。

元はキリスト教会で、賛美歌とともに演奏されていました。キリスト教を通じて日本に紹介されたのが今から約30~40年前だそうです。
その後教会、キリスト教系の学校活動を通じて広まったのです。

さて、
雨上がりのみなとみらいへ。



この日は、横浜K学院ハンドベルの創設から20余年指導にあたられた太田先生指導のもと結成された市民グループ、クレッシェンドのクリスマスコンサートでした。


先生とはいろいろな意味でご縁があり、家族ぐるみのおつきあいです。
ハンドベルのクリスマスコンサートは我が家の年中行事の一つになっていました。

今年で10年。

そして今年を最後にクリスマスコンサートは終了。

さらにこれより10年早く開催していた定期演奏会も来春20回をもって終了だそうです。

先生の年齢と体力を思えば致し方ないことですが、
かつてk学院を引退された際は後進にバトンタッチをして次なるステージにすすまれたように、
次に後継者が続くことを祈ることにします。


ハンドベルクリスマス
関東学院ハンドベル・クワイア,太田和男
キングレコード

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民法改正についての稚考メモ

2015-12-17 | 日常茶話
別のところで書き込んだ民法改正についてのメモ(一部加筆)

明治以来続く家族制度のあり方を変えるかもしれない、云々という言い方をすると、さも今の家族制度が「伝統あること」のように聞こえるが、そんなにおおげさなことかしら。明治時代というのは歴史上1868年から。たかだか200年にも満たない実に「新しい」家族(法)制度なのだ。
個人的には、
女性のみが負担している離婚後六ヶ月ルールはDNA鑑定が精度を増している今日ではまずナンセンスだと思う。
このルールがなぜできたかというと、離婚後にできた子どもが現在の夫の子か、前の夫の子かと判別することがその後の行政サービス施行も含めて法制上必要であったため。さらに、その証明は当事者が行わなくてはならず、別れた(別れたい)相手に証言してもらう必要がありました。
もうこれって、どこの聖人君主のはなしだよ、って…。
(そもそも、『その子どもが自分の子ではない、』という証明を、別れた(別れたいと思っている)相手に感情的にたのめるか?同時にそういう相手がわざわざ出向いて協力してくれるか?どちらも確率は非常に小さいし、だいいちそんな相手と二度と連絡を取りたくないと考えるのがふつうでしょ?
この法律ができた当初は世界的にも非常に人間味のある法律だったらしい、当時の欧米では10ヶ月というのもあったが、日本は『だってお腹が大きくなればわかるでしょ?』といった実にゆるやかなものだったそう。ところが盲目的に踏襲しているうちに、時代錯誤になったのだ。証明ができないまま、認知されることなく戸籍のない子どもの存在が近年すくなからずあることなど弊害も明らかになっている。民法は国民を守るための法律なのに、その役割が果たせないようになったのであれば、再考の選択ができてしかるべきなのが、民主主義国家ではないでしょうか。

夫婦別姓については、これを論じる前に現行憲法の解釈を誤解している人が割と多いのことが、論議のすすまない原因のように思う。
その誤解というのはこういうこと。
山田さんと田中さんが結婚したら「戸籍を新しく作る」のであって、「入籍」するのではありません。
その際新しい戸籍として苗字をつくるのだけれど、目下の選択が、自分か相手の姓の二者択一。これが誤解の第一段階。
つまり、夫の姓で新戸籍を作る確率がこれまでの慣習的に多数である(既婚者の96%)ため、選んでいるという実感がない。

冷静に考えれば、離婚後はかつては旧姓に戻すのがあたりまえだったが、現行民法ではどちらの姓も選んで使うことができるではないか。
なぜなら、離婚とは結婚によってつくった戸籍が別れたことであり、戸籍から出されることではないから。
ところがそれが、婚姻そのものに対する習慣的な誤解が見え隠れしているために、気がつかないまま過ごしてしまう人のなんと多いことか!
また、
夫婦で話し合って妻の姓にするときめたとたんに、男性が「婿養子」といわれてしまう民間認識度の低さ。
ここで、え??と思った人もいそうなのでもう少し語ると、
では、夫の姓にした妻は全員「嫁養女」かという逆質問をするとその意味が分かりやすくなる。
現行民法では、婚姻とは夫婦間の問題。養子縁組というのは親子間の問題であって、全く土俵が違っている。
かつて封建家長制度のもと家を守るということが実質的にも形式的にも重要であった時代の記憶が明治民法に受け継がれ、その考え方が改まらないまま、戦後の民主主義を形式的に取り入れたことが、さらに誤解に拍車をかけている。

結婚→入籍という考えを、結婚→新戸籍創設に改めた戦後の民法改正はある意味日本法制史上の歴史的転換だと思うし、評価に値する。

ただ人の意識がそこに追いつかなかったんだね。作ったほうも、進んでそれを定着させようとしなかった、というか、後回しになってきた。
それには行政や専門家にありがちな、『自分たちがわかっていることは国民に周知されている』という錯覚もいくらかあったのではないだろうか。

70年経ってようやく、そのツケの支払いがはじまったところ。
基本、民法は人の権利を守るもの。そして生活に非常に密着している。
だから今回の決着はどうであっても、考え続けることをやめちゃいけないね。
以上、未熟な私見でした。