海上撮影家が見た上海2

上海で撮影活動をしている海原修平のBlog。「海上」とは上海の逆で、新しい上海という意味。更新は不定期。

上海市内から周荘の錦渓古鎮へ

2024-12-21 | 写真日記

錦渓古鎮

 

 

私の好きな蓮の冬枯れ

 

 

蓮の冬枯れは美しい

 

 

陳妃水塚(墓)

 

 

冬枯れは薄曇りが合う

 

羽田へ飛ぶ前日、上海でとてもお世話になっている美術評論家の別荘に招待され、家で茶をいただいた後に錦渓古鎮へ。最後のアシスタントはこの日に来れず、元アシスタントと先生夫婦の四人で錦渓古鎮へ。

錦渓古鎮の周囲は湖がたくさんあり、有名になり過ぎて観光地化されてしまった周荘とは違い、とても静かで趣があるお勧め古鎮。上海から近い水郷の村は朱家角が一番有名だが、上海コロナロックダウンの前に連載の撮影で行った朱角家は、私にとっては気が向かない水郷の村に。その他にも上海近郊に水郷の村はたくさんあるが、土日祝日に有名な場所は絶対に避けた方がイイね。それら水郷の村に行きたくないのは、高額な入場料を取られ渋谷のスクランブル交差点のように激混みで煩すぎるんだよ。

こんなに静かで品のある水郷の村に来たのは、いつだったか思い出せないほど久しぶり。薄曇りの下で、私の好きな冬枯れの蓮がとても美しいシルエットを見せてくれのはラッキー。その後、この村で一番美味しい料理を出してくれる飯店で旬の上海蟹を。

☆この錦渓古鎮は、地下鉄でも行けるようになった。2016年に淀山湖ギャラリー計画は頓挫したが、上海で静かな中国を満喫するなら郊外しかない。

☆淀山湖プロジェクト→私のブログの右のカテゴリーから

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成都市内を駆け足で周る

2024-12-19 | 写真日記

砂曼荼羅

 

 

ギャラリーで(通常は撮影禁止)

 

 

チベットの薬草

 

 

石臼

 

 

最初は石で細かく砕く

 

 

更に細かく

 

 

完成した匂袋

 

 

ギャラリーのカフェで

 

今回の成都の旅は、ロケハンと地元の責任者数人に会うのが目的。決定権を持っている人と直接会わないと、何事も進まないし何の意味もないからね。なので、相当駆け足で周ったが雰囲気はつかめた。中国では初対面でも名刺交換なんてやらないし、私も名刺なんて持ってない。会って話をして、連絡先を知りたければWeChatを交換するのみ。

この日チベットの曼荼羅を扱うギャラリーなどを駆け足で周り、各会社のボスに直接会い飯は辛い系成都料理を。成都のチベット寺院にも行くつもりだったが、そこは外国人は入れない事が当日判明し、寺は仏教の寺「文殊院』のみ。この寺の画像はないが、この寺の歴史は隋まで遡り明代に戦火で消失したが、清代に再建。

曼荼羅のギャラリーでは、チベットから取り寄せた50種類の天然の薬草を自分で砕き、自分専用の匂袋を。数種類のメニューがあり、私は快眠をチョイス。作り方は昔の製法と同じで、石臼を使い細かく砕くのだが、これが結構時間がかかる。

☆私は一日二食の生活を十数年続けているが、成都初日に辛い系の成都料理を食った翌日から食欲が復活。ホテルの辛くない朝飯がとても美味く、この日は昼も夜も地元の人しか行かない辛い系の成都料理を。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

和果子=唐菓子=和菓子?

2024-12-17 | 写真日記

成都の和果子

 

成都の和果子

 

成都の和果子

 

成都の和果子

 

和果子の起源

 

 

四川省の成都で、伝統的な和果子を紹介するコーナーがあった。中国の和果子に、「艹」がないのは、元々の起源は果実を使った菓子だったのかもね。最後の画像の紹介文を訳すと、「最古の記録は晋の時代に記録されていて、元・明・清の時代に茶文化は最盛期を迎え、東洋文化の質感と温かさを伝えた」となっている。成都の和果子は、果実や大豆や小豆などを使い米や小麦で包むという作り方は日本も同じ。

