京浜急行は神奈川県東部の沿岸に沿って東京・品川を経由して浅草方面に伸びる私鉄。
ちなみに横浜~品川間は20分(特急、快特)。並走するJRより早いです。
余談ですが、神奈川あたりでぐわーっとJRをぶっちぎる際には何か、京急のプライドみたいなものを感じます。
その京浜急行線の横浜駅と戸部駅の間に、今はもう誰も乗降しない駅が残っています。
これが、平沼駅。
もうずいぶん前のことです。
奇妙な話ですが、この駅の側を通り過ぎる時に人の話し声?がしたのですよ。
きっと賑やかな駅だったんでしょうね。
以来、通り過ぎる度になぜか目に入るようになりました。
調べてみると、昭和6年に開業、同19年に廃止。
駅施設はそのまま残されていましたが、翌20年5月29日の横浜大空襲で被災。
その後、補強コーティングを施してホーム部分のみ保存されています。
これはホーム部分と現行の高架橋が一体化した構造のために、完全撤去が難しい、との理由からです。
もし、京浜急行に乗って三浦半島方面におでかけの際は、横浜駅を通り過ぎたらちょっと進行方向の左側を注意してみていてください。
(逆に三浦半島方面から横浜にお出かけされる場合は、進行方向の右側です。)
何しろあっという間に通り過ぎてしまうので。
毎年5月29日(横浜大空襲の日)には、ここで京浜急行関係者による慰霊祭が行われているそうです。
ちなみに横浜~品川間は20分(特急、快特)。並走するJRより早いです。
余談ですが、神奈川あたりでぐわーっとJRをぶっちぎる際には何か、京急のプライドみたいなものを感じます。
その京浜急行線の横浜駅と戸部駅の間に、今はもう誰も乗降しない駅が残っています。
これが、平沼駅。
もうずいぶん前のことです。
奇妙な話ですが、この駅の側を通り過ぎる時に人の話し声?がしたのですよ。
きっと賑やかな駅だったんでしょうね。
以来、通り過ぎる度になぜか目に入るようになりました。
調べてみると、昭和6年に開業、同19年に廃止。
駅施設はそのまま残されていましたが、翌20年5月29日の横浜大空襲で被災。
その後、補強コーティングを施してホーム部分のみ保存されています。
これはホーム部分と現行の高架橋が一体化した構造のために、完全撤去が難しい、との理由からです。
もし、京浜急行に乗って三浦半島方面におでかけの際は、横浜駅を通り過ぎたらちょっと進行方向の左側を注意してみていてください。
(逆に三浦半島方面から横浜にお出かけされる場合は、進行方向の右側です。)
何しろあっという間に通り過ぎてしまうので。
毎年5月29日(横浜大空襲の日)には、ここで京浜急行関係者による慰霊祭が行われているそうです。
でもなぜわずか13年程度で幕を閉じたのか、興味深いですね。
でも、そのホームに立つことができれば、当時の工法がうかがい知れるかもしれません。
往時の記憶がそのプラットホームに染み付いているのかも。
これも、歴史ロマンですね~
あ、マロンではありませんよ。
くれぐれも
私は出身高校が近いのですが、当時は全く知りませんでした。
実家にいたので相鉄で通ってましたから。
京急に乗らないと存在自体に気がつきませんよね。
そんな名前のご当地スィーツがありそうです。
開化マロン、マロンde居留地、大正マロン……
奇遇だわ、私の出身高校もこの近く…。
相鉄の方が近いけど。
今は新しい建物ですが、私のときは戦前のかなり古いもので。
新しいと言っても20年を越えたので既に修繕が必要になっているそうですが(^^;
私が通学していた頃は、分厚い鉄筋コンクリートつくりのコの字構造の校舎でした。
まだ在校している頃、「屋上に太平洋戦争の時のB29が打ち込んだ銃弾の跡が残ってるわよ。』と、同じく同級生のお母さんが申してました。このお母様もこの高校の卒業生です。
もともとは、女学校だったあの高校です。