海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

ガウディとサクラダ・ファミリア展を国立近代美術館で

2023-06-19 | 写真日記

 

会場内

 

柱頭はラセン状

 

プラタナスの切り口

 

縮尺模型

 

昆虫かな

 

外尾悦郎作

 

今年日本に帰国する前に、上海でもアントニオガウディ展を観たのだが、続けて東京国立近代美術館でも開催されていたので、再びガウディに出会えたのはとてもラッキー。この展示のライティングがとても良い。アンダルシアの眩しすぎる光の再現かな。

予想に反して、若い人達が多く並んでいたのはとても嬉しかったのと、私の後ろに並んでいたのは学生風の中国人だったので、おそらく留学生かな。

ガウディが残した言葉「人は二つのタイプに分かれるだろう。言葉の人と行動の人だ」。人のゼロからの創造を否定する。すでに存在するものを発見し、そこから出発するのが人による創作だ。「歴史」、「自然」、「幾何学」の発見がガウディの哲学と言える。

・何ごとも過去になされた事に基づくべきだ。

・人は創造しない。人は発見し、その発見から出発する。

・すべては大自然の偉大な本から出る。

私が20歳代の頃、アルハンブラ宮殿を見た時の美しさは、ガウディ建築を見たのと同等の衝撃だったが、ガウディはイスラム建築に相当影響されていた。また、アフリカの建築にも影響を受けている。そして、写真を積極的に使っていた事は今回初めて知った。お勧めですよ、このガウディ展は。

この展示と同時に、他のフロアーでは企画展で「大辻清司」の展示も。

 

☆国立近代美術館で「ガウディとサグラダ・ファミリア展」を観るなら、午前中か午後の遅めが狙い目だが、必ずオンラインチケットを購入してから入場する事をお勧めする。このチケットがあれば、チケット売場に並ぶ時間と入場待ちが大幅に短縮されるからだ。

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岡山から大阪で下車し新横浜へ

2023-06-17 | 写真日記

天満駅の改札を出たら目に飛び込んで来た店

 

天満の路地で

 

浜松付近

 

岡山から新大阪で途中下車。この日は、長年私のブログ読者のオネーサン(年齢に関わらず大阪では女性の総称)と昼呑みするのが目的。新大阪駅の地下街でという誘いを断り、あえて天満のディープな昼呑み屋へ行こうと私が勝手に決めて電車で向かった。私の場合は視覚を通して物事を考える習慣が身についているので、どこにでもあるような店は視覚的に面白くないからね。当日会ったオネーサンは大阪生まれだが、天満は初めてだった。

天満駅の改札を出ると、目に飛び込んできた店がトップの画像の店だが、ここは敬遠した。とりあえず天満のディープな路地を一周し昼呑みできる店をチョイスし入った。店内を見渡すと若い女性が半分、それ以外は若い20代のカップルや若めのオッサン達。私達2人は、20歳代の女性6人が呑んでいるテーブルの横に案内された。席が隣なので、聞こえてくる会話はほとんど筒抜け。どうもこのグループは、医療関係者だったようだ。その6人のグループが店を出たので店の人に聞くと、最近は若い女性客が増え過ぎて、おっさんが店に入り難くなり、ホンマモンのオッサン客が減っているとの事。そう言えば、昨年行った京橋駅付近もディープ系のオッサンが激減していたのを思い出す。

この現象は、私がたまに立ち寄る川崎市の溝の口駅横の西口商店街でも同じだ。この商店街の飲み屋街は、戦後に闇市があったようで、もうそのバラックが立ち並ぶ雰囲気はどう見ても昭和で映画のセットに近いし、TVCFで実際に使われた店もあるそうだ。私が立ち寄る立ち呑みの店も若い女性の一人客も多く、会社帰りにホッピーグラスを片手にメニューを見ずにつまみをオーダーしている姿は、すでに常連オヤジ女そのもの。大都市圏でコレなので、他の地方都市でも今後こんな光景は増えるだろうな。こんな時に店側は女性に入りやすい店に、などと考えない方が良い。もうすでに日本も、男が女がという時代ではない。