日本の和菓子を調べると様々な諸説があるが、遣唐使が唐菓子としてが日本に伝えたとある。その後に、茶の文化と共に日本独自に進化したのが今の日本の和菓子だという事かな。「とらや」のHPを見ると、和菓子の歴史「はじめに伝えられたのは、飛鳥~平安時代、遣唐使などによって中国からもたらされた唐菓子」と言い切っている。

今の日本の文化の源流を辿ると、中国や朝鮮などから文化流入があり、その後に日本独自の文化と融合し今の日本文化が形成されているのは間違いない。もし仮に、日本の東側に国が存在したら大陸の影響と日本の影響を受けて、更に違う文化の国が出来たかも知れないね。文化を理解している中国人が京都や奈良に行って驚くのは、唐の時代の建築や文化がそのまま残っているのを見て涙する人がいるのは分かるな。四川省の成都は、先の大戦の影響を受けてない都市なのと隣のチベット文化の影響もあり、今後中国の四大都市の次に栄る都市になるような気がする。パンダの都市でもあるしね。

☆和菓子の歴史→コレ   唐菓子→コレ  とらやHP→コレ

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スマホしか見えないパンダ基地

2024-12-15 | 写真日記

この中でデジカメを使っている人は3人のみ

 

 

SONYα7系+超望遠ズームレンズ

 

 

私の右は地元のTVカメラマンでSONYα7S+FE24-70mm f2.8がスタンダード

 

 

デカイディスプレイ用ライカA型?

 

 

ディスプレイ用ライカI型(雑に撮ったら後ピンに)

 

 

前回の成都パンダ基地の続き

 

成都のパンダ基地の中で、デジカメを持っている人を見るのは稀。もう一般の人にとっては、デジカメは必要なくスマホで十分という事がよく分かる。まぁ、これは世界的な流れというのはわかっているが、近くで撮れないパンダを写すのも望遠レンズを使わずデジタルズーム機能を使っているようだ。2枚目の画像は、SONYα7R系と超望遠ズームを一脚に乗せパンダの動きを追っている人だが、絶滅危惧種のような光景に見える。

パンダ基地から成都市内へ戻りチベット系のカフェで、私の追っかけ取材をしたTVカメラマンと話をした。彼はTVカメラマンなので、使っているカメラはSONYα7S系とFE24-70mm f2.8がメインレンズで、この組み合わせは最高の機材と絶賛していた。そして、リュックタイプカメラバックの中には、このSONYとドローン付きカメラが入っていて、これだけでほとんどのニュース素材が撮れるのでとても楽だと言っていた。

最後はライツ社が製造した、デカ過ぎるライカA型を上海で見せてもらった。友人の中古カメラ屋が言うには、当時販売代理店の一部向けにごく少数製造した物だそうだ。もちろん撮影は出来ないが、ブラックペイントはライカそのもの。半世紀以上カメラに関わっているが、時代は大きく変わってしまったと思わざるをえない。

☆私がフジのデジカメを使っているのを見て、現地の人達が私もフジフィルムのデジカメを使ってますと言ったのは全員が女性だった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成都のパンダ基地へ

2024-12-13 | 写真日記

パンダ基地で一番最初に会ったパンダ

 

平日でも人多い

 

外国人はパスポートが必要

 

周囲はパンダの餌のササが

 

パンダの子供(寝てる)

 

寝てる

 

寝てる

 

食事中

 

食事中

 

パンダと麻雀(土産物の前)

 

今回のロケハンで、成都に行って外せないのがパンダを見る事。四川省には4ヶ所のパンダ基地があり、成都市内から一番近いパンダ基地へは道が空いていれば車で40分くらいで行ける。駐車場に車を停めて外に出ると、パンダ商品を売る人達に囲まれ、最初に出会ったパンダはトップの画像のオッサン。

10時過ぎに園内に入ると長蛇の列で、外国人はパスポート確認が必要だが客のほとんどは中国人。最初に会えたホンマモンのパンダは子供だったが、食後の就寝中。大人のパンダもほとんどが眠っていた。広すぎる園内は電動カートが走っていて、これを利用しないと次の場所にいけないので、駆け足で園内を駆け抜けたって感じかな。寝ていないパンダを見れるかどうかhが運次第かもね。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする