私が死んだあとであなたが読む物語

基本的には「過食症患者の闘病記」、と言っていいでしょう。

断ち切れない鎖

2012年08月24日 21時35分05秒 | 過食症
母が祖母の死期が近いことを告げてから二週間以上が経ちました。

あれ以来連絡がありません。

便りがないのは良い便り。

まだまだ御健在なわけです。


住みにくいここを離れて実家に帰ろうか。

最近そんなことを考えないでもない。

本当は別の場所に引っ越して引き続き独り暮らしをするってのがいいんだけど、そんなわがままは通用しないだろうな。

「ここうるさいから引っ越しさせて」なんて言ったところで、どうせ「実家に帰ってきなさい」って言われるのがオチだろう。

それとも、切実に訴えれば聞き入れてくれるもんだろうか。


創価学会の籍を実家においてあるから、実家で暮らすとなると学会活動をしなきゃいけないことになる。

むかし学会活動をしていたときは調子がよく、引っ越しを機に学会活動と疎遠になり、その頃に過食症に罹ったという事実がああります。

だから心底否定しているわけでもない。

そういえば、お祖母ちゃんの調子が悪くなったのも俺が引っ越ししてからっだったな。

妙法の力は信じている。

だから今でも勤行はする。

昔ほどではないけれど。


何も変わらない毎日に嫌気がさしている。

実家に帰って少しでも学会活動に関与して、そしたら今よりはマシになる。

そんな期待もどこかある。


久しぶりに聖教新聞を開いた。

載っているのは折伏折伏、仏法対話。

学会活動の体験談。

嫌になる。

創価学会への嫌悪感が思い出される。

強制してきて手足を雁字搦めにしてこようとするあの感じ。


今の状況を変えるにはどうしたらいいのだろう。

題目を挙げるときは静かな暮らしができますようにと祈るけど、ここに住む限り叶いそうにない。

自分で仕事して金稼いで引っ越すのが筋だけど、過食症でうまく働けやしない。

今はまだ通常状態に入って二十日目。

まだまだこの先どうなるかわからない。

確実に過食しないという保証が欲しい。

通常状態の過去最高の維持期間は三カ月と数日。

とりあえず今は「過食しない確実性」を築きあげるのが先決でしょうか。

心の底から過食せずにやっていけると自信が持てるよう。


それにしても日中落ち着かないこの部屋で何をして過ごせばいいのやら。

勉強ができれば、読書ができれば。

静寂が欲しい。

この願いを誰に言ったらいいかわからない。

何もできないこの部屋で魂を腐らせたくない。

気だけが焦ってその実何もできない。

不安と不満が過食衝動を育てている可能性は高い。

ここを抜け出そうとして働こうなんて考えても危ない。

そもそも「過食しない確実性」がないから働けない。

それでも強引に働けば過食がでる。

結局いつも同じところをグルグル回ってる。

結局何も変わらない。

御本尊に祈ったってここの住みにくさは解決されないから、この悪循環という名の堂々巡りは何も断ち切れやしない。

一体どこに出口があるのだろうか。


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