天満を後にして、新大阪に戻り新幹線で新横浜へ。今回は、必ず立ち寄る高松はパスしてしまった。

昨年の大阪ブログ→コレコレコレ

☆この日に大阪で会ったオネーサンは、昨年初めて京都で会った人。現在彼女のダンナは、ハワイを出港しヨットで日本に向かっている最中。無事帰還を祈っている。

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岡山駅前で

2023-06-15 | 写真日記

バンカラ像は第六高等学校の記念碑

 

高知駅から岡山駅に到着後にバス停へ向かう時、アレ?こんなバンカラの像が昔からあったっけ?と一瞬思ったが、そういえばあったよなと納得。アレ?と思い、後ろを振り向けば桃太郎の像もあった。もう岡山での記憶は薄れつつあるのは、私は18歳までしか岡山で過ごしてないからだ。その後、私は福岡へ3年住み東京へ行き、今は上海がメインの生活が続いている。つまり成人になっての岡山は、ほとんど知らないので、今は外から客観的に岡山という街を見ていると思って良い。という事は、岡山で生まれ岡山に今も住み続けている人とは、岡山の見え方や感じ方が違うのだ。もう、私のそれは異邦人の眼に近いかも知れない。

岡山駅前にある銅像の桃太郎伝説は、今の大人であれば誰でも知っているだろうが、今の子供は桃太郎の昔話を聞かされているのだろうかな?と突然思った。今の子供には桃太郎伝説は、ツッコミどころの多すぎる話。最新のゲームなどに慣れた子供は「桃太郎はよく死ななかったね」なんて思っている子もいるだろう。今も岡山は桃太郎に頼って地元をPRしているが、そろそろ脱却した方が良いし、これは岡山に限った事ではないけどね。

前世紀の話だが、上海人にとっての上海県城(上海発祥の地で倭寇に攻められ城壁に囲まれていた地域)は、地元の人にはあまり行きたく無い場所だったと聞いている。それは、風呂もトイレもない家がほとんどで、1930年代に建てられた家が長屋のように並んでいた街だった。そんな場所を撮る写真家は上海でも稀だった。つまり、外国人と地元の人では街の見え方が大きく違うのだ。私の上海での写真展や写真集で、多くの美術関係者から言われた事は、誰も撮らない街を記録してくれてありがとうだった。そして、撮り始めてから14年後にやっと上海で評価された。上海の記録を保存している国の機関に聞くと、この地域の記録と前世紀末の上海全土の写真記録がほとんど残ってないのだそうだ。(ひとり上海人の有名撮影家「陸元敏」が一番多く上海を撮っている)

☆数日前に私が今住む川崎市で、昼間に強盗事件があった。それを取り押さえたのがインド人で、彼はクリケットをやっていて、ロープ状の物を投げて犯人の体にそれが巻きついて確保。今、手近にある物を使い犯人を取り押さえた判断力と行動力はすごい。確か、渋谷でもナイフを使い襲われている人を助けたのもアジア系外国人。何事にも戦うんだよ、外国人の男は。一方の中国では、女が戦う場面を何度も見た事がある。先月だったか、おっさんが大きなハサミを持って女性に馬乗りになり襲っていたのを助けたのは、現場付近にいたおばさんだった。彼女は、最初にハサミを取り上げようとしたが失敗。その後、近くにあった工事用のシャベルで後方から男の頭をゴン、その後に警察が確保。

画像のバンカラニーチャンが闊歩していた時代は、きっと日本も戦う男も多かっただろうな。草ばっかり食ってんじゃねーよ、日本の若い男は。

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高知駅から岡山へ特急南風で

2023-06-13 | 写真日記

高知駅改札

 

後免(ごめん)駅は高知

 

大歩危(おおぼけ)駅は徳島

 

JR特急南風で高知から岡山へ。この列車の岡山に向かって左側の窓側の席に座り、窓の外の風景を見るのが好き。特に大歩危から小歩危駅付近は、川と緑しか目に入って来ないほど自然の中を走る。すでにどこの駅か忘れてしまったが、停車駅で発車時に若い駅員が敬礼し出発を見送りしていたので、カメラを向けようとしたがすでに遅かった。カメラマンが"ぼーと生きてんじゃねーよ"とチコちゃんに怒られそう。彼の初々しい姿と顔は、おそらく今年入社の新人かも知れないな。

