1996年 白衣路
中国の路の名前は、他都市の名前を使っている場合が多い。例えば上海市北京路などがわかりやすい例だが、上海市上海路はない。ただ、旧城内の路の名前には意味があったようで、路の名前からどんな地域なのかある程度想像出来た。この白衣路は、おそらく白衣専門の店が並んでいたと推測出来る。
左の鶏はペットでなく食用だったようで、翌日この場所に行ってみるとすでに姿が無かった。
☆WideluxF8
1996年 白衣路
中国の路の名前は、他都市の名前を使っている場合が多い。例えば上海市北京路などがわかりやすい例だが、上海市上海路はない。ただ、旧城内の路の名前には意味があったようで、路の名前からどんな地域なのかある程度想像出来た。この白衣路は、おそらく白衣専門の店が並んでいたと推測出来る。
左の鶏はペットでなく食用だったようで、翌日この場所に行ってみるとすでに姿が無かった。
☆WideluxF8
1996年撮影 方斜路
こちらがカメラを構えると勝手にこんなポーズをとってくれた。前世紀の上海ではカメラを構えると逃げる人や嫌がる人も多かったが、それらはほとんどが中年以上の人達で、子どもたちは無邪気にフレームインしてくる。前世紀末の上海では、カメラまだ贅沢品で一家に一台無かった時代。日本製中古カメラは当時お土産としてとても喜ばれた。
☆Noblex135U
1996年撮影 張家弄
レンズ回転式のパノラマカメラの良さは、路地を路地らしく撮れるのが利点。レンズはテッサータイプのNoblar29mm f4.5でUタイプは5mmほどレンズがライズ出来る。この画像は、目一杯ライズして撮影したので家屋の屋根全体を画面に入れる事が出来た。
この付近の建物は建て増して二階や三階建にしている家が多く、家が建っている事態が不思議なくらい。
Noblex135U
1996年撮影 復興路x中華路
1996年頃の上海のタクシーはワーゲンのサンタナかダイハツのシャレードしか無かった。そして、当時は車はまだ高嶺の花だったので、庶民の移動手段は自転車かトロリーバスがメイン。自転車大国だけあって自転車専用道路があり、朝夕の通勤時間帯は車より自転車が洪水状態だった時代。
今でも上海は自転車も多いが、最近目立つのはスマホ決済で借りることが出来るレンタサイクルが主流になりつつある。
☆Noblex135U
土曜日に古くから付き合いのある工場へ行き、既製の商品の改良点について話し合った。既存の商品の用途以外の使い道を話したのだが、最初は理解されず副社長の奥さんに説明すると一発で理解してもらえ、即試作品を作る事になった。順を追って商品の利点と使い方とユーザーの利便性を理解してもらえれば、すぐに行動するのが大陸の良いところ。
これが日本だとアイデア出しから決定までが読めず、前向きな話より後ろ向きのタラレバの話がメインになってしまうのでタチが悪い。最近私はそういう人達を「後人」と呼んでいる。彼らの多くは、新しい事に対して失敗したくないのと責任を取りたくないからだろうと思う。日本は良い技術を持っているしモノづくりの経験値は相当深いが、それを活かしてビジネスに繋げてない「うしろびと」が多すぎるからだ。予定調和から新しい事や物は絶対に生まれないし、今までの慣習だって時代に合わせて変えて行くのが筋だと思うが、どうもそれらから日本人は柵越えが出来ない人が多すぎる気がする。
何処の国かわからないような建物を見ながら工場へ
梅村のドライブインで昼飯を
高いマズイ
途中で梅村ドライブインで昼飯を食ったが、日本の昭和のドライブインと同じで値段が高くたいして美味くもない。この定食で50元(約800円)なので、上海の普通の店の方が安い。
最初に重湯が出てくる
フグの鍋なのだが・・・
工場夫妻から夕飯の接待を受けたのだが、旬の季節野菜料理がとても美味しかった。江陰地方の料理は上海と違って味付けが淡白なので、私は好きな料理なのだ。今回初めて大陸で河豚料理を食べたのだが、様々な香辛料で味付けされた河豚鍋は私にとっては馴染めなかった。もし同席した中国人が日本の河豚鍋を食べたらどう思うのか、ちょっと興味がある。
☆最近私は日本に帰国すると、複数の人からお前はアクが強いと言われるようになった。「アクが強い人」とは、日本では良い意味に使われないようだが、私はそれで結構。日本社会に受け入れられない帰国子女の気持ちが最近よくわかる。
と、ここまでブログを書いて、スマートニュースを見ていると東洋経済の記事「日本は後追いの国」と割り切ったほうがよいという記事が。この記事にすべて私は同意する。
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