私は遠まりの旅が好きなので、前回に岡山から特急南風で高知に行った時は、終点の高知駅で降りず手前の後免駅(ごめんえき)で下車。そして、あえて路面電車で高知駅に向かった。この路面電車は、ゆっくり走るのと高い位置から見える風景を見ながら街の雰囲気を知るにはとても役に立つのだ。路面電車がなければ路線バスが最適ね。ずいぶん前の話だが、中国の大連で満鉄の取材時に、あえて人力自転車を使い街をロケハンした事がある。人力車はスピードは出ないので、撮りたい場所を見つけやすいのと、何処にでも停められるのでとても便利。

☆日本で仕事をしていた頃の話。私は全国の都道府県を仕事で回った事があるが、その一番最後の県が高知県だった。高知県というのは、なかなか撮影仕事が発生しない県なのだ。その取材は確かIターンで林業に関わった人だった。

新卒マスコミ採用の新人は、必ず数年間は地方勤務になるのだが、高知勤務になった人の話を聞くと土佐人の人の良さや心意気で、ずっと高知勤務で良いかもと思う人も多いと、数人から聞いた事がある。私の知り合いの女性アナウンサーもその一人で、後ろ髪を引かれる思いで岡山に行き夕方のニュースのアンカーをやっていた。ただ、高知が好きという人達の共通点は、酒呑みが多いんだよね。

☆元アシスタントのナミ(ニックネーム)に、男の子誕生のチャットが。 私にとっては、今年一番の嬉しいニュース。

 

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成田から高知へ

2023-06-11 | 写真日記

成田から高知へオレンジ色の飛行機で

 

ホテルの窓から外を見ると人が歩いてない

 

飛び込んだ店から見える風景

 

菜園場付近を歩いて目的の店へ

 

6日に成田から高知へ。高知空港へ到着したが雨で外は寒い。Tシャツ一枚で行ってしまった私が悪いのだが、あまりにも寒いのでホテルから近いひろめ市場付近の昼呑み出来る店に飛び込んでしまった。酒は地元の土佐鶴の熱燗で、つまみは何年も食ってなかったクジラ料理。ひとりカウンターで呑んでいると、20人ほどの中国人団体客(おそらく香港人)が、旗を先頭に二階の宴会席へ。

本来なら路面電車が走る街の風景を撮りながら7時に待ち合わせした店に向かう予定で撮影ポイントも決めていたが、ここで風邪をひくのだけは避けたいからね。このひろめ市場付近から菜園場の隆の店までは約15分ほどで、少し遠回りをしながら街を歩いたが、人がほとんど歩いてない。県庁所在地にしては、ちょっと寂しい。

この日は、ブログで知り合った写真家と初めて会うのも目的のひとつ。店のオーナーとその母は上海組なので旧知の仲。そして、以前一緒に呑んだアート関係者と初めて会った写真家の5人でワインを。全員海外を知っている人達なので、会話が途切れる事はない。

☆高知は豊な自然が多く海あり山あり川も素晴らしく、食材にも恵まれている。でも、それらのPRが下手。世界中の本当の金持ちの休暇の過ごし方は、自然に囲まれた中で静かにゆっくり過ごしたい人が多く、そういう人達は宿代が高額でも1週間以上過ごす人が多い(特に欧米人)。日本人のお節介に等しいサービスも無用で、そっとしておいてほしい人が多く、それが彼らにとっての本当のサービスだと思う。

以前関わった桂林の山奥にある古民家を改装した宿は、もうすでに予約が取れないほど欧米人に人気の宿になっている。この宿は、あえて部屋の中ではwi-fiは繋がらないようにしていて、ネットが必要であればみんなが集まるカフェに行くしかない。周囲に飯屋はないほど田舎だが、毎日飽きさせない料理を提供できるシェフが常駐している。

今までの宿の概念を捨て、レベルの高い人達が本当に行きたい過ごしたいと思う宿とサービスが、これからは日本にも必要になると私は思う。ただ、PRなどは大手の広告代理店や日本の旅行代理店とは一才関わらず、地元民がネットを使い英語表記で海外へ向けて発信すれば良い。また、宿のスタッフは、一人か二人英語が出来れば十分で他言語には対応しなくて良い。理由は、団体旅行以外で来る人達は必ず英語が出来るからだ。そして、高知だけでなく隣の徳島など、他県の市町村と組むという方法もあるが、まぁ、これは今の日本では無理だろうな。

桂林の記事→→ココから3回続く  その後に桂林から、仏教画家に会いに潮州へ→コレ

 